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鈴木奈緒(4)/ガーリーフォトの後半(加筆2) [写真論]

白濱雅也さんのガーリーフォト・レクチャーの後半です。


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○川内倫子
1997年、第9回ひとつぼ展グランプリ受賞
2002年、写真集「うたたね」「花火」などで「第27回木村伊兵衛写真賞」受賞。
6×6、淡い色合いのプリント、独特の静謐なクローズアップで
カラーの日記写真の新潮流をつくった。ガーリーフォトのなか
では一番評価が高く私も同感。この中で唯一写真集を買う気に
なる人。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦坂的には《6流》写真で、しかし非実体的・非合法的で、
つまり《6流》の芸術写真。
これは東山魁夷と全く同じ構造と言える。
日本の一番一般性をもつ芸術の構造かもしれない。
私には退屈で趣味ではありませんが、
日本の大衆の芸術感性、売るのには重要な領域。

しかし、私は白濱雅也さんの反対で、
とても買う気にはならない写真。
見るのもバカバカしい。

しかし何故に《6流》の芸術では、いけないのか?
いけない訳ではないが、一番の問題は、自明性が強い事だ。
今、自分が見ているものの向こう側に、眼に見えない世界が潜んでいると言う、
そういう予感が無い。
単純な自明性がある。

川内倫子が80パーセントの多数派の世界であるのと比較すれば、
鈴木奈緒さんの写真は、社会的には20パーセントの少数派の世界だが、
しかしそこには、
まともな芸術的、そして臆病さに満ちた人間の眼差しがある。


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○野村佐紀子
アラーキーの一番弟子
男性ヌードを確立。アラーキーと同じ路線ですな。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦坂的には《21流》の芸術写真です。
21流というのは、エロ写真です。

■加筆■
アラーキーの写真は、《21流》《21流》《21流》
非合法的で、非実体的。つまり芸術であると言う事。
ただし《1流》性がないから、完全には芸術ではない。
不完全な芸術。

《21流》は人生の喜怒哀楽の地平で、超越性が無い領域。
分かりやすいのはエロ写真の領域であると言う事。
それと中華街のキッチュに満ちた雑貨の世界が《21流》。
清朝以降の中国文化は、すべてが《21流》である。

野村佐紀子の写真が、アラーキーゆずりの《21流》の芸術であると言う事は、
当然だし、面白い事。

鈴木奈緒さんの写真が《超1流》《1流》であるのと、
《21流》との差は、
それはエロ性の問題だ。
それに写真系の写真と、
美術系の写真の差がある。

しかし美術系の写真の存在と意味は、あるのである。




○野口里佳
スナップとは言いがたいです。一番アート寄りです。

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野口里佳 写真家
1971年埼玉県生まれ。92年に写真作品の制作を始めて以来、国内外で展覧会を中心に活動。2001年個展「MIMOCA'S EYE VOL.1 野口里佳展 予感」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)、04年「飛ぶ夢を見た」(原美術館)、「Somebodies」(アイコンギャラリー、バーミンガム〔英〕)、06年「Color of the Planet」(DAADギャラリー〔独〕)。著書に『鳥を見る』、『この星』など。作品は金沢21世紀美術館、国立近代美術館などにコレクションされている。現在ベルリン在住。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦坂的には《6流》写真。しかも固体写真です。
しかも合法で、実体的。つまりデザイン的エンターテイメント写真。
しかし固体写真という骨董的な吸引力で、芸術写真かのように振る舞うと言うもの。
小柳がやるタイプ。

私はこういう固体写真を良いとは、思わない。
このことは、いつか下村観山と杉本博司批判として書きたいと思う。

鈴木奈緒の美術系写真と、この野口里佳の美術系写真は、
同じ美術系写真でも、ありようが反対に近くに違う。

奈緒さん、がんばって!



○原美樹子
私は無名の時の初個展から見ていて注目してました。ぼちぼち
賞取か。
独特の間合いと色彩のある写真で魅力があるのですが、何をし
たいのかよくわからないと言えばわからない。
実は女性写真家にはこういう傾向が顕著で、写真を撮りながら
自分探しをしている傾向が強いように思う。

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原美樹子
はら・みきこ
1967年、富山県生まれ。
1990年、慶應義塾大学文学部卒業。
1996年、東京綜合写真専門学校研究科卒業。
2005年7月、初の写真集『hysteric Thirteen Hara Mikiko』をヒステリックグラマーから刊行。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彦坂的には《6流》の想像界の写真。
しかも合法で、実体的。デザイン的エンターテイメント写真。
芸術性はなし。
まったく興味無し。


○梅佳代
最近の新人。アラーキーの「さっちんとまー坊」のカラー版ま
んまですな。

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彦坂的には《6流》のデザイン的エンターテイメント写真で興味なし。
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コメント 2

コア

批評と言うものがこれほど簡潔、情け容赦のないものであったら日本の美術が6流にとどまってはいなかったでしょうね。しかし実に面白い彦坂劇場です。こうして観ると鈴木奈緒さんの健闘ぶりが分かりますねえ。

by コア (2008-04-19 18:50) 

ヒコ

ありがとうございます。
筆者の立場を明確にして、私的な視点を正直に出さないと、批評は面白くないし、そして芸術は活性化しないのです。
その事の勇気を、日本の職業執筆者は出来なくなってしまった。
一つには、批評そのものが失われて、情報の流れだけになり、批評家と言うのは、いかに多様な情報を知っていて、それを紹介するのかという、情報専門家になってしまったのです。そこには、個人のふるえる様な感性の動きが無くなってしまった。
by ヒコ (2008-04-22 09:22) 

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