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桐野夏生著『メタボラ 』(加筆1) [文学]

メタボラ .jpg

買うのは早かったのだが、
読むのは遅れてしまったが、
読了した。

小説は沖縄を舞台にしたもの。
はじまりから、半分頃までの素晴らしさは眼を見張るものがある。
何よりも前半の沖縄方言をつかった執筆の
生き生きとした美しさは、必読と言える。

本土を舞台にした小説の後半部分も、
現在の家庭の崩壊現象や、
派遣労働者の過酷な労働市場の様子など、
現代の社会の崩壊過程を理解するためにも。
それを読むだけでも、必読文献である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、桐野の小説の中では、
『OUT』系のもので、
私の文学的な評価は,
それほど高くない。

後半、謎解きが、凡庸に流れる傾向がある。

しかしそれは、桐野のいつもの傾向であるとも言える。
『OUT』にしても、前半はすばらしいが、
後半は凡庸なストーリーになってしまっていた。
そういう意味では本書は、力量いっぱいに書けているのであって、
登場人物やストーリーが、当初設定から跳ねることがないという、
不満足感は、仕方が無いと思える。

『グロテスク』や、『残虐記』、『玉瀾』といった桐野文学の珠玉の成果に比べれば、
こじんまりとまとまった印象があり、不満が残るのは確かだ。

結局、沖縄はどうにもつかみきれないという印象をもつ。
しかし、誰が沖縄をつかみきれるのであろうか?

沖縄の文化に対する桐野の無理解は、
沖縄という琉球王朝の権力の確立が視野に入っていないからである。
選挙運動が描かれている事はいるが、
桐野は、公的な権力の確立への視野が無い。
しかしそれを描くことは、
それこそ現在のチベット問題を含めて、
近代の権力構造を描く必要が有り、
おそらく、それは桐野ではないことなのである。

沖縄を描ききれていないかと言えば、
すでに述べた様に、沖縄の方言を使った文章は素晴らしく、
よくも悪くも、女性が見る、
沖縄の断片はあるのである。

主人公がホモなのだが、
これも十分には描けていない。

こういう不満があっても、
読むに値する面白い現代日本文学であった。

おそらく不満の根源に、
桐野文学が、ローアート、つまり大衆文学に出自を持っている事がある。
高度な文学的成果を上げたにもかかわらず、
桐野文学の根底に、大衆文学の通俗性があって、
そこに回帰して行く構造が有る。
その事の利点は、珠玉の名品の中に惨然と輝いているのであって、
それ以上の展開を桐野文学に求める事は、酷なのではないだろうか。






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