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やなぎみわ [日本アーティスト序論]


ピクチャ-3.jpg

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昨日、やなぎみわ の東京都写真美術館での展覧会を見て来ました。

以前に美術手帖の『日本アーティスト序論』で取り上げられている、
作家を、端から順番に取り上げようとして、
この やなぎみわ の前で止まってしまっていました。

やなぎみわ が今年のベネチアビエンナーレの
日本の代表になっている事もありますが、
私自身が、やなぎみわ に対しては批判的であったからであります。

批判的であったからこそ、フェアに書きたいと言う思いがあって、
この写真美術館での展示を見てからと思ったのです。

他の作家を批判するのが、その作家をおとしめたり、
足を引っ張るためにやっているのではないのです。

他者を見る中でしか、現実を見る事が出来ないからです。
それと、現在の批評の不在を、
自分なりに切り開きたいからです。
私自身は、批評を読むのが好きです。
スーザン・ソンタッグや、ロザリンド・クラウスといった
女性の書き手が好きでした。

つまり自分自身の顔が直接には見られなくて、
鏡に写すとか、写真で見る以外にないのに対して、
他人の顔や、姿は鮮明に見えます。
作品も実は同様で、自分では自分の作品を捉えるのが、
むずかしいからこそ、他人の作品を透して、
芸術について考えるのが重要なのです。

そして批評という視点や芸術分析という方法で芸術を見る事が、
芸術を理解するのに有効であると考えるからです。
芸術というのは、あくまでも実際の作品を通して
出現するものだからです。

ところが、日本の美術界では、
他人の作品を見るとマネをすることになるから、
見ない事にするという、変な風潮が作家の中に蔓延しています。
これは間違いです。
迷信なのです。

マネをするという模倣マシーンになってしまうのは、
《想像界》の人格しか無い、
子供の人格の弱さなのです。

人格を《象徴界》《現実界》まで分化させて、
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な作家主体を
持って、総合力をつければ、
簡単な形では、他人を真似する事にはなりません。

自分の人格を成長させる事は、
作家として大きくなるためには重要な事なのです。
ところが、現在の日本のアーティストは、
未熟で子供である事が、すぐれたアーティストになることだと、
錯誤しているのです。
それは岡本太郎からの悪しき伝統です。
しかし岡本太郎は、人類史の中で見れば、
愚劣な作家に過ぎないのです。
岡本太郎よりもすぐれたアーティストは、
いくらでもいるのです。
岡本太郎は【B級美術家】です。

他の領域を見れば、他人の仕事を良く見ています。
建築の人々は、他の建築家が作った建築を実際に見るために、
良く見て歩きます。
建築ツアーを企画するのです。
私も参加しています。
他人の建築を、たいへんに厳しい眼で見て、批評をしています。

将棋とか碁の棋士たちも、他人の戦いを良く見て、勉強しています。
新しい手は、日々生み出されているので、他人の戦いを見なければ、
自分が実際の戦いで接した時に、対応を取るのが遅れてしまうからです。

戦争もそうであって、たとえば湾岸戦争や、イラクの戦争を、
アメリカ軍がやれば、各国の軍事専門家は、戦地に行って、
見学するのです。武器の威力や、戦闘のやり方を研究して、
自分の実際の軍事力の実力や、整備の方向を考えるのです。

詩人も他の人の詩を、良く読んでいます。
たとえば建畠哲氏は、美術評論家や国立国際美術館の館長である
だけでなくて、詩人でもありますが、
彼は良く、他の詩人の詩集を読んでいて、詩人を批評する力は、
大変にある方で、私は尊敬しています。

美術家自身も、他人の作品を一生懸命に見に行って来た、
歴史があります。
例えば、アメリカを代表する彫刻家のデヴィッドスミスは、
同時代の作家を良く見ています。
レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、
最後の晩餐は、多くの先人の作品を見た上で、描いていると思われます。

先人の美術を多く見て、
その検討を通して、
美術や芸術について考えて行く事は重要なのです。

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yanagi_redhead_gmother.jpg
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、固体美術。

実体的美術(エンターテイメント)

《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】


この写真は、写っているやなぎみわ が本当に怖いのが分かる
楽しい写真で、運転している運転手の面白がっている軽薄な表情も、
リアルです。
しかし、それ以上の面白みはありません。

女性と言うか、老婆の部分が明るくなっています。
照明を当てている可能性もありますが、
走っているものですから、カメラの角度から考えて、
車体に取り付けたカメラからの撮影だろうと思います。影
したがって、老婆が明るいのは、後からの操作だろうと思います。

それを昔のアナログ写真では「おおい焼き」といいましたが、
現在はコンピューターのPhotoshopで、
デジタル的に調整が出来ます。

yanagi_redhead_gmother2.jpg
その構造を分かりやすくするために、
明度を落とし、とコントラストを強くして加工したものを、
お見せします。

どちらにしろ、老婆を明るく、分かりやすく加工する事で、
写真は実体化し、説明的なものに、退落しています。
やなぎみわ の作品は、説明的なものなのです。


やなぎみわ の作品は、大型写真で、たぶんですが、ラムダプリントでの
出力らしく、きれいではあります。
そして老婆に扮して、さまざまな設定の物語の中で、写真が、
大掛かりにフィクショナブルに作られています。

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yanagi miwa - ai.jpg

この作品も、子供たちの顔が、本当に気持ち悪がっているのが写っていて、
面白いものです。
老婆の扮装そのものは、ハリウッドのSFXのひとつである特殊メイクで、
ある意味で、どうにでもなるし、それが やなぎみわ の独創ではないし、
特にすぐれているものでは、ありません。
以下の画像は、特殊メイクのサンプルです。


しかしそれは《想像界》のイメージのたわむれでしかなくて、
私には、まったく面白く無いものでありました。

基本的には、扮装ものなので、シンディーシャーマンから、
大きな流行で、何人もの作家が似た様なものを作って来ているのですが、
代表は森村泰昌でしょうが、
こうした流れのものであります。

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