川久保玲と村上隆のルイ・ヴィトン(改題加筆4) [アート論]
川久保玲の顔である。
《想像界》の眼で、《41流》美人。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》までの重層的美人。
《現実界》の眼で、《8流》美人。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ人格。
気体人間。
これは良く出来た肖像写真だが、
この写真を格付けしておく。
《想像界》の眼で、《41流》
《象徴界》の眼で、《41流》
《現実界》の眼で、《41流》
典型的な《41流》の肖像写真で、純粋化されていて、
ほかのものとの重層性はない。
ハイアートではなくて、ローアート写真である。
悪く言えばヨーロピアン・シュラッシュ・メタルの女バンドリーダーのようでもあるし、
後ろに中世の重甲冑の槍軍団を従えた現代日本のエリザベスといった雰囲気である。
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川久保玲がルイ・ヴィトンのためにデザインしたバッグの写真です。
写真の出典はnitrolicious.comです。
このバッグは、青山骨董通りにあるDover Street Market
ルイヴィトン・アット・コムデギャルソンに変わり、
ショップの店頭でのみの予約販売となるそうです。
下記情報は裏原宿ファッションブログ 裏原マグからです。
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Re-Edition
ルイヴィトンが日本に上陸した1970年当時に大流行した
プチ・マルソーとサック・ドゥ・ポッシュを、
川久保玲自身が復刻をしたモデル。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《7流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
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Customization
クラシカルなヴィトンのバッグを川久保玲がカスタマイズし
芸術化させたデザイン。
パピヨン26は3つの動物のチャームをつけたタイプ。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《7流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
ミニ・スピーディはバッグを持つハンドルを合計8つつけた
手のひらよりも少し大きめ位のスモールサイズのバッグ。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
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Creation
川久保玲が一からデザインを行ったラインで、モノグラムの
キャンバスで出来たラウンド型とスクウェア型のそれぞれに
ヌメ革のロングハンドルを施したデザイン。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
どれも凄いけれども、最後のCreationの2点が、
おとなしそうに見えて、《41流》を持つ重層表現であるのが、
さすがである。
凄い実力!
さて、最後に、村上隆のルイヴィトンのバックを復習しておこう。
《想像界》の眼で、《13流》、デザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で、《13流》、デザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で、《13流》、真性の芸術。
《想像界》の作品。
液体美術。
《13流》というのは、お笑い喜劇漫画など領域である。
村上隆の顔である。
《想像界》の眼で、《13流》
《象徴界》の眼で、《13流》
《現実界》の眼で、《13流》
《想像界》の人格。
液体人間(=近代人)。
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村上隆の作品である。
《想像界》の眼で、《21流》、デザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で、《13流》、デザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で、《13流》、真性の芸術。
《想像界》の作品。
液体美術。
《21流》というのは、エロの領域である。
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芸術の定義を素材論的に見れば、
素材的に時間的に耐久力のあるものが、
歴史的には芸術とされて来た。
川久保玲のデザインワークは、素材論や形式論的には、
芸術ではないし、
そしてまた【ユング的集合無意識】の視点で見ても芸術ではない。
しかし【フロイト・ラカン的位相からの芸術分析】で見ると、芸術であるし、
その芸術力の実力は、村上隆を遥かに超えるものをもっている。
■川久保玲と「H&M」とのコラボレーション
http://www.movement.cc/blog/archives/2008/04/03-192934.php
スウェーデンのネス・アンド・モーリッツ (Hennes & Mauritz) が展開する
低価格かつファッション性の高い、高級指向の顧客もターゲットとした服で、
世界的に人気を集めている。
「H&M」が発表したプレス・リリースによると
「川久保玲氏は
我々がコラボレーションをお願いしたいデザイナーのリストの中で
常にトップにありました。今回ようやく彼女から了承をもらうことが
出来て非常に嬉しく思うと共に期待感でいっぱいです」とのことです。
これに対して川久保玲は、次の様に答えている。「私は常にクリエーション(創造)とビジネスとのバランスを、興味深く考えてきましたが、それはジレンマでもありました。そして、これまでは常にクリエーション(創造)を最優先事項としてきました。今回の試みはそれを解決するいい機会であり魅力的な挑戦だと考えています」
川久保玲と村上隆を比べると、川久保も村上も、共にクリエーションとビジネスのバランスを問題にしたアーティストであり、共に世界的成功をしたと言える。
クリエーション(《超1流》/《41流》)とビジネス(《7流》)のバランスを考えるという思考は、日本の旧・現代美術の作家にも評論家にも無かった視点である。旧・現代美術に属する私は、洋画商史を調べるなど近代という時代構造の中でのギャラリーについては考える事をして来たが、ギャラリーを超えて、ビジネスとクリエーションのバランスと言った思考はしてこなかったのである。
私の川久保玲を本格的に知るきっかけは、大変に遅くて、1999年の東京都現代美術館でのファッション展『身体の夢 ― ファッション OR 見えないコルセット』まで、待たなければならなかった。
ここでの川久保玲の創造性と芸術性は傑出していたのである。
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