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彦坂尚嘉作品/アートフロント・ギャラリー(加筆5) [自作紹介]

アートフロント・ギャラリーが出版したカタログ、
『ART FURONT GARALLERY』の出版記念展が開かれ、
オープニング・パーティにも行って来ています。

自作の画像を紹介します。
以下の作品は、そのカタログ『ART FURONT GARALLERY』に
掲載されているものです。

MG_232672.jpg
ウッドペインティングです。

《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
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《現実界》で《41流》にもっていった作品で、
特徴的なのは側面の表現で、《第6次元》にしてあります。
中央部分の側面が、《6流》の空虚さが、気に入っています。

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_MG_189372.jpg

《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

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階段状のウッ度ペインティングです。
その階段性を生かして、
一番左の広い面が《第6次元》、
真ん中が《第1次元》、
右の狭い出た部分が、《超次元》につくられています。
もともと複合絵画を追求しているのですが、
3種類の格の違う表現を複合した作品です。
格だけでなくて、フォルムも構造から3種類別のを統合した
作品で、これも巧くいって、気に入っています。

左の画面には、木紙という、
木を薄くスライスしたものが貼ってあります。

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188972.jpg
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも階段状の作品です。
これは左面が《第1次元》、
真ん中が《超次元》、
右の出た面が、《第41次元》で作られた作品。

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_MG_1871 72.jpg



_MG_187472.jpg
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

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これはキャンバスの作品ですが、油彩で描いている部分と、
海のモノクロ写真を貼って、さらに木紙を切り抜いてはっています。
下には、壁紙も、細く貼ってあります。

スパイラルをテーマにした作品は、初期のウッドペインティングから
あるものです。拙著の表紙の作品も、
5つのスパイラルで出来ているものですが、以前は構造としてあったも
のが、このキャンバス絵画では、裸で出て来ています。

海の写真を使う作品は1972年から発表して来ていて、息の長いものです。
海の新作も、京都のギャラリー16でも3年前に発表しています。

壁紙を使っている作品は、1976年に「史律におけるプラクティス」とい
う6点シリーズの中で出て来ていて、その作品が契機で、色彩と形象を
復活させたウッドペインティングが出てくるのですが、
その後も、海の作品と合わさって、大作が作られています。

このキャンバスは、そうした自分の作品のパッチワークです。

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こした作品は、今回はアートフロンとで発表はしていますが、
グループ展ということもあって、展示されたのは、
最初の2点だけでした。

こうした作品は、制作そのものは毎月数点を仕上げる様にしています
が、発表をするチャンスが無いままに売却されてしまう場合があります。
発表しても、日本の美術界の現状には合わないので、
無視されると言うこともあって、
展覧会という形式自体が、しだいに別のものになって来ていて、
直にコレクターや画廊に買い取ってもらうので充分と
言うことになります。
うまく、状況と組合わさらなくなって来ているのです。

しかし人類史の中で考えれば、
作品が展覧会で発表されないまま、売却されている方が多いのです。
ピカソの画商のカンワイラーは、毎月ピカソから買い取っていますが、
展覧会はしていません。
ヴォラールも、ルオーの作品を長期間買い取っていますが、
展覧会をしないで、死んでいます。
マチスの赤い部屋という代表作も、
赤くなってからは、未発表でロシアに売られています。
作品と展覧会は、密着はしていないのです。

3番目の赤紫の作品は、自分でも達成感のある作品ですが、
これは持ってもらおうと思った個人コレクターの家に持っていった
のですが、「強過ぎる」と言われてさまよってしまって、
うまく行かなくて、
結局アートフロントに買い取ってもらいました。
アートフロントの若い担当者が、評価してくれたからです。
良い作品なのですが、良い作品を分かってくれる人が減っているので、
何とか、別の血路を切り開かなくてはならないのです。

一つはマネージメントの問題で、
1991年以降のインタネット時代になると、
私の付き合って来たギャラリストが古くなってしまって、
ネット検索もしないし、自分ではメールも打たない人たちで、
状況に適応能力を失ってしまったのです。

北川フラムさんとは1969年からの40年のおつきあいです。
アートフロントギャラリーは、いわゆる現代美術業界の外の
全く別のギャラリーであって、
現実を切り開く力は、驚くべきものです。
今年の越後妻有トリエンナーレは、私は2カ所でやることに
なっていて、細部は今月末に現地で相談しないとなりませんが、
アートフロントギャラリーのマネージメントによる仕事が、
本年は一番大きいと思います。

しかし皇居美術館は、アートフロントはマネージメントを
やってはくれません。
こういう危ない作品に興味をもってくれるのは、
ギャラリーARTEさんです。
つまり一軒のギャラリーでは、彦坂尚嘉のマネージメントは、
入りきらないので、2軒以上のかかわり合いが必要なのです。

随分探して来ていますが、私の個人マネージャーを出来る人が
いません。
ギャラリストが古いというのは、1995年頃から痛切な問題で、
しかしアートマネージメントの人もまた、
現実適応能力が無いのです。

建築の人たちと付き合って分かった事は、
建築家は、自分でマネージメントをしているのです。
リベスキンドもザハも安藤さんも、自分で営業をしている。
建築は金額が大きいので、建築家自らが仕事をとってこないと、
動かないのです。
考えてみればレオナルド・ダ・ヴィンチも自分で営業をしていたわけで、
狩野元信や狩野永徳にしても、自分たちで直接営業をしているのです。

ですので、最近は自分で営業をしています。
営業をしていると分かるのは、
いままでの村松画廊も、東京画廊も、ギャラリー手も、
古い単純系のギャラリストは、ろくなマネージメントをしていない
ということです。
みんな良い方ですし、特に手の杉山旭さんの眼は良いと思いますが、
しかし、そもそも作家について研究も勉強もしないのです。
ピカソの画商のカンワイラーが、キュヴィズムをはじめ、何冊も本を
出しているのとは、頭脳の水準が違うのです。
日本のギャラリスト自身が、
もしかすると《自己愛》性人格障害だったのかもしれません。

複雑系のマネージメント技術を開発確立するのは、自分で
やるしかないとつくづく思いました。
「深川いっぷく」で、複雑系アートマネージメントの勉強会を
始めようと思っています。

建築系のやり方を見ていると、
そちらの方が合理的だし、洗練されています。
実はアートフロントというギャラリーは、
建築系ギャラリーというべきところがあります。

建築系はなによりも、頭が良いのです。
日本の美術関係者は、作家が馬鹿であることを望んでいますが、
美術史の中で、レオナルド・ダ・ヴィンチも、ゴッホも、
デューラーも、雪舟も、雪村も、宗達も、馬鹿ではなかったのです。
作家に馬鹿性を要求する日本の美術界は、
たぶん人格障害者なのです。

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私の世代の現代美術家は非合理で、現実は握力を失っています。
先日も、久しぶりに原口典之さんが2度も電話して来てくれて、
話しましたが、彼をグーグルで検索すると580件です。
いま、彦坂尚嘉で検索すれば、16、100です。
その差は、約28倍です。
このインタネット時代に、彼は何も対応していないのです。
検索結果などは実体ではありませんが、しかし情報化社会ですから、
情報の量の虚が、実体と無関係とは言えないところがあるのです。


私はコンテンポラリー・アーティストですから、
時代と格闘しながら、芸術の探求を続けるのです。
自分の《自己愛》の蛸壺に閉じこもる人は、
自由にしてもらうしかありません。
《自己愛》の蛸壺の中で死んで、
《自己愛》の蛸壺の中で葬式をすれば良いのです。

私は探求の旅を続ける中で、制作を続けます。
旅の中で他者に出会います。
他者との出会いこそが、アートの原動力なのです。
作品を買ってくれる眼のあるお客も、自分で出会って行きます。
マネージメントは、自分でもやるし、ギャラリー活動も、
自分でもやります。
複雑系の世界を生きるサバイバルゲームは、
冗談ではできないのです。

そして、この不況の中にでも、他者はいるのです。
他者との出会いこそが、《真性の芸術》の根幹をなす要諦なのです。





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symplexus

三番目の作品,個人コレクターの感想として「強過ぎる」故に
引き取り不成立となったとのこと.
そのコレクター氏は後で失敗したと残念がるかも.
個人的にはこの作品に1番魅かれました.
 非定型(といってもあるパターンが見えるのですが)
  にうねるような曲線が独自の色彩と相まって
 動的な緊張を創りだし素敵です.
ある種の創出を予感させるのでしょうか.

 
 

by symplexus (2009-02-06 00:39) 

ヒコ

symplexus様
コメントありがとうございます。
コレクターの問題は、また、別の時に書きたいと思いますが、結局は、自分の趣味性に合わせて判断するものなのです。その作家の創造性も、達成も、美術史的評価も関係なくて、コレクター自身は、自分の動物的な直接的な価値観だけで動いているのです。そこには美術は無くて、動物的な欲動だけがあるのです。
by ヒコ (2009-02-12 15:56) 

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