新象徴界の芸術/アートフェア東京と椅子(大幅加筆英語版追加) [自作紹介]
これは、アートフェア東京に出品を準備して制作した作品です。
他人には、見たく無いような作品で恐縮ですが、
一番、極端な作品として、気に入っています。
自分で、芸術分析をすると、次のようになります。
《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《 超 次 元 》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
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この作品のポイントは、シニフィエの美術にしてある事です。
つまり、この作品は《象徴界》性の強い作品あのですが、
シニフィエにしてあるのです。
この作品の下敷きは、有名なコスースの同様な作品です。
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の作品、気体美術。
《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。
《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】
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コスースの、この概念芸術の代表とも言える作品が、
実はデザイン的エンターテイメントでしかなくて、
作品としては《原始平面》の『ペンキ絵』で、
【B級美術】であったのです。
その後の、コスースはレベルを上げて行きますが、
こうしたこと、
つまり重要と思われた作品が、
実は、単なるデザイン的エンターテイメントであるということは、
後からの芸術分析としては、重要な認識なのです。
それと、もう一つ、シニフィアンの美術であったという事です。
さて、そこで、彦坂尚嘉の作品は、
《第41次元》《超次元》の《真性の芸術》にして、
しかもシニフィエ化したものとして、
この作品を作りました。
実際には、この黒い紙に、
ドローイングを描いて5000円で、売ります。
売れはしないでしょうが(笑)。
もっとも英語版も用意するし、紫色版も用意するので、
それにドローイングが入っていると、随分違うものに、
なります。
しかし、作品そのものの、芸術的な本質は、
この無愛想な、黒の日本語の文字作品です。
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こういう作品を、政治と誤解する向きがあるかもしれませんが、
これは政治運動ではありません。
これは芸術作品なのであって、
ボイスや、ハーケの仕事と同様のものです。
日本で言えば、秋山祐徳太子さんの仕事の系譜です。
あくまでも美術作品あのであって、
その範囲をこえません。
漫画だから書けるとか、
お笑いだから言えるというのと同じで、
アートだから、表現できる内容なのです。
あくまでも、そういう範囲のものです。
現実の政治ではないのです。
こうした文字の作品は、
今までも、いろいろと作って来ているのですが、
シニフィエ化を自覚して作るようになったのは、
最近です。
「深川ラボ」のドローイング展に出品した、
100円ショップ・アートの『動物的エネルギー』の連作も
こうしたものです。
(2100円です。お問い合わせは、「深川ラボ」まで)
今、「深川ラボ」で展示している椅子の作品も、
同様の、『動物的エネルギー』の作品です。
これも新象徴界の作品になっています。
1975/1991年の近代の終わり以降、
新想像界の作品、
つまりシニフィエ化した、《想像界》の美術が、
跋扈して来ました。
それは政治的には、サッチャー/レーガン/ブッシュ/中曽根〜小泉。
この新自由主義の政治状況と、現代アートは深く関わって来たのです。
新自由主義と、村上/奈良は、深く関わって来ていたのです。
ギャラリーで言えば、小山登美夫ギャラリー、そして山本現代は、
実は美術界のブッシュであったのです。
では、次は何なのか?
彦坂理論では、
《想像界》を否定して出現するものは、《象徴界》だから、
新《象徴界》の時代になるのではないか?
つまりシニフィエ化した、《象徴界》の表現が
突出してくるのではないか?
私自身は、実は《象徴界》の表現をそいだそうとして来た人で、
『秘伝ディメンション』という展覧会を2005年に組織しています。
そして何よりも、私自身の本質は、
学生時代から、観念的であると言う批判を繰り返し浴びて来たように、
本質的にシニフィエ的な、《象徴界》性の強いアーティストで
あったのです。
4月のアートフェア東京2009では、
皇居美術館空想を出すのですが、
この作品は《想像界》の作品の偽装性をもちながらも、
本質は《象徴界》の作品であるのです。
その《象徴界》性を、シニフィエ化の暴走として、
突出させてみたいと思うのです。
《象徴界》の作品は、面白くは無いから、
成功するとは、まったく思わないのですが、
それでも暴走する。
この暴走の仕方は、
石上純也さんを、ベネチア建築ビエンナーレまで、
追いかけて、学んだものです。
暴走こそ、現代のアートなのです。
わ、うれしいな。またブログのデザイン、トマトに戻った!
わ、うれしいな。お手伝いした作品のJPGが出ている。
白抜き文字が明朝・タイムズで、
黒文字が(なんという事態でしょうか?)という対比がいいですね。
by NY (2009-03-19 08:33)
NY様
コメントありがとうございます。
白抜き文字は、教科書体です。
黒文字が、隷書体です。
私もトマトのバックが好きです。
越後妻有トリエンナーレで、建築家の手塚さんとのコラボが、トマトものに、なる可能性があるので、そのプッシュを込めて、復帰しました。
by ヒコ (2009-03-20 09:56)