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若手作家(5)加藤遼子/谷口ナツコ [アート論]

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2005 東京工芸大学芸術学部 デザイン科卒業
2007 文化学院 版画研究科 在学中

[個展]
2005 「水銀アイスキャンディー」 日本橋 gallery unseal 
2006 「水銀氷山暦」 日本橋 gallery unseal

[アートフェスティバル]
2003 GEISAI#3
    GEISAI#4(産経新聞スカウト賞、NADiffスカウト賞受賞)
    GEISAI#MUSEUM
2004~2006 GEISAI#5~#10
    GEISAI#10で東京ガールズコレクションとのコラボレーション

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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

 

《想像界》の美術、気体美術。

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の美術

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

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GEISAIから煙突少女でデビューしてきた加藤遼子は、

ロッカクアヤコほどではないにしろ注目を浴びた少女画家でした。

GEISAI以前の初期作品を見ると、《1流》性を持っていたのです。

初期には才能のある画家であったと言えますが、それが社会適応の

中で、この《1流》性を維持できなかったのです。

それが、すべてを《第6次元》に還元して行く集団病である、

日本社会《6流》病のひどさなのです。

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《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョンの絵画』【A級美術】

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谷口ナツコ

1968 北海道、旭川生まれ
1988 北海道総合美術専門学校 (現;北海道芸術デザイン専門学校)
北海道在住 


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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、絶対零度の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ/シニフィアンは不明(シーニュ性が無いもよう)
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
谷口ナツコの特徴は《絶対零度の美術》であることです。

これは固体美術というより以前の、原始状態なのです。

この手の絵画の始まりは日本の敗戦と深く関わっていて、

私の知っている限り
岡本太郎の1949年の重工業という作品から始まります。

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岡本太郎 重工業(1949年)
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、絶対零度の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ/シニフィアンは不明(シーニュ性が無いもよう)
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この岡本太郎の後、河原温、池田龍雄にひきつがれて、
実に多くの戦後日本現代美術の作家が、この絶対零度の美術作品を
作ります。
それは岡崎乾二郎のペインティングにまで至るのです。
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岡崎乾二郎
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の美術、絶対零度の美術。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ/シニフィアンは不明(シーニュ性が無いもよう)
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
岡本太郎の絵画が持っているドギツさというのが、
私が《絶対零度の美術》という言い方で示している、
農業革命以前の自然採取状態の原始時代を指し示します。

つまりアボリジニのような原始時代は、5万年間変わらない生活をして
いたと言われますが、そのように変化しない社会、つまり歴史が存在し
ない社会というのを比喩として、絶対零度で空気まで凍っていて、氷河
も流れないという状態だと言うのを例えて言った言葉です。

つまり岡本太郎は、重工業という作品からですが、
独特の下品で過剰な不快感のある作品になりますが、
あれが絶対零度の原始状態まで表現を押し戻した表現なのです。

岡崎乾二郎の、ベチャットした絵の具を貼付けた様なペインティング
というのも、原始状態までに絵画を押し戻した、ものなのです。

谷口の絵画の下品な過剰さと、岡本太郎、岡崎乾二郎のペインティング
は、通じるものがあるという、これまた彦坂尚嘉流のわけの分からない
主張なのですが、以下の画像で、少しだけでも私の言う感じを分かって
いただければと思います。

太郎谷口.jpg

岡崎谷口.jpg

この3人の絵画は、描かれているものが違うにもかかわらず、

絶対零度の美術という、原始美術であると言う意味で、

お似合いのところがあるのですが、

少しでも、感じていただけたでしょうか。

これらは、現代の原始美術なのです。








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