ソクラテスの顔/批評の基礎 [顔/哲学者]
《批評》という言葉で、私が言おうとしているのは、日本の美術評論家の書いている様なものではないのです。その多くは《常識文》であって、《批評》ではありません。
だれもが書ける様な常識をただ無批判になぞった《常識文》は、《批評》とは言えないのです。
日本の現在の美術評論家で唯一の例外は、藤枝晃雄氏の評論で、彼の文章は《批評》たりえていると思います。
その潔癖性的欠点を含めて、私は氏の評論をトータルに尊敬していて、藤枝批評を師として仰ぐものであります。事実多くを学んで来ているのです。
さて《批評》という言葉をめぐって、実は老子、エックハルト、パスカル、デカルト、モンテスキュー、キルケゴール、フッサール、ブーバー、北畠親房、本居宣長、内村鑑三、谷川雁、今道友信と言った調子で、多くの思想家や哲学者を上げたくなるのですが、短く書きたいので、一人をあげれば、ソクラテスです。
ソクラテスの顔です。
《想像界》の眼で、《超1流》。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的人格。
《現実界》の眼で、《超1流》。
この肖像彫刻の信憑性は分からないですが、
この像で見る限りでも、優れた人物であります。
ジャック=ルイ・ダヴィッド作「ソクラテスの死」(1787)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
伝えられるところでは、
ソクラテスは、アテナイに生まれ、生涯をアテナイに暮らしています。ドイツの哲学者イマヌエル・カントが東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)で生まれて、生涯をその地で過ごしたのと似ています。
父親は、石彫家ソプロニスコスです。ソクラテスは、この彫刻家である父を尊敬していなかったようです。それは、一つは手を使う石彫家という職業が、手を使う事自体が奴隷の仕事で、ギリシア市民にとっては下級であり、ギリシアの彫刻家というのも奴隷に準ずる階級であったことによるものであったようです。
母親は、助産婦のパイナレテ。このことと、ソクラテスの問答法が、「産婆術」と呼ばれているのは、深い関係があるのです。ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により、哲学を展開していきます。その方法は、自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるものなのであるとされています。
基本的にあるのは、《常識》に対する懐疑です。これは彦坂尚嘉の精神の基本的な性格でもあるのです。《常識》は、一つの迷信でしかない可能性があるのです。この《常識》にたいする疑いを、対話の中で展開することで、ソクラテスは多くの人々の憎しみをかいます。
当時の知識人たちは《常識》にだけ知の基盤を置いていた為に、ソクラテスの対話が持っている《反省的思考》が持つ破壊性を、憎んだのです。
結局人間は、無知無能であり「知っていると言っていることを、実は知らないのだ」ということを暴かれて、相手は論破され恥をかかされたとして、ソクラテスを憎むようになったのです。このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」等で公開裁判にかけられ、死刑になりました。
ただこの死刑は、逃げられるもので、牢番にわずかな額を握らせるだけで脱獄可能だったのですが、自身の知への愛(フィロソフィア)を貫き、死を恐れずに、殉ずる道を選んだのです。
このソクラテスの死に見られる様に、《常識》という迷信を疑い、それを反省しようとする《反省的思考》は、社会や民衆から、殺される運命にあるものなのです。そのことは、今も変わりません。
ですから、死に殉ずる意志がない限り、《批評》は成立しないのです。【殉死】に於いて、世界を見る精神こそが、《批評精神》なのです。
藤枝晃雄氏は現在も国立近代美術館の「平山郁夫展」を厳しく批判する等、鋭い舌鋒をふるっておられますね。その言説の場が狭められている事は残念な限りです。
by 丈 (2008-08-09 18:50)