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大琳派展/尾形光琳 [アート論]

◆◆尾形光琳◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

光琳.jpg
《想像界》の眼で《1流》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《1流》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《一流》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、固体美術
《シリアス・アート》《ハイアート》

この尾形光琳については、書くのがむずかしい。
芸術と、デザインの,
接点に位置するアーティストだからです。

まじめに書こうとするとブログの文章の範囲を超えて、
きちんとした論文にしなければ出来ない。
しかも、その真面目な論文は誰も読まないだろう(笑)。

いや、それ以上に私自身が光琳を勉強し直さなければならないだろう。
個別の研究にのめり込むと、光琳はあまりに大き過ぎる。
専門の研究は専門の美術史家に任せたいのです。

私のやりたいのは、専門性の狭さを超えた広い視野からの歴史批評です。

素朴な疑問です。
何故に、光琳は宗達の風神雷神図を、かなり緻密さで模写し、
しかも模写を超えて、自分の作品として成立させたのか?

ここには、芸術の制作における《模倣の連鎖》の
基本的な動きがあるのです。

《模倣の連鎖》というのは、《ローアート》の基本ですが、
《ハイアート》に於いても、基本なのです。
《模倣の連鎖》の中で、文化の生産は動いて行きます。

《模倣の連鎖》の流れの中に入らない限り、《ハイアート》も、
制作ということは、出来ないのです。


俵屋宗達 風神雷神図屏風 《超1流》・・・《ハイアート》
尾形光琳 風神雷神図屏風 《1流》・・・《ハイアート》
酒井抱一 風神雷神図屏風 《6流》・・・《ローアート》
鈴木其一 風神雷神図襖絵 《6流》・・・《ローアート》

《模倣の連鎖》として琳派は形成されるのですが、
面白い事は、尾形光琳は有名になりますが、
オリジナルの俵屋宗達の風神雷神図屏風の存在は、
忘れられていたと言っても良いのです。

今日でも、俵屋宗達の風神雷神図屏風は、実は有名ではないのです。

私のまわりでも、この絵を軽んじる人は何人も居ます。
そういう人は本物を見てはいません。
図版で見て、あんなもの面白く無いというのです。

絵柄から、《気晴らしアート》の漫画くらいにしか、
思わないようです。

もう一つは、宗達の作品が、装飾芸術である事です。
普通の常識的美学では、装飾は下級のものであって、
装飾を否定して、《真性の芸術》は成立するのであって、
ですから、宗達を軽んじるという評価は、
この常識的な美学からは、必然であるのです。

何故に、装飾であるのに《真性の芸術》たりえるのか?
これについては、ブログを換えて宗達論で考えてみたいと思います。

しかしそれだけでなくて、《超1流》であることが、
宗達を無視させていると思います。
そもそも宗達を、多くの人は尊敬していなくて、
光琳を気にして、紅梅白梅図を見に熱海までは行くくせに、
宗達を重視しない。

ここに、宗達のような《超1流》の芸術が、
多くの人に理解されないし、評価されない。
ないがしろにされて、忘れられて行くという、
基本的なメカニズムが作動しているのです。

何故なのか?

この忘却に芸術の秘密があります。

芸術論はいろいろがありますが、
私の芸術分析は、【フロイト・ラカン的位相からの芸術分析】であります。

私は日本ラカン協会に所属していますが、
そういうことはラカンの言説を評価しているのです。

ラカンはフロイトへ帰れと主張しました。
ですからフロイトが、芸術をどう考えていたか?
が、私には重要です。

アーティストの内部には、より完全な芸術を作り出そうとする欲望があって、それが精神的昇華の高みへと、そのアーティストを連れ出して行く、というような考えを、フロイトは否定しました。

こういう高尚な欲望は無いと言うのです。むしろ自然としての《6流》の原始的で野蛮な衝動を抑圧し、その快楽への充足を断念する「文化断念」が、優れた作品を生み出すというのです。日常生活での放埒に流れる自然の欲望を、抑制し抑圧する、そうした自己満足/自己快楽への断念が、芸術を生むというのです。

宗達のような《超1流》の芸術をつくりだすアーティストの基本にあるのは、こうした自然の《6流》領域が持つ性欲や食欲、さらに《1流》領域の権力欲や名声欲、金銭欲といった諸衝動を抑圧した断念が、なんらかのレベルであって、それ故に、日常自然や社会生活の欲望を超えた領域に、作品を連れ出すのです。作品はだからこそ、《超1流》の芸術として自立するのです。


しかし普通の人間の諸欲望を超えている作品は、凡人には興味のないものとなります。

普通の人も、社会生活を営むためには、こうした欲動を抑圧して生きているのですが、下流社会に生きる人々は、実はあまり抑制をしていないのです。目先の快楽を追いかけて、生きているのです。

光琳は、風神雷神図を模写したくらいですから、宗達の達成した《超1流》の芸術を理解したのです。

《超1流》の社会や自然性を超えた芸術を理解して、そしてそこから再び社会と自然的日常生活の欲望の充足を追う世界へと帰ってくる道を、彼は歩んのです。

ですから光琳は、《1流》の作品を制作するとともに、「光琳模様」というデザイナーとしての活動を展開して《6流》美術を生産したのです。現代に至るまで日本の絵画、工芸、デザイン等に与えた影響は大きいのです。
光琳模様.jpg
つまりアーティストには2種類の活動があるのです。

一つは日常の《6流》という自然性を基盤とした生活感覚を抑制し、抑圧して、《超1流》にまで超出する活動。

そしてもひとつが、この《超1流》の芸術的結論を背景にして、ここから再び社会生活である《1流》の領域に回帰し、さらには《6流》の自然的生活の中に、美術作品を回帰させる活動であります。

光琳というのは、この回帰の運動を組織化したアーティストでありました。


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