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ロフトワーク(加筆1) [アート論]

昨日は、新潟からの帰りが、関越道が全面渋滞で、7時間かかった。
運転できるのが私を含めて3人いたので、
交代だったので、その面では良かった。

ピクチャ-2.jpg
その3人の運転手の中にロフトワークの社長の林千晶さんがおられた。
ロフトワークと言うのは、クリエイターを12000人擁している、
制作代理店です。
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林千晶氏は、もともとはジャーナリストでいらっしゃって、
ボストン大学で、マーケッティングを学んで、
起業についての記事を書いておられた。

その結果、自分で起業をしたというお話でした。

そのプロセスを、おもしろく聞かせていただいた。

新しい時代の制作代理店として、傑出されていて、
越後妻有トリエンナーレも、すでに何度も見に来ておられて、
社員合宿も、光の館でやったりと、活用もなさっている。

ぜひ、ロフトワークの強さという動画を見て下さい。

私自身は、たった1年間ですが、小さな広告代理店で勤めた事があるので、
制作会社というものも、ほんの少しは知っています。

林さんの圧倒的な新しさと、スピード、新しい管理技術の開発は、
刺激的に見えます。

デザインの制作会社と、
ファインアートのアートマネージメントは、
本質的には、違うものですが、
しかし重なる面も、あるようには思います。

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さて、作家として、彦坂が夢見る事は、
自分が《超1流》の作品が好きで、
しかも《超1流》の作品を作る才能は、
夏草のように生えてくるのに、
《超1流》の才能つぶしてしまうという日本の社会の現実があります。

なんとか、その20%でも良いから、
《超1流》の才能を、成長させられる社会になって欲しいということです。

それは夢ですが、
そういうかなわぬ夢の実現への手がかりとして、
デザイン界を刷新したロフトワークの存在は、
勉強になるものであったのです。

ロフトワークは、12000人のクリエイターを、自分の会社に囲い込んで
いないのですね。
この囲い込まないという態度は共感するものです。

ギャラリーと言うものも、
そういう風になって欲しいと思います。

気体分子ギャラリーも、作家を囲い込みません。
アートマネージメントと作品の品質保証を、気体分子がやると言う事です。

その作家による、他での活動に関しては、
気体分子は責任を取りません。

気体分子が扱う作品だけは、芸術分析をした保証書をつけると言うものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ロフトワークが集めている12000人のクリエイターの中には、
ファインアートからデザイナーになった人もいるそうです。

それは昔からたくさんいたわけで、ファインアーティストの多くは、
デザイナーになっていって、
むしろ、たとえば多摩美術大学の油彩科の学生で、アーティストに
なった人はわずかなのです。

最近は逆の現象も多くて、デザインを学んで、その後、
ファインアーティストになっている人も多いのです。

さて、純粋芸術家の場合、先ず、社会に適応するのではなくて、
社会的価値とは別の、オールタナティブな価値の確立に向かいます。
日本の場合、この社会からの離脱だけに重点がかかっているのです。

社会価値とは別の価値を確立する。つまりそのアーティスト独自のアートを
確立した後に、再度そこから社会への橋をかける。

この社会から離脱して行程と、
離脱した後に、再度社会へと橋をかけるという、
往復の作業のサポートが、アートマネージメントには必要なのです。

ですから、アートマネージメントは、
反対方向の両面を統括することなので、
むずかしいのです。

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NY GAL

「この社会から離脱して行程と、
離脱した後に、再度社会へと橋をかけるという、
往復の作業」
というのは、重要な認識だと思います。
アートマネージメントだけではなく、美術史のような
仕事も、そのことを学術レベルでおこなうわけで、
その作業が必ずしも唯一の目的ではないですが、
歴史化、対象化することは、社会化の一環でもある、と
思っています。
by NY GAL (2009-02-24 00:31) 

ヒコ

NY GAL様
コメントありがとうございます。
ご指摘のように、学問や、学問としての美術史は、
社会の外部で、成立するのです。
しかし、再度社会化が必要であるのです。

日本の現代美術史研究が、学会も出来ていない事は、誠に残念です。何回か、個人的には学会の結成を言った事はありますが、日本の学芸員は、反応しません。そしてまた、日本美術史学会は保守的です。

私自身は、多くの尊敬する研究者を知りながらも、現状には絶望しています。だから私のやれる事を、勝手にやって行きます。それが現代美術の50年の年表であり、日本洋画商史の発掘であり、アートスタディーズであります。

私自身は、美術史の基礎研究者を尊敬しています。しかし私のやる事は、基本としては基礎研究ではなくて、全人類史に立った巨視的な美術史、芸術史、文明史の考察です。これもまた社会の外部に出なければ出来ません。どれほど世評が高くても、フェルメールが《第6次元》絵画で、ペンキ絵であれば、そう指摘する必要があるのです。その非妥協性抜きには、学問としての芸術分析はなし得ないのです。
by ヒコ (2009-02-24 12:27) 

symplexus

ロフトワークが掲げているような商業デジタル・デザイン系の需給コンセントは,
 目的も明確だし多くの制作者や企業が期待しているものともマッチして
今後ますます重要になるのではないでしょうか.ディレクター集団の
が需給の両サイドを分析して最適な作品を制作しようとする方針は
商業デジタル・デザインという分野では生まれるのは必然かもしれません.
しかしこれをファイン・アートに敷衍することに関しては自分の中からかすかな
疑問の声が聞こえてきそうな気がします.
科学分野でも時限的なプロジェクト研究が活況を呈しているのですが,
これは企業,国が公募する競争的資金獲得の大小が大学の格付け
を左右するという思い込みと無関係ではないでしょう.一種の日常的
コンペが科学の需給コンセントを自己組織化しているともいえるのです.
 しかし,科学本来の革新性という面から考えると社会的要請という
大枠をあらかじめ設定することには根強い批判があることも確かです.
アートが自己完結的なものでないことは明らかですが,現社会の
需給的な要因にしばられることなく制作場面においては自由に飛翔できる
環境は保持する("気体分子"が規定しているように),その上で
孤立した作品を社会の衆目の中に還元する手続きが重要だと
思うのです.
by symplexus (2009-02-28 00:26) 

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