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アートの暴落と、危機管理新体制の創出の可能性(加筆1) [アート論]

『新美術新聞』という旧画壇の業界新聞で、
どなたが、今回の経済危機と、アートバブルの関係を指摘されていたが、
確かに、同じ構造をしていただろうとは、
考えられます。

日本経済新聞の2008/10/25日では、
「金融危機、文化にも波及 しぼむアジアの美術市場」と言う大きな記事が
出ていました。
リーマンブラザーズが破綻した4日後の9月19日の開催された
韓国のアートフェア:KIFAは資金収縮に見舞われ、
昨年の8割の売り上げ、それでも14億円となったというのです。

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10月4日、5日に開かれた香港のササビーズでは、
中国現代美術が、予定入札価格の最低額に届かず、
3分の2が不落札となりました。
これはすでに、このブログでも、コメントに書き込んで下さっている方が、
いました。

それでもアジア現代美術全体の売り上げは、
約29億8000万円です。
この高額でも、昨年の3割減であったというのです。

もっとも、先日の11月28日に行われた
ザ・マーケットという日本のオークションでは、
売り上げ総額が1億円ちょっとと、噂で聞いています。

日本の現代美術専門のオークションとしては
新参ながらトップの売り上げを誇って来ていましたが、
規模的には、日本の美術市場の小ささが、
実感される数字です。

この今回のザ・マーケットの売り上げは、
落札率53%で、高額作品は不落であったと、
電話でですが聞きました。
サイトで確認しようとしましたが、できませんでした。

もう一人の友人のウオッチャーと、
別の打ち合わせのついでにこの話になって、
李 禹煥の作品が、全部不落札であったこと、
草間弥生の作品が安いので、
ショックを受けたと言っていました。

このオークションでは、
草間弥生の大コレクターが、膨大な作品を、
一挙に投げ売りに入っていたのです。
そのために、わざわざ別冊のカタログが作られていました。

昨年の秋から、
草間の価格が下落し始めて、
1/4くらいになってきたので、
投げ売りになったのでしょうか?

オークション開催直前に、
草間弥生の作品の予定入札価格の最低額を下げたために、
なおさら、価格が下がったのです。

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アジアのアートバブルの大きな買い手は、
欧米の富裕層であったので、
ドルの下落と、ユーロの下落も合わさって、
急速にしぼみだしているのです。

ザ・オークションでも、欧米の買い手の存在は大きかったのですが、

それが消えたのです。

つまり経済危機は、
株安だけでなくて、
ドルや、ユーロの下落、
円の高騰によても、
日本のアートバブルの縮小化が起きるのです。

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私自身は、幸か不幸か、
オークションには何回かは出ていますが、
まったくの安値で、
正当な扱いは受けてこなかったので、
こういう事態はむしろ歓迎するものです。

いわゆる美術批評を無視して、
悪い作品が異常な高値で取引されることを繰り返すのは、
欧米のオークションでも同様であったのであって、
この暴走が、
実はハイリスク・ハイリターンの金融商品と同位のものであったことが、
今回露呈して、
アートバブルが崩壊することは、
私の腑に落ちるものであるからです。

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サブプライムローンの問題の解説を、
少しですが読んでいて、
私の視点で一番示唆を受けたのは、
酒井良清(金融論/神奈川大学教授)が書いていた、
経済教室:金融危機と世界6の「危機管理 新体制創出を」という文章でした。
(日本経済新聞2008/10/21)

酒井氏は、サブプラムローンの情報構造が、

銀行が、企業にお金を貸す《相対取引》と、

金融商品を売買する《市場取引》という、

2つの異質な金融取引が接合された所にあると言うのです。
そのためにカオスが生まれた。

この話は、私の作品制作にも当てはまる事でして、
最近は油彩絵具と,水性のアクリル絵具を1点の作品の中で併用しているのですが、
信じられないほどに、間違えるのです。
それこそ、油絵絵の具と、水性アクリル絵の具を、
混ぜて使おうとする様なミスが、
無意識の中で、起きるのです。

2という、異質なものの接合では、
カオスに満ちた情報化社会の構造が出現するという事です。

その意味で、美術の売買も、
従来のプライマリー画廊が、
顔の見えるお客さんに売る《相対取引》と、
オークションという博打場のような《市場取引》という
2つの異質な美術品取引が接合されたために、
カオスが生まれ
芸術性が低いか、無いデザイン作品の異様な高騰を
生んだのです。

このことは、画廊での個展という《相対取引》の中で育って故に、
それ以外の世界をしらない、
つまりオークションという《市場取引》の
原理的な異質性を知らない故に、
十分な対策をとるすべの無かった私のような作家に、
反省を強いる認識でもあるのです。

《市場取引》において高額化した作家は、
河原温、草間弥生、李 禹煥、・・・ロッカクアヤコに至まで、
圧倒的に、デザイン的エンターテイメントの作家なのです。

つまり《市場取引》というのは、
商品でいえば、大量生産品=デザインなのです。

ラーメンでいえば、店で食べるのが《相対取引》で、
インスタント・ラーメンが、《市場取引》なのです。
つまり河原温の作品は、インスタント・ラーメンであります。
草間弥生の作品はインスタント・ラーメンであり、
李 禹煥の作品もインスタント・ラーメンなのです。
同様にロッカクアヤコも、インスタント・ラーメンなのです。

しかし、現実は複雑なのであって、
市場に流通にのるのは、
インスタント・ラーメンだけではありません。
冷凍食品もあるのです。
ダミアンハーストが1988年にフリーズ展でデビューして注目を
集めたのは、まさにfreezeという凍る, 氷結という意味が
潜在していて、冷凍食品的な作品による《市場取引》であったのではないでしょうか。
(もちろん、フリーズ展と冷凍食品の市場性をかけた、シャレで言っているのですが・・・)
このフリーズ展で評判になったのは、作品以上に、
デザインの水準の高さだったのです。
そして広告代理店のサッチアンドサッチが、彼についたのです。

シャレを続ければ、食物で市場に乗せる代表的なものは、
缶詰であったわけで、
アンディ・ウォーホルのキャンベルスープは、そういう意味で、
古典的なまでの《市場取引》の代表作だったのです。
そういう意味で、アンディ・ウォーホルの登場が、
《市場取引》としての美術作品=デザイン化された芸術の領域を切り開いたと言えるかもしれません。
実際、アンディ・ウォーホルはデザイナー出身でありました。


《相対取引》
《市場取引》

この2つの異質な構造の接合によるカオス的な構造

酒井氏記事は、
こうしたカオスの複雑系の金融取引の世界を、
危機管理する新しいシステムを作るべきだとする論調であります。

いま、《市場取引》の例としてインスタン・トラーメンや、
冷凍食品、缶詰をあげましたが、
しかし生鮮食品も市場に乗っているのであって、
その美術に対応するのは、
アートフェアと言えるでしょう。

アートフェアは、生鮮食品の市場なのです。
しかし市場に生産食品を乗せるには、
サイズの規格などが必要です。

トマトにしても、サイズごとに分類し、
規格外は、はじかれるのです。

キュウリも、曲がったキュウリがはじかれて、
わざわざ、まっすぐのキュウリをつくるために、錘りを下げるのです。

虫食いの野菜は嫌われるので、
市場に乗せるためには、農薬で消毒された、
虫も食わないキャベツが作られるのです。

こうして、生鮮野菜の市場もまた、
インスタントラーメンや冷凍食品、缶詰と同じ様な、
企画化の操作を潜った、デザイン化されたものしか、
流通できないのですが、
同様に市場化のメカニズムが、
今日の美術家の作品に、善かれ悪しかれ要求されています。

美術作品の中で、市場化の操作を潜ったものだけが、
アートフェアで成功するのです。

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しかし《相対取引》の美術作品もあるのです。
しかしこれも、情報化時代の中で、
《相対取引》の枠組は、従来の画廊の個展の内容から変貌したのです

《相対取引》の美術作品は、
国際展という形で、展開されて行きます。
あるいは、野外展です。

ここでは流通市場の流通性の否定が、積極的な意味を帯びます。
流通という移動性が否定されて、
インスタレーションが新しい形式となります。
そこでは一時的(テンポラリー)な作品が重視され、
設置場所に固有サイトスペシフィック)な作品まで、
現れます。
それらは映像インスタレーションでも、
写真インスタレーションでも、
《市場取引》的な流通的な形態とは言えない、
インスタレーションの形式性が、
重要なものになったのです。

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つまり、近代のタブローの絵画や彫刻という形式と結びついた芸術が否定されて、
一方は《市場取引》の場に適応するデザイン化した作品へと変貌しました。


もう一つは、《相対取引》としての国際展/野外展という形式に還元されて、
近代のタブローの絵画や彫刻という形式と結びついた芸術が否定されて、
一時的(テンポラリー)なインスタレーションに、深い意味が見いだされ、
設置場所に固有(サイトスペシフィック)な作品が繁栄する様になったのです。

国際展や野外点では、一時的(テンポラリー)、あるいは固有(サイトスペシフィック)な、インスタレーションだけしか事実上、美術作品として、認められない傾向が強いのですね。

そして従来の《真性の芸術》性を重視した絵画や彫刻といったものは、
国際展の中心から排除されたのです。

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つまりキャンバス絵画を描いたとしても、
それがデザイン化でない限り、《市場取引》の対象にはならないのです。
デザイン化が基本であったのです。
デザイン化が、いかに芸術化の風味を持ったものになるかが問題なのです。

こうした状況の中で、
芸術をいかに生き延びさせえるのかを、
より緻密に考える必要があるのです。


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『美術市場における危機管理の新体制の創出』という視点で、
過激と言うか、
ほとんどドンキホーテ的な異論を主張し続けて来たのが、
タマダプロジェクト・コーポレーションの玉田俊雄氏です。

作品が高騰しすぎるのは良く無いから、
途中でストップをかけるとか、

売買の利益から、恵まれないアジアの貧困層の子供たちへの寄付をするとか、

そういう馬鹿馬鹿しいほど正しいことを、
本気で主張することを繰り返して来ていたのです。

日本の多くのギャラリストは、
彼を相手にしなかったのではないでしょうか。

私自身は、玉田俊雄さんとは、
2003年から5年もつきあってきています。
それはこうした異論を主張し続ける、
ほとんど空想的な思考をする人物の魅力に、
何かを感じて来たからです。

その玉田俊雄さんが上海で、
彼の考えるオークションを開くというのです。
しかも、もうすぐです。
この世界的経済危機の中で、
開くのは、最悪と言えます。

普通に考えれば99%失敗すると思えるし,
何よりも、実際に開催できるのか?
という疑いも根強くあります。

しかし、私の生き方は、
少数意見を言う人々への信頼にあります。
古くはソクラテスや、アリストテレス、
エックハルト、
パスカル、
キルケゴール
本居宣長
内村鑑三
ブーバー
フッサール
ラカン

玉田俊雄さんが、これらの思想家に比肩するという事は、
まったくありませんが、
しかしギャラリストとしては異様な人で、
ほら吹き、夢想家としか言いようのない人ですが、
私はそこに1%の奇跡の可能性を見るのです。

HIKOSAKA.jpg
彦坂尚嘉 グジャグジャ君(規制された自動記述#3)  2005年
キャンバスに油彩。 227.3×145,4(150号M) 


出品作品の展覧会歴


2005年 秘伝ディメンション展(タマダプロジェクト)

2006年 個展 ギャラリー手(東京、京橋)

                 GEISAI #10A(東京ビッグサイト)

2007年 彦坂尚嘉回顧展(ソフトマシーン美術館、香川)


そのオークションへの出品する150号の作品を1点、
本日取りに来ます。

段ボールの箱に入っているのを、
久しぶりに開けて見ましたが、良い作品で、
手伝ってくれた山口麻衣さんが、
「実物の方が、やはり良いですね」と言ってくれた。
150号のキャンバスを独りで動かせないわけではないが、
段ボールで梱包されていて、
置かれている場所が、奥の方だと、
とても独りでなんとかなるものではない。

リスクで考えれば、
150号の作品を1点失う、
あるいは売れてもお金が入ってこない、
そういうレベルです。

実物の自分の作品を見てしまうと、
作品そのものへの執着心はあって、
売りたくなりますし、
何よりも失いたくは無いです。

作品そのものは、デザイン化されていませんから、
市場にのるようなものではありません。

喪失を覚悟しても、
常識をはるかに超えて、
この時期に、美術市場の危機管理新体制創出に乗り出す、
玉田俊雄さんの危ない勇気に、同伴をしようと思うのです。

しかし、デザイン化されていない限り、
玉田俊雄さんが考える新しい市場でも通用はしないでしょう。
それでも、玉田さんとつきあってみる。

船が沈むなら、一緒に沈む、
それが同伴という意味です。

逃げる人は、賢明な人ではありますが、
私の生き方は、愚昧なのです。

沈んで行く中で、
次の展開を考えてみるという事でしょうか。




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コメント 4

通りすがりの美術ファン

はじめまして美術ファンです。
彦坂さんの文章は面白いのですがこと経済やマーケットに関わることにはロマンチックすぎると感じます。高騰にストップをかけることは市場ではマーケットブレーカーといって市場に人工的にストレスを残すということで投資家から嫌われています。古くから美術品は王族や権力者、公共という名のパワーにおもねったり遊ばれたりして歴史を生き延びる宿命だと思います。高値掴みしたコレクターには残酷ですがマーケットとはそういうもので、その点でいえば美術ファンは現実に対してあまりにもナイーブすぎやしないか?

作家がオークションに直接出品するなど禁じ手ですよ。これこそ相対取り引き(プライマリー)と市場取引(セカンダリー)を積極的に混同させています。さきのダミアン・ハーストはそのリスクを一人引き受けて幸い成功したけれど、彦坂さんはどれだけの覚悟があるのか。責任はオークション主催者に帰するのでしょうか?主催者が言うチャリティという文言はこの矛盾を隠匿しようとしているようだ。

市場はいつも行き過ぎてクラッシュする。その繰り返しです。シンワオークションやもう一つの日本のオークションが今回香港マカオで競売を開催しますが彦坂さんが出品するオークションが一番アマチュアな姿勢です。時期が悪くどのオークションも成功しないでしょうがドンキホーテを書いたセルバンテスが言いたかったことを学んでほしい。プライマリーギャラリーがオークションを主催すること、またそれに賛同して直接作品を出品する作家がいることこそ失望に値します。
by 通りすがりの美術ファン (2008-11-25 01:09) 

ヒコ

通りすがりの美術ファン様

コメントありがとうございます。
「マーケットブレーカー」のご指摘は、私も同感です。これを主張しているのは私ではなくて、玉田俊雄さんです。

玉田俊雄さんの主張を、私の意見と誤解させるように書いてしまったようですが、私は、玉田俊雄さんの考えは無理と思いますが,しかし異論を唱える事は支持するのです。

チャリティへの疑問も、同感です。偽善に感じます。

作品を私が出品しているのではありません。
玉田俊雄さんが出品しているのです。
誤解されても仕方がありませんが、ご指摘と同じ考えを私も持っています。

しかしそのことと、玉田俊雄さんというアマチュアでドンキホーテと付き合うという事は違います。

付き合うしかない、関係があるからです。
by ヒコ (2008-11-28 02:19) 

一業界人

彦坂さんが上記をお書きになってから、早一年半が経ちましたが、
今現在、玉田さんの暴走は止まることを知らず、

もはや業界内の誰も玉田さんを相手にしていないようです。
「偽善家」との評価も定着していますしね。

彼を支持しているのは、身内だけでしょう・・・


by 一業界人 (2010-05-25 14:10) 

ヒコ

一業界人様

コメントありがとうございます。
今回の『空想 空想皇居美術館』出版記念展では、タマダプロジェクトにご厄介になりましたが、これはこのプロジェクトを発表したのが、玉田俊雄さんが呼びかけて集まったNPOの準備会であったからです。ここで五十嵐太郎さんと私がであう事で、大きく展開したと言う経緯があります。
このことと、最近も玉田俊雄さんが企画している沖縄等々のプロジェクトは、関係がありません。それに関しては、私も支持していません。
玉田俊雄さんの構想に3度付き合った経験で言えば、再び彼を支持する事は、現実の中では不可能です。空想の中に生きておられるように見えます。ですので一業界人さんのご指摘に同感するものです。『偽善家』というよりも、もっと低いレベルのものと思います。
by ヒコ (2010-05-26 09:42) 

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