川久保玲のスピード社の水着デザイン [アート論]
オリンピック公式デザインに採用された川久保玲のデザインは、
水着の片側に、日本の書道家井上有一が描いた
「心」という文字をグラフィックとして配置している。
井上有一の「心」という文字は、《イメージ判定法》で《6流》。《言語判定法》で《6流》。
《現実判定法》で《6流》。典型的な《6流》の書道であって、高級な文字ではない。しかし《6流》というのは、無印良品の領域であり、モダンデザインの領域でもあった。つまり書道のデザイン化されたものが、井上の書道であると、私は判断する。
このTシャツにも、心の文字が、縦に、デザインされている。
《6流》の井上有一の文字を使って、
川久保玲は《超1流》のTシャツに仕立てている。
ここに、川久保のデザインの秘密がある。
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川久保玲は、
スピード社と川久保さんは06年から提携しており、
一般向けの水着も販売している。
さて、川久保玲の水着のデザインは優れているのだろうか?
優れている、《超1流》のデザインである。
《イメージ判定法》で、《超1流》
《言語判定法》で、《超1流》〜《7流》までの多層的重層的表現
《現実判定法》で、《超1流》。
しかも《想像界》《象徴界》《現実界》の3界がある。
絶対零度/固体/液体/気体の4様態を持っている。
非実体性、非合法性、さらに《退化性》もあるので、
この川久保玲の水着デザインは、真性の芸術なのである。
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こういうすぐれた芸術としてのデザインを鑑賞すると、
実は、真性の芸術という質は、デザインの側に移行してしまって、
芸術としての美術は、
実は芸術ではない低次元のデザインと化していると言うべきである。
こういう時代にアーティストはどうすれば良いのだろうか?
デザイナーに転向するのか?
それとも《21流》とかの下品で、実体的で合法的な、
エンターテイメントのデザインワークを作るべきなのか?
それとも時代遅れに耐えて、
やはり《超1流》の真性の芸術作品を作るべきなのだろうか?
あんたバカ?
by NO NAME (2009-04-28 17:45)