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若手作家(4)カンノサカン/塩保朋子 [アート論]


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カンノサカンの作品(部分)

カノンサカンは、ラディウムーレントゲンヴェルケの作家です。
以下は、その解説文です。

カンノサカン(1970年生)は、キャンバスにウレタン塗装を施した、磨き上げられた車体の様な表面に、極細の筆で緻密に描かれる抽象画で知られています。

国内での圧倒的な人気を博しているカンノは、本年、香港でのアートフェアでの高反応、台湾での個展即日完売と、海外での活動を次々に大成功させ、海外においてもその地位を確立させつつあります。

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カンノサカン

《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント


《想像界》の作品、気体美術

実体的美術、合法的美術、

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

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芸術的には評価はできない。

ある種の工芸作品と言える。

ポロックを工芸化した作品というべきもの。


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塩保朋子

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塩保朋子は、スカイザバスハウスの作家です。

切り紙の作品を大規模化しています。

SCAI THE BATHHOUSE

塩保朋子「Cutting Insights」2008年8月29日(金) - 9月27日(土)

1981年生まれの塩保朋子は、京都市立芸術大学で彫刻を専攻。大学卒業後の2005年に第6回SICF(Spiral Independent Creators Festival)にてグランプリを受賞。2006年には越後妻有アートトリエンナーレでの福武ハウスにて作品を展示、2007年VOCA展に選出、また本年は五島記念文化賞 美術新人賞を受賞するなど確実に活躍の場を広げ高い評価を得ています。来年には五島記念文化賞の助成を受けて向かう中国、ヨーロッパでのリサーチ・制作を控えて今後の深化がますます期待される塩保朋子の、待望のSCAI THE BATHHOUSE初個展となります。

学生の時に、大学構内のぎしぎしの葉の葉脈の繊細でありまたダイナミックな形に魅せられてその葉脈を1本1本カッターで切り抜いてみたことが、現在の作品のきっかけとなったという塩保朋子は、”自然”をテーマに作品を制作しています。その表現は主に、大きく広い紙をカッターナイフで細かく切り込み重ねられるカッティング作品、特殊な合成紙をハンダごてで溶かして穴を空け、イメージを紡くハンダ作品、及びアクリル絵の具や木炭などによるドローイング作品という、 どれもごく繊細な手の仕事の反復によって展開されています。
長い年月を掛けて繰り返される自然のリズムと一体となるかのように、小さな刻みを営々と積み重ねることで生み出される壮大なスケールの作品インスタレーションは、その場の空気や光の流れを取り込んで一体化し、その空間を抽象化された自然そのもの、奥行きのある自然の気配として立ち現わせます。
自然を通して仏教や禅などに通じる宇宙の真理を追求する世界観を表現したいという塩保の作品インスタレーションの空間では、作品の中に自然の気が流れ、空気や光の粒子が生き生きと踊るように感じられます。それは
二次元の紙を切り抜いて、”空”を素材に空間そのものを刻む新しい彫刻の試みの反映ともいえるでしょう。

今回SCAIでの初個展 「Cutting Insights」 (心眼を開く・物事の真実の姿を見抜く)は、高さ6メートル、幅3.5メートルの広い紙が細かく切り込み重ねられ、静かに波打って現れるインスタレーション作品を中心に、新作のハンダ作品、アクリル絵の具、及び木炭によるドローイングを発表します。真に大事なものとして心眼に感じられた、音を立てるように沸き出てくる命、昇華して循環する命の力強く躍動的なイメージで立ち上がる塩保朋子の新しい空間への試みに是非ご期待下さい。

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《想像界》の眼でデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼でデザイン的エンターテイメント

《現実界》の眼でデザイン的エンターテイメント


《現実界》の美術、気体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》


実体的な美術、合法的美術


《原始平面》、手芸美術、【B級美術】

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特徴的なのは、《現実界》の美術である事です。

美術を《現実界》に還元する事自体を、

現代アートの深い意味であると考えている人たちは、

いますから、塩保朋子の作品も、そういう位置づけはあると思います。


《現実界》に還元した作品と言うのは、

それなりの刺激性はありますが、

見ている人間の中に意味を構成しません。

塩保朋子の作品は無意味なのです。

意味がありません。


つまり会場で彼女の手仕事の圧倒的な迫力を感じても、

その見るという行為が、観客の生きている体験として、

意味構成をしてこないのです。


ブラジルの作家のネトの場合も、同様の《現実界》の作品ですが、

体験はして、面白いのですが、意味の無い物なのです。


もう一つの問題は、これだけの手仕事をしながら、

それが工芸というか、デザインワークというか、

私的な感性に満ちた《真性の芸術》としては作られていないと言う

事です。


カンノサカン/塩保朋子の2人は、共通して、

ポロックの工芸化を目指したかの様な、手間ひまをかけた、

職人仕事というか、手芸というか、根気仕事を展開するのですが、

工芸としては美しいにしろ、新工芸というべき物を超える、

《真性の芸術》がもつ作家の私的な感性と私的な歴史性を欠いて

いるのです。

それは、何故なのか?


そもそも何故に、このように手芸のような制作になるのか?

それは芸術に対して、実はこの二人の作家は理解していなくて、

こうした手間をかける手芸性で、自身の作品を保証しているからです。


芸術の基本に、《芸術的省略》《芸術的節約》という価値観があります。

工芸と芸術を分ける精神の基本的な分水嶺の一つが、

この《芸術的省略》《芸術的節約》なのです。


どれほど過剰な制作をしていても、この省略と節約への視線が重要です。


この事の意味を、この2人の工芸作家は理解できていないのです。

だからこそ、手間ひまの手芸性に、全力を費やしているのです。

そして工芸的な美しさが、人々を魅了し、賞賛されるのです。

しかしそこには《真性の芸術》がないのです。



 

 

 

 


 



 


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