アートとデザインの区別(1/2) [アート論]
Sさんと言う方から、
長文の個人メールで、
ご質問をいただきました。
掲載して良いものかどうかわからないので、
私の返信だけを掲載します。
質問の内容は2つあって、
一つはアートとデザインの区別の問題です。
もう一つは価値の問題です。
価値観というものは、そもそも何なのか?
というものです。
とりあえず、デザインについて、
お返事を書きますので、
それを掲載します。
いままでもこのブログで書いて来た事であって、
目新しい内容でもありません。
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S様
ご質問ありがとうございます。
アートとデザインの区別というのは、普通の意味では、簡単なのです。アートというのは、美術館や画廊でやっているものであって、純粋芸術と呼ばれて、鑑賞を目的として作られています。そしてデザインと言うのは、商業美術であって、ポスターやチラシ、工業デザインなど、実用目的で作られているものです。
このような常識で考える限りでは、かなりの部分が制度的な差異であり、そして鑑賞の目的と、実用の目的に、2分されています。つまり、一つの理解は、こうした制度的・目的別な区分です。
私見では、こうした区分は17世紀頃に出て来たもので、それ以前は分離していない傾向があったと思います。たとえば宗教美術は、宗教の教義を教える目的や、宗教的な礼拝のためのものとして作られているので、実用美術とも言えるのですが、同時に礼拝される中に、鑑賞性も持っているのです。刀剣にしてもそうで、日本刀というのは、実用の殺人目的のほかに、鑑賞や。礼拝性としても日本刀は作られているのです。
現在の情報化社会になると、実用美術と、鑑賞美術の区分が消えて、17世紀以前の混濁した状態になって来ているのです。そのために、アートとデザインの区別は、つきにくくなっています。美術手帖、村上隆特集号に、2つの対談がありました。村上隆さんは、 辻 惟雄氏と、浅田彰氏に、アートとデザインの区別を質問していますが、二人とも明確には答えていません。東京都現代美術館での長谷川 祐子企画の『SPACE FOR YOUR FUTURE――アートとデザインの遺伝子を組み替える』でも、それほど明快な区分や、今日の状況の歴史認識が示されているものでもありません。
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絵画や彫刻がアートであって、ポスターやチラシなどがデザインであると言う、そういう区分だけなら分かりやすいのですが、物事には偽物と言う領域があるので複雑になります。
金の指輪があれば、偽物の金メッキの指輪もある様に、美術家で、本物の芸術ではなくて、偽物の芸術を作る人たちがたくさんいます。
さらにデザイナーの人たちが、絵画や彫刻などの芸術の形式で作品を作り始める様になります。
もう一方で、アートの方でも、ポスターやチラシなどのデザインの形式をつかった芸術を作る者が現れて、ここでも偽物のデザインが生まれてくるのです。
さらに、デザイナーが、デザインの形式の中で芸術化してきて、レベルの高い芸術を作る様になります。
こうして、偽物の芸術と、偽物のデザインが作られる様になります。さらにアートのデザイン化と、デザインのアート化も進行して来ました。
こうしてアートとデザインの区分は次第につかなくなって来ているのです。
(つづく)
更新御苦労さまです。
質問ですが、2日前、記事でフェルメールの絵画が6流の<デザイン的エンターテイメント>とおっしゃっておりましたがいまいち腑に落ちません。
実物を見ていないのでなんとも言えませんが奈良美智や遺跡の壁画と同じ分類にはいる理由がいまいちピンとこないのです。
今までのブログの中でわからない人を納得させるのは難しいと書かれておられましたが、無理迷惑を承知でその判定を解説していただけませんか。
もしよろしければお願いします。
2日前の記事にコメントをつけようかとも思ったのですが、気づいていただけないのではないかと思いこちらにつけさせていただきました。
by na (2008-10-29 20:53)
na様
コメントありがとうございます。ご不審はもっともと思います。たとえば私がカボチャを水だけで煮て食べて、美味いな、と思って、格付けをすると《6流》なのです。《6流》というのは自然領域なので、当然と言えば、当然です。しかしフェルメールと一緒というのは、説得性に欠けるものです。
友人の清水誠一さんは、フェルメールが好きですので、フェルメールが《6流》で、無印良品が《6流》というのは、おかしい、と言うのです。
説明しようとすると、長くなりそうなので、この後は,ブログに移行しますので、それを見て下さい。
by ヒコ (2008-10-29 22:47)