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見た目9割/オバマの演説分析(改稿2) [顔/政治家]

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昨晩、ニューヨーク在住の美術史家・富井玲子さんと電話で話していて、

いくつかの話題の中に、オバマに対する評価の問題がありました。
 
彼女はオバマを評価していて、
私は一貫して批判的ですが、
しかし、だからと言って私が共和党支持者であるわけでなくて、
マケインは、まったく問題にしていなかったので、
このブログでは顔も取り上げませんでした。

「黒い米国もない。白い米国もない。アジア系の米国もない。中南米系の米国もない。あるのはアメリカ合衆国のみだ」
 
オバマの演説の巧さは、
私も巧いと思いますが,
ここにあるのは、伝統的と言っても良い、
アメリカ一国主義の主張なのです。
アメリカの大統領選であるのだからそれで良いのですが、
しかしなお、このアメリカ合衆国だけを切り出して、孤立させて語る主張は、
日本に住む私には、面白い物ではありません。

この部分について、コメントをいただきました。

「黒い米国もない。白い米国もない。アジア系の米国もない。中南米系の米国もない。あるのはアメリカ合衆国のみだ」

この翻訳ですが、最後のところは
the united states of america
で、確かに「アメリカ合衆国」という訳は間違ってはいないでしょうが、
言葉の多義性でいうと、
black americans
white americans
asian americans
hispanic/latin americans
が団結・集結した(united)アメリカ、があるのだ、
という、unityのメッセージ、だとアメリカ人の耳には聞こえます。 
by NY GAL (2008-11-17 02:11)  

NY GALさん、ありがとうございます。
ご指摘で、私も良く分かりました。
そうですね。
合衆国というコンセプトを、
人種的差異を超えるものとして、
語ったいたのですね。

もっとも日本の首相が、同じ様な演説をする日を夢見たいですね。

在日朝鮮人の日本国もない。台湾系の日本国もない。沖縄の日本国もない。アイヌ系の日本国もない。アメリカ系の日本国もない。ブラジル系の日本国もない。あるのは日本国のみだ

このように言い換えた時に、奇妙な感覚を感じないでしょうか。
日本国という国家主義が、異様に強く抽象化するのです。
この奇妙な感覚に問題があります。
だからこそ、オバマの手法に対して批判的なのです。

NY GALさんのご指摘があったので、この部分も変えなければならないのですが、ただ私の感覚の基本は、それほどには訂正を必要としません。アメリカ合衆国というのは、日本人が考える国家ではないのです。日本人が考える国家というレベルは、各州です。州のレベルが、国家であって,アメリカ合衆国は、こういう国家を統合したスーパー国家というか、メタ国家なのです。このメタ性を、オバマの演説は、巧みに表現しています。

日本が、在日朝鮮人や、非差別部落、アイヌ、沖縄の人々を、差別する事無く、大日本社会を形成するためには、メタ
レベルの国家形成をしなければならないのですが、しかしそれが超国家主義として現れる時に、右翼的なファシズムにしか見えなくなります。

NY GALさんの鋭いご指摘で、よりはっきりしたのですが、オバマという人は、このメタの水準が良く見える人なのだと思います。抽象度が高いのですね。その抽象度の高さが,現実の政治の具体性に降りて行った時に、どうなるかという事だと思います。つまり図式的に言えば3種類の現実があります。
【現実のメタレベル/現実/個別現実】

たとえば安藤美姫のように8歳で父親を交通事故で亡くしたとします。
こういう人々を救済する法律を作ると言う次元が、現実のメタレベルです。
そして8歳で父親を交通事故で亡くしたという社会的な事実の次元があります。
この社会的な事実の次元と、当事者の遺族の個別の現実性は違うのです。

こうした多様な現実を抱えながら政治家は、
大所高所にたって政治をしていくのですが、
常に個別の現実に突き戻され、
オバマ自身がまた、個別の現実を生きるかないのです。
その両極を生きて行く時に、
オバマの顔に、《想像界》の人格しか私には、見えないことが、
評価できないのです。
《現実界》と《象徴界》を欠いて、
大きな政治が巧くなし得るとは、私には考えられないからです。

だからと言って、私の貧しい英語力で、
オバマの演説の構成を分析する力はありません。
 
気になっていて、
たまたま見つけたサイトで、
簡潔にオバマの演説を、私の望む文脈で分析しているものを、
見つけましたので、
それを紹介しながら、
語りたいと思います。
 

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オバマ上院議員の演説に達人の技を見た!

Friday, 4 January 2008 · 0 Comments · Leadership

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オバマ議員のアイオワ州での勝利スピーチがすごい。

政治的な中身は別にしても、構成とメッセージ性でこれほど秀逸に作られたスピーチはここ最近なかった気がします。(後略)

【出典】http://lifehacking.jp/2008/01/obama-speech/

たしかにオバマのスピーチは、秀逸なのです。しかし秀逸なスピーチというのには、問題があるのです。彦坂尚嘉が、一貫してオバマを批判するのは、この《想像界》を
巧みにあやつるポピュリスト(大衆迎合主義者)としての性格です。そこには人を騙(だま)す技術が高度に使われていいます。騙(だま)すことが政治であり、経済を稼働させているとは言えます。だから騙すということを、単純に素朴にいけないと言っているわけではありませんが、しかしケネディを彷彿とさせるファンタジックな政治性に、私はアレルギーというか、不信感を持つのです。
 barack-hussein-obama-1.jpg
芸術においてポピュリスト(大衆迎合主義者)というのは、
ポップアーティストであると言う事です。
アンディ・ウォーホルやダミアン・ハースト、村上隆はポピュリスト(大衆迎合主義者)です。

似ていて、同じ様なアーティストに見られますが、ジェフ・クーンズは、実はポピュリスト(大衆迎合主義者)の作品ではないのです。こういうと、同意しない人が多くいるだろうし、ジェフ・クーンズに嫌悪感を持っている人も多いと思うのですが、彼の作品は、最近の絵画を除いてですが、硬質な《ハイアート》であるものが多いのです。

《ローアート》の題材を使いながら、それを《ハイアート》に転化してしまっている。同じ事を別の言葉で言い直せば、ポピュリスト的に振る舞いながら、エリート主義に転倒するサーカスをやっている。

ジェフ・クーンズのすべての作品を認めるまでには、私は柔軟ではありませんが、しかし、私は、ジェフ・クーンズの作品は、高く評価しているのです。つまり《ローアート》と《ハイアート》の混合、ポピュリズムとエリート主義の折衷というカオス化への可能性を垣間見ているのです。
 


obama_mediana.jpg

今日の人間の状況というのは、私自身も含めてですが無知無能な人々の集合になってしまって、民主主義というものが愚民政治になってしまっているというのは事実です。

知的教育を受けていない人、恐怖や怒りなどの個人の損得感情に影響されやすい非理性的な人が、多数の有権者となると、民主主義というのは、結果として衆愚政治となります。

人々は《想像界》に比重を置いた人格を持っていて、《6流》のものに強く反応するのであって、そういう意味では、民主主義は、必然的に衆愚政治であることに、耐えて行かなければなりません。つまり私は民主主義を否定して、他の政治体制に変える事を目指しているのではなくて、民主主義の衆愚政治に耐えて行く方法を考えるという立場なのです。
 
そのことはアートに対しても起きていて、芸術教育を受けていない人や、個人の嗜好性に影響されやすい非理性的な観客がコレクターになると、現代美術というのは、結果として衆愚アートになります。

政治とアートの両方がポピュリズム化していくことは避け得ないし、それを一概に否定できるとは思っていないのです。子供たちは本を読まなくなっているし、公立小学校の教育水準は崩壊して来ています。先生の人数も十分に確保できない状態になってきている。知人の小学校教師も、定年前に、教育意欲を失って止めている。日本人の衆愚化は、止めどなく進んで行きます。これを止める方法は、見いだせないのです。当面、私たちは、これに耐えて行くしか無い。したがって、政治のポピュリズム化と、アートの衆愚化も避け得ないのであって、冗談のようなひどい政治家に政治をまかせ、ひどいデザイン的エンターテイメントを芸術と錯誤して鑑賞していくしかないのです。

暗い話です。明るい光は見えないのです。したがって、この闇を見つめる中で、可能性を生産して行かなければならない。つまり絶望の闇に適応して行く必要があるのです。

今日の現代アートは、愚民アートになってしまっているというのは事実なのです。このこととオバマの登場は連動しているのです。オバマは、奈良美智のような政治家なのです。
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オバマの衆愚政治の危険性と破綻への視点を欠いては、彦坂流の考現学的な視点からの歴史批評は成立しません。予言は決して当たらないというリスクをおかしてもなお、未来の破綻を警告しておく必要があるのです。
 
しかし、一方で現代アートの衆愚アート化を分析し、芸術批評として記述して行こうと言う彦坂尚嘉の批評は、新しい芸術の可能性の模索であって、単なる古い芸術至上主義への回帰ではないのです。

情報化社会の人間が無知無能化していくことは避けられない事であって、それは同時に現代アートの衆愚アート化も避け得ないことを意味するのです。その事実を事実として認め、絶望の闇に適応しながらも、しかしなお、それを乗り越えて行く方法の探求と、そして《真性の芸術》を必要とする少数者への期待を失わない努力なのです。

さて、オバマの演説の分析です。

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 たった14分間のこのスピーチには、キング牧師やケネディ大統領のスピーチを十分に研究した構成、候補者指名と大統領選挙を見越した戦略性、そして浮動票に訴える強いメッセージ性のすべてが入っていてうならされます。

政治的な内容はさておき、この完璧なスピーチの何がすごかったのかを分解してみます。

構成

約 14分間のスピーチは全部で4カ所に分かれています。

最初の6分ほど:「みなさんは今日、アメリカは分裂しているべきではないと声を一つにした」「みなさんは今日、大企業やロビイストではなく、普通の人が主役なのだと言ったのだ」という具合に、「私が」ではなく、票を投じた「あなたたちは」という聞き手を主役にすえる文章が続きます。「あなた」= 「聴衆」に主眼をおくことで、聞き手を引き込むテクニックです。 また、ここでは時勢は「完了形」であることにも注目です。

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このテクニックは、なるほどと思います。「あなたたち」を主語にして語るというのです。観客の側に立って、その観客の欲望として語って行くのです。

そして、前回のジョージ・ブッシュとアル・ゴアの選挙によるアメリカの分裂を乗り越えようとする演説の主張は、政治的には極めて正当であるとともに、選挙戦略的にも正解であるのです。この正解を、巧みな演説技術を駆使して展開する。この巧みさのどこも悪くは無いのですが、しかし、その統合への意思の中に、嘘の匂いを、私は感じるのです。

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政治概念的にはポピュリスト(大衆迎合主義者)の反対概念はエリート主義(elitism)です。私はポピュリスト(大衆迎合主義者)ではないし、そしてエリート主義でもないのです。その総合化を目指していると、自分では思ています。エリート主義を批判すると、素人主義になるのですが、今日のオバマの登場を支えたのは、この素人主義であって、その素人に語りかける時に、この「あなたたちは」という語りかけと、誘導の技術が必要なのです。

美術作品で、この「あなたたちは」という語りかけの誘導技術は《6流》の領域です。《6流》の美術のポピュリスト的重要性は、次回に用意している尾形光琳や酒井抱一について考えるブログで触れたいと思います。

 さて、オバマの演説の分析は続きます。

 中盤の2分ほど:「今日票を投じてくれた人、スタッフ、家族に感謝する」と、感謝の言葉をいれて話をいったん切っています。これはスピーチの最後にもごもごと謝辞を言わなくてすむようにするためであるとともに、観衆に声援を送らせて話題を切り替えるチャンスを作る、構成上の一石二鳥のテクニックです。

後半の4分ほど:「みなさんはいつか今日、この日、この場所で、歴史がかわったことを思い出すだろう」と繰り返し同じメッセージが繰り返されます。ここから文の主語が少しずつ「あなた」から「私たち」にシフトしています。また、聴衆に私が大統領になれば未来はこうなるだろう、という具合に文の時勢が「未来」にシフトします。これはもちろん、ニューハンプシャー州と大統領選挙をにらんだ未来形です。

締めくくりの 2分ほど:「希望とは、アメリカの礎である。それはよりよい未来を作れるという確信であり、共和党と民主党に分裂したこの国を、そして世界をより正しい方向に導けるという信念なのだ」という「希望」に関するメッセージで締めくくります。感情に訴える表現は、(事実であるかどうかは別として)これまで共和党支持者だった人と、若い人々を動かすためのものです。事実、今回のアイオワでは30歳以下の党員の65%がオバマ議員に投じているので、自分は分裂したアメリカをまとめあげる人間なのだと言うイメージを植え付けることで、浮動票を取り込む戦略です。

4カ所に分けてあるのは一つの話の流れを長くても3、4分にして、流れをつかみやすくするための工夫だと考えられます。 主語が「あなた」から「私たち」に、時勢が「完了形」から「未来形」にシフトしているのは、まず今日の成果をおさえて、次に5日後に向けて自分が「私たち」の統率者だというイメージを作り上げようとしているのだと考えられます。(中略)

よーく論理的に読んでみると、オバマ議員のスピーチには論理の飛躍や、現時点で保証できるはずもない約束をしている部分がたくさんあるのですが、人は見た目が9割という理屈でいくなら、このスピーチをきいて心を動かさない人はなかなかいないでしょう。

見た目9割のイメージ喚起力と、首尾一貫した論理的バックアップを併せ持っているスピーチが最強のものだとあらためて思いました。(後略)

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この分析者は触れていませんが、オバマの演説の声の高低の使い方、手の動かし方も含めて、巧いのです。
見た目が9割というのは、衆愚政治としての民主主義社会では必然です。それは同時に芸術においても同様で、芸術の本質を問題にするのではなくて、単に見た目の了解のつきやすさが重要で、今日ではポピュリスト(大衆迎合主義者)の衆愚アートが、評価されるのです。その結果としてデザイン的エンターテイメントでしかない中国現代絵画が高額に跳ね上がり、アートバブルを先導した。奈良美智や会田誠の人気作品も、大同小異であって、こうした作品が受けて行った衆愚アート化は、これは事実であったのです。この事実を認めなければならない。

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さて、この分析者が取り上げたアイオワの勝利スピーチの演説の訳を次に引用しておきます。

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オバマ候補の勝利演説
大統領選挙の為の党員集会がアイオワ州で1月3日行われた。その夜のオバマ候補の勝利演説
【出典】http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/America/original.htm#2008

  ありがとう、アイオワ皆さんも知ってのとおり、この日は決して来ないと言われていた。我々の照準は高すぎると言われていた。アメリカはあまりにも分裂している、共通の目的に団結する事に幻滅していると言われていた。

 しかし、この1月の夜(200813日)-歴史における決定的な瞬間に-皮肉屋が我々はできないと言った事を、あなた方は成し遂げた。ニューハンプシャー州の5日間でできる事をあなた方は成し遂げた。5日後、ニューハンプシャー州の予備選挙がある)

 アメリカがこの新しい年2008年にできる事をあなた方は成し遂げた。学校や教会に伸びる行列に、アイオワ州は党員集会なので、民主党支持者は学校や教会に集まった)小さな町、大きな都市で、あなた方は民主党員として共和党員として無党派として集まって、立ち上がり我々は一つの国民であり、一つの人民であり、変化の為の我々の時が来たと言った。(民主党の予備選挙の有権者は選挙人登録をすれば、党籍がなくても可能。)

 あなた方は言った。アメリカ政府を消耗させている、苦しい事、ささいな事、怒りを乗り越える時が来た。分裂に関する政治的な戦略を終わらせる、代わりに付加しよう。赤い州と青い州に伸びる変化の為の連合を打ち建てよう。(赤は共和党のシンボルカラー、保守的。青は民主党のシンボルカラー、リベラルを意味する。アメリカ国旗は赤と青でできている。)

 なぜなら、それが我々が11月に勝つ方法であり、大統領選挙の本選は2008114日)国民として我々が直面する課題に最終的に出会う方法だからだ。

 我々は恐怖を乗り越えて希望を選んでいる。分裂を乗り越えて統一を選んでいる。そして、変化がアメリカに来るという力強いメッセージを送っている。

 あなた方は言った。金と影響力だけを考えるロビイスト、我々の声より大きな声のロビイストに言うべき時が来た。彼らが政府を所有しているのではない。我々が政府を所有している。政府を取り戻す為に我々はここにいる。と言うべき時が来た。

【続きは下記をクリックして下さい】

 

我々が直面している選択と挑戦に正直な大統領の為の時が来た。あなたの言う事に耳を貸し、意見が合わない時でさえ、あなたから学ぼうとし、あなたが聞きたい事を言うのではなく、知る必要がある事を言ってくれる大統領。今夜アイオワが与えてくれたのと同じようなチャンスを、ニューハンプシャーで与えてもらえれば、私はそのような大統領になるだろう。ありがとう。

 私は、全ての独身者に医療保険を手ごろな価格で役に立つものにする大統領になるだろう。イリノイで医療保険を拡充したのと同じ方法で。(オバマ候補はイリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員)民主党員も共和党員も仕事が得られるようにする事で。我々の仕事を海外へ運ぶ企業(国外生産して輸入する企業)への税制優遇措置をやめ、中産階級の減税分をもらうに値する労働者のポケットに入れるだろう。農家と科学者と企業家の才能を利用し、きっぱりと、石油の専制からこの国を自由にするだろう。

 イラク戦争を終わらせ、最終的に軍隊を引き上げ、モラルの信用を取り戻すだろう。911は票を取り込む為のものではなく、21世紀の共通の脅威に対してアメリカと世界を結びつけるようにする挑戦であると、理解している。テロリズムと核兵器の共通の脅威、気候変動、貧困、大量虐殺、病気。今夜、我々はそのアメリカの理想に一歩近づく、あなた方が、アイオワのここで、成し遂げた事によって。後略。私は情報と生物の教師です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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《想像界》の眼で《2流》の《真性の政治家》
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的政治家
《現実界》の眼で《1流》のデザイン的政治家
《想像界》の政治家、気体の政治家
《シリアス政治家》《ハイ政治家》


この演説には、嘘もあるのです。

それを2つだけ指摘すれば、一つは戦争です。オバマは「イラク戦争を終わらせ、最終的に軍隊を引き上げ」る、と言っていますが、しかし、実はアフガニスタンの戦争に対しては、アメリカ軍の増強を主張しているのです。つまりアフガニスタンでは戦争を継続するのです。だがしかし、アフガニスタンという国は、イギリスと戦争をして勝ち、ソヴィエトと戦争をして勝ち、ソヴィエトの崩壊させた国です。この恐ろしい地域と戦争を継続すれば、今度はアメリカが敗北するでしょう。

もう一つは、お金です。

あなた方は言った。金と影響力だけを考えるロビイスト、我々の声より大きな声のロビイストに言うべき時が来た。彼らが政府を所有しているのではない。我々が政府を所有している。政府を取り戻す為に我々はここにいる。と言うべき時が来た」と語っていますが、報道では次の様なオバマの嘘も明るみに出て来ています。

2005年12月に起こった原子力発電企業に関する公害問題で、原子力関連施設の規制強化をオバマは目指したが、業界は反発しロビー活動を強化した。

オバマは業界の修正に応じ、法案を再提出したが、「業界には屈さなかった」とコメントした。

しかし、修正法案の中身は業界に大幅に譲歩したものであった事が、『ニューヨークタイムズ』紙に報じられ明るみに出た

しかも、問題を起こした原子力発電企業の取締役達は、大統領選挙におけるオバマ陣営の最高額献金者リストに加わっている

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

もう一つ、これに関連してあげておきます。

オバマの大統領選時の選挙陣営は「ロビイストからの献金は受け取らない」と宣言していたが、

市民団体の調査では606人の献金者がおり、

その内17人がプロのロビイストだと判明している

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

たくさんあるのですが、もう一つ上げておきます。

大統領選挙期間にインターネットを経由しての少額献金から莫大な選挙資金を獲得したと信じられており、選挙責任者のDavid Plouffeは平均献金額は100ドル以下と話した。

しかしワシントンポスト紙が、連邦選挙管理委員会のデータを詳細に調査した結果、200ドル未満の少額献金者は全体の4分の1に過ぎないことが判明している

これは2004年度の再選キャンペーン時にジョージ・W・ブッシュが獲得した比率よりも低い。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

鈴木其一の絵画が、純粋のデザイン的エンターテイメントでしかないのに、芸術として錯誤して評価をしても、どこかで破綻する様に、オバマもまた、どこかで破綻するのではないのか?
オバマの抱える一番大きな爆弾は、彼の出生の問題です。

2008年8月21日、元ペンシルバニア州検事補のフィリップ・J・バーグ弁護士が、オバマに対して確定訴訟を提起した。

同訴訟は「オバマの出生地はアメリカ領土であるハワイ州ではなくケニアである故、オバマが当時の法律に照らせば出生時点ではアメリカ国籍を有せず、アメリカ憲法上の大統領となる資格を有しない」とし、連邦裁判所において禁止命令等の救済を求めたものである。

一方オバマ側はオバマの元の出生証明書を公表しないまま、2006年発行の出生証明書の一部の記載事項の抄書のみの発表をもって代えており、その点が疑問の根拠とされている

2008年10月9日にはスティーブン・マークイスがワシントン州の選挙管理官を相手取り、同州の裁判所に於いて同様の根拠に基づいての訴訟を提起した

さて、そうは言っても新しい時代が始まります。民主党は日本が嫌いですから、これから日本の政治家は苦労します。日本政府は、共和党との人脈はあるのですが、民主党とは、ほとんど無いと言われています。これも面白い事で、分かりやすく言えば、日本はブッシュ的なのですね。ブッシュ程度となかよくなるレベルの水準の低さなのです。民主党は、よりリベラルで、知的水準が高くて、日本を低く見て、相手にしません。だからこそ、相対的にであれ、日本のアメリカからの独立を勝ち取るチャンスなのです。これからの政治課題は、アメリカと政策的にもぶつかって、不和を作り出して行く事です。


 


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mizuti

個人的には、アフリカ系とヨーロッパ系の混血であるオバマがどうして黒人(アフリカ系)と呼ばれなければならないのか、疑問に思います。
遺伝子の上では混血なのに、人種としては、どうして
ヨーロッパ系+アフリカ系=アフリカ系
ヨーロッパ系+アジア系=アジア系
アジア系+アフリカ系=アフリカ系
なのでしょうか?
まるで、インドのカースト制度みたいに思えます。
そういえば、ヨーロッパ系という言葉はなくて、コーカシアン(ノアの子孫としての正統な人類)という御名前で、白人様をお呼びしなければならないのも、奇妙なものですね。
by mizuti (2008-11-16 16:37) 

ヒコ

mizuti様
コメントありがとうございます。

正しい答えではないかもしれませんが、ミュージックマガジンで音楽批評を少しですが書いていた時期に教えられたのは、スペイン系と、アングロサクソン系では、人種政策が違っていたという事です。

スペイン系は、現地の人間や、アフリカから入れた黒人奴隷と混血して行ったのですが、アングロサクソンは、政策として混血を禁止して行ったというのです。(こうしたことを私は文献的には確認していません)

しかしアングロサクソンのアメリカ人の中でも,建前は禁止していても、事実としては混血が進んで行きました。奴隷の女性を、白人の主人がレイプして、子供を産ませて行ったのです。ですから白人の父親を持つ子供を、新しい奴隷として生産すると言う、奇妙な事態が進行して行きました。この文献としては、白人女性が書いた本があって、農場の中に自分の父親の顔に似た黒人奴隷がいることに、次第に気がついて行くと言う日記文学です。正確な題名を覚えていませんが、この日記は有名で、私も若い時に読みました。

ご質問に間接的にしかお答えできませんが、アメリカ合衆国の中では、こうした混血の問題にダブルバインドがあって、公式に白人の父親を持つ子供を認知できない構造のようなものがあるのではないでしょうか。

インドのカースト制度のようだというのは、まさにそうであって、基本的には白人支配を前提にした、人種の呼称なのだと思います。
つまり肌の色と、社会的な階層性が、どこかで存在し続けるのでしょう。
by ヒコ (2008-11-16 17:17) 

NY GAL

「黒い米国もない。白い米国もない。アジア系の米国もない。中南米系の米国もない。あるのはアメリカ合衆国のみだ」

この翻訳ですが、最後のところは
the united states of america
で、確かに「アメリカ合衆国」という訳は間違ってはいないでしょうが、
言葉の多義性でいうと、
black americans
white americans
asian americans
hispanic/latin americans
が団結・集結した(united)アメリカ、があるのだ、
という、unityのメッセージ、だとアメリカ人の耳には聞こえます。
by NY GAL (2008-11-17 02:11) 

ヒコ

NY GAL様

すばらしいご指摘ありがとうございます。
英語も付記して、日本語も訂正します。
by ヒコ (2008-11-17 09:09) 

丈

アメリカ在住の科学者 藤永茂氏(1926年生、アルバータ大学名誉教授・「アメリカインディアン悲史」の著者)が2月からずっとオバマの思想や政策に懸念を表明されてきています。私には参考になりましたので、ご興味のある方はご覧ください。

http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2008/11/post-b979.html

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2008/02/index.html

by (2008-11-17 16:07) 

丈

藤永茂氏のブログで今期ノーベル経済学賞受賞の
ポール・クルーグマンのコメントが掲載されていましたので
翻訳してみました。

「2008年11月4日火曜日は、永久に
不名誉の反対語としての名誉の日となるだろう。
我々の最初のアフリカ系アメリカ人の大統領の当選が
あなたを奮起させないならば ― それがあなたを涙させ、
あなたの国を誇りに思わないとしたならば、
あなたはどこか間違っている。」

レーガン以後のフリードマン流経済学を批判する急先鋒の
彼程の知識人が手放しで礼賛するのですから
オバマ批判というのもなかなかに難しいのですね。


by (2008-11-17 16:16) 

symplexus

民主党;オバマ氏を次期アメリカ合衆国大統領として選んだ
米国民の選択に対して,国の政治的”指導者”を選挙で選択したことが
一度も無い日本国民が選択の緊張を共有することは難しいと思う
時が有ります.政治的な勝利を目指そうと思えば,あれこれの利害
が対立する選挙民への配慮から,巧妙なレトリックが用いられる
こともあるかもしれません.世俗の知恵が要求される政治の世界は,
論理や明晰が重視される哲学や科学の世界とは異なった難しさ
が有るのでしょう.しかし,このような一般論を考慮しても,国家を
キーワードとして深刻な対立を情緒的に和解させる手法にはおっしゃる
ようにどこか胡散臭いもの,もっと言うなら危険なものを感じます.
このような情緒的スローガンは戦争を前にした時頻発されることを
我々は何度も経験してきたのではないでしょうか.”小異を捨てて
国のもとに団結しよう.我々は同じ国民ではないのか・・・”
金融テロとも喩えられるような爆発的な経済危機の根を世界中に
張り巡らしたのは米国を先頭とする無制限な資本拡張だった
はずです.もし和解をいうなら,国家を超えた和解,異なる
価値観を互いに認めあう調和ある世界を目指すことを自ら
宣言することだと思うのですが.

by symplexus (2008-11-17 23:22) 

ヒコ

コメントありがとうございます。

私は今回の選挙と、その結果を批判しているのではないのです。オバマの存在とその手法は、まやかしであると見えるのです。
それは藤永茂氏の次の様な指摘と、合致する感覚です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■「オバマ現象」は、ごく荒っぽく捉えれば、白人アメリカの「集団ナルシシズム」と表現できるかもしれません。しかし、この表し方には、致命的な誤りがあります。神話のナルシスは水面に映る自らの美しい容姿に恋いこがれて死に至りますが、白人アメリカが本当の自分の美しい姿を映していると信じ込んでいる鏡は、実は、悪魔がかざす魔の鏡であり、そこに映っているのはアメリカの本当の姿ではありません。喩えが安っぽくなり過ぎましたが、「オバマ現象」がアメリカを死に至らしめる病となる可能性は、やはり、否めません。「オバマ現象」は白人アメリカがバラク・オバマを待ちに待ったメシアとして熱狂的に迎えている現象ではなく、黒人の男をアメリカ合衆国大統領として擁立しようと熱心に努力する自分たちの姿こそ、アメリカ白人の心の正しさ、寛容さ、美しさを映すものであるとする自己陶酔、自己欺瞞こそが「オバマ現象」の真髄である−−これが私の言いたい所なのです。■

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このアメリカ人の自己陶酔の自己欺瞞を誘導する詐術が、オバマにはあるのです。

しかし、そうは言っても現実に新しい時代が始まります。それが新しい悪魔であって、時は動いて行くし、私はそれを歓迎するのです。
by ヒコ (2008-11-18 00:01) 

瀬越義満

アメリカに12年以上住んでおり、今回の大統領選を現地でつぶさに追っていた者です。ヒコさんのオバマに対する評価はそれなりにわかるつもりです。

ただ、

”知的教育を受けていない人、恐怖や怒りなどの個人の損得感情に影響されやすい非理性的な人が、多数の有権者となると、民主主義というのは、結果として衆愚政治となります。”

というヒコさんの指摘を最大限に活用してきたのが、ブッシュ・チェイニー共和党の選挙戦略で、そのコンテクストをはずして、今回のオバマ・民主党の勝利を語ることには違和感があります。

”黒人の男をアメリカ合衆国大統領として擁立しようと熱心に努力する自分たちの姿こそ、アメリカ白人の心の正しさ、寛容さ、美しさを映すものであるとする自己陶酔、自己欺瞞こそが「オバマ現象」の真髄である”

という藤永茂氏のご意見は、それこそ想像界だけをベースにしたような、現地に住んでいる者としてはまったく現実感のない、ナルシスティックな深読みです。アメリカ人もそれほどバカではないですよ。

又、オバマの出生地についてですが、強力なクリントン、および共和党の調査網にひっかかってこない(そこでひっかかった時点でオバマはおしまいですから)ということは、問題ないんじゃないでしょうか。




by 瀬越義満 (2008-11-18 19:51) 

瀬越義満

考えているうちに腹が立ってきましたので、もう一言付け加えさせていただきます。

ご存知のように、アメリカはイラクとアフガニスタンで゛戦争をしています。多くのアメリカ人の子供が、孫が、いとこ、甥っ子、姪っ子が戦場で命をさらしているのです。私の女房の甥もイラクの最前線に送り込まれ、幸い無事に戻りましたが、二年たった今もトロウマに苦しんでおります。

経済の破綻によって、失業した知人も複数います。

藤永茂氏のご意見は、そうした現場の切実さにまったく届いていない、平和ボケした想像力の産物としか思えません。

あなたの子供が戦場で命をさらしているときに、”黒人の男をアメリカ合衆国大統領として擁立しようと熱心に努力する自分たちの姿こそ、アメリカ白人の心の正しさ、寛容さ、美しさを映すものであるとする自己陶酔”にひたれるバカがどこの国にいるのですか?




by 瀬越義満 (2008-11-19 07:37) 

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