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芥川賞/中国人が書いた《21流》日本語文学 [文学]

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第139回芥川賞は、来日21年の中国人女性、楊逸(ヤンイー、44歳)が日本語で書いた「時が滲む朝」(文学界6月号)に決まりました。

この小説を私は、ようやく読了したですが、私の【アートの格付け】ですと、なんと《21流》です。来日21年の中国人の書いた日本語文学が、《21流》というのも、なんとも奇妙な符合なのです。

中国人作家の芥川賞は史上初です。日本語を母語とせず、中国という異文化を背景に持つ作家の受賞が、日本の文学界に与える影響は大きいと、私も思います。日中相互理解にも、たいへんに役立ちそうです。事実この天安門事件の虐殺と、中国の民主化運動の風化を描いた挫折小説は、私には痛切に伝わってきて、初めて中国人の内面に触れた思いがしました。私の中国文化への強い偏見を薄めたと言う面で、画期的なものです。

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楊逸(ヤンイー)の顔です。

《想像界》の眼で、《1流》。
《象徴界》の眼で、《21流》。
《現実界》の眼で、《21流》。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つすぐれた文学者。
固定/液体/気体の3様態を持つ総合性のある文学者。


楊逸(ヤンイー)は44歳。中国黒竜江省ハルビン市生まれ。
本名劉☆(リュウ・チョウ)。
1987年の来日後、日本語を学ぶ。
お茶の水女子大学で地理学を専攻した。
中国語講師をしながら昨年、日本語で初めて書いた小説「ワンちゃん」で文学界新人賞を受賞しデビュー。同作で候補となった前回に続く2度目の候補で今回、芥川賞受賞を決めた。

受賞作「時が滲む朝」は、89年の天安門事件を中心とした中国の民主化運動の高揚と挫折の物語です。
父親が文化大革命時に右翼として地方に更迭されています。この息子の中国人男性が、父親と同じ様に、政治的挫折を繰り返す。青春時における中国民主化運動の挫折、そしてその後日本で理想を断ち切れずに生きる悶々とした姿を描いています。

この父の挫折を繰り返す息子の物語は、不自然です。息子というのは、決して父親を繰り返すものではないからです。むしろ反面教師として、正反対の道を歩むものです。全体を覆うのは、リアリズムというよりは通俗小説の構造と、陳腐な文学表現の氾濫です。これは芸術としての文学ではありません。その文学性は《21流》でしかなく、エロ小説と同位でしかありません。

《想像界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント小説。
《象徴界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント小説。
《現実界》の眼で《21流》のデザイン的エンターテイメント小説。


芥川賞の審査員の選評でも、石原慎太郎、村上龍、宮本輝、山田詠美は、痛烈に、「時が滲む朝」の通俗性と陳腐さを批判しています。私もこの批判には同意します。私も、文学的な低さを、ひどい《21流》ものであると感じつつ読んだのです。

それに対して、高樹のぶ子、池澤夏樹、黒井千次らは、この小説を評価し支持したのです。なによりも小説として、書くべきものを持ているこの中国人文学者への、共感を示したのです。この評価もまた、正当なものであり、私も同意するのです。

私の場合、実は美術作品として、中国現代美術の《21流》のデザイン的エンターテイメントでしかない下品さを多く見て来ています。そして今回の《21流》文学です。そうした《21流》という領域の問題として見ているので、軽蔑しつつもまた、より深い人類的な文明の至りつく通俗性として読んだのです。

どうしようもない陳腐さと通俗性のなかで、しかし楊逸(ヤンイー)は、文学を超える何かを、伝えているのです。言い換えれば、通俗な《21流》であってもなお文学であり、文化であり、そこには根源的な何かが存在するのです。読むことによって、私は根本的に変化した自分を感じることが出来ました。尾崎豊をカラオケで歌う中国人の鬱積した気持ちは、メロドラマに過ぎないからこそ、私を撃ったのであります。尾崎豊もまた、陳腐な青春の挫折に過ぎないのですが、しかしその日本のロックンロールには、真性の芸術表現がありました。これに共感する中国人の挫折した人生の陳腐な涙に、私は楊逸(ヤンイー)の文学に対する信頼を見たのです。そうしたこと、つまり《21流》文学の中に潜む正当性の鈍い光に、私は深い共感をもったのです。それはロックで言えば、ヘルメットの最初のアルバムがもつ《21流》ロックの、暗さへの共感と重なります。閉塞した《21流》のどぶ泥の人生世界は、確かに人間の地獄を描き出しているのです。同様に楊逸(ヤンイー)の文学は、《21流》の陳腐さにおいて、閉塞した中国人の人生の敗北と挫折を描き出していることに成功しているのです。救いの無い世界、そこに、何よりも楊逸(ヤンイー)という文学者が人間として偉大性を持っているゆえに下支えして書き終えているなにかの輝きとエネルギーがあるのです。


この小説は、気体小説です。古めかしいリアリズムの作風にもかかわらず、根本的に新しい文学と言わなければなりません。その新しさは、日本語という外国語で描く中国人の物語と言う、前人未踏の文学領域を切り開いた事においてです。それが単に事実としてあるのではなくて、芸術としての文学としてあるのです。その意味で『時が滲む朝は、通俗小説という形式と現実を、そのままに反転して、高度の芸術文学として成立している、と言うべきであります。このデュシャンの便器を思わせる反転と転倒の反芸術的文学作品として見るとき、この小説の今日的な価値を理解することが出来ます。このことは高く評価されるべきだし、何よりも読者として私は、言葉になしえない深い部分の変容を体験した思いがあります。今日のグローバリゼーションの体験として、この言語体験は極めて画期的であったのです。




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dalico

はじめまして、お気に入りにして拝見しております。
秋山さんの魅力にとりつかれ、勝手に広報部長をしております。
いつか、彦坂さんから見た、秋山祐徳太子氏が何硫なのか、教えて頂けましたら幸いです!
楽しみにしております(最近「天然老人」という本を出し、老人力を炸裂させていらっしゃいます)。
by dalico (2008-09-02 14:22) 

癒し回春エロマッサージ動画

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by 癒し回春エロマッサージ動画 (2011-07-17 03:50) 

レス

この前の件、これですね。チェックしてください。(*´ω`)♂ http://e29.mobi/
by レス (2012-04-13 14:30) 

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