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フラッシュモブ3月22日/アートフェアでのパフォーマンス(改題) [歴史/状況論]

英文アート憲法1ブログ小.jpg


アート憲法ブログ小.jpg

東京都が、パフォーマンスを抑制する条例を可決しようとしています。

後ろに引用していますので、読んで下さい。


私自身は、表現の自由を基盤にしているので、

こういう規制に対して、賛成の立場ではありません。

しかし、何をやっても良いのだという考えや、素朴なアンーキズムの

信奉者ではないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【作品解説】

『アート憲法』という作品は、皇居美術館空想の中に絡んでいるコンセプトです。

つまり、憲法を改正して、芸術立国といいう理念を打ち立てるという提案をしています。

その一貫の中に、皇居美術館の建設があります。

こうした空想小説のような作品は、あくまでの美術作品としての範囲であて、

現実の政治運動ではありません。


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英語版天皇の帰還ブログ小.jpg

4月3日から5日のアトフェア東京2009では、

黒ヘルメットを被って、ヘルメットには『美狂闘』という白文字を

書きます。

学生時代の美術家共闘会議、略称が『美共闘』ですが、

それに参加するところから、アーティストとして出発しているので、

その系譜の継続という事で、

『美狂闘』という白文字を書いた黒ヘルメットを冠って、

できれば『1人 美狂闘』としたいですが、

黒ヘルメットを冠って、

ライブ・ドローイングをして、

A4出力の作品に手描きを加えて、1枚5000円で売りたいと思います。

日本語天皇の京都への帰還ブログ小.jpg

【作品解説】

彦坂尚嘉の作品が分かりにくいのは、多義性のためです。

この、へんなドローイングのついている作品もまた、作品そのものを不透明で、

多義的に捉える芸術観によるものです。

直接的な影響は、ベンチュリーにあります。

ベンチュリーは、建築家ですが、彼は単純な芸術を退屈だと批判して、

多義的な表現の豊かさを評価しました。

彦坂尚嘉の作品は、意識的に、こうした多義性を取り込んで行きます。

しかし、「天皇の京都への帰還」といった字句に対して、

「危ない」とか「やばい」とか、規制を何人もの人から言われますが、

それはしかし、昔の不敬罪があるわけでもなくて、

少なくとも法律的な規制対象ではありません。

英語版天皇の京都への帰還完成ブログ小.jpg

そうではないにもかかわらず、規制しようというのは、

実は、表現の本質に関わるものなのです。

あるグループの中で、同じ言葉が繰り返され、集団で奇妙な排除の

システムが出来るのです。

そうした規制を受け入れれば、実は創造性を失う事になるのです。

それが団体展です。

日本の現代美術と美術制度は、団体展化してしまっているのです。


天皇の京都への帰還完成ブログ小.jpg

【作品解説】

この黒だけの作品は、あくまでもコンセプチュアルアートの枠組みだけで作った

作品です。彦坂尚嘉の作品は、極めて観念的で、思想性を持つコンセプチャル

アーティストという枠組みを持っています。

同時にポストコンセプチュアルな、絵画性や、反装飾的装飾性、色彩性、

そして厳密な構図の探究者と言う面を持っています。

これは血液型がAB型である性かもしれないし、また、世間体や体裁を無視して、

あくまでも《超1流》や《41流》の《真性の芸術》を追い求める、

時代遅れの狂気の持ち主であるせいかもしれません。

これは政治運動ではありません。

単なる芸術作品に過ぎないのです。

こうした空想の、架空の、夢想のコンセプトに過ぎません。

夢想の自由も認めないというのでしょうか?

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ただ、もともと、何をやっても自由といったものではなくて、

道路交通法や、様々の法律での、パフォーマンスの禁止はすでにあったと、

私は思っています。

それをさらに厳しくしようというものが、今回のと条例

だろうと思われます。


美術館の会場の中も、1960年代の読売アンデパンダンの狂騒の結果、

美術館の中に対する規制が強まります。


1960年代の末の新宿も、フォクゲリラや、シンナー、麻薬の氾濫の結果

規制が強まります。


ニューヨークの1980年代初頭のグラフィティの氾濫も、

規制されて、沈静化しました。


こうした規制そのものの歴史というのは、

良い悪いを別にして、そういう事象の歴史が、あることを、

認識する必要はあります。


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フラッシュモブ3月22日

美術家の仙台のアーティストとの村上隆さん、

これはカイカイキキの有名村上隆さんとは同性同名の別の方ですが、

フラッシュモブの抗議行動を起こすと言うメールが来ていたのですが、

最後にコピーしておこうと思ったら、どこかに消えてしまいました。

残念、見つけたら、掲載します。

見つけました!

私は参加します。


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「パフォーマンス慎め」


条例案都議会委可決

                  

              2009年03月19日

◆来月中指針 大音量や下着想定

 都が安全・安心まちづくり条例を改正し、繁華街の来訪者に対して「多大な迷惑となるパフォーマンス」などを慎むよう求めようとしている問題で、都議会の総務委員会は18日、同条例改正案を可決した。この問題では自由法曹団東京支部や労働組合が「街頭での宣伝活動などが制限され、表現の自由の侵害につながりかねない」などと反対しているが、改正案は27日の今議会最終日に成立する見通しになった。
(大塚晶)

 条例改正案は繁華街での安全対策として、事業者や地域住民、来訪者らは、知事と公安委員会がつくる指針に基づいて「必要な措置を講ずるよう努める」と規定している。

 指針は4月中につくられ、来訪者に求められる取り組みとして「街頭や歩行者天国において大衆に多大な迷惑となるパフォーマンス等、街の秩序を乱す行為を慎む」という内容が盛り込まれる予定だ。

 総務委員会では18日の採決に先立ち、17日に審議が行われた。「自由な活動が萎縮(いしゅく)するという声もある」という議員の質問に、都側は「指針は事業者、地域住民らに求められる取り組みを例示したもので、何ら強制力を有するものではない」と答弁。一方で、「パフォーマンスはいろんな形態があろうかと思うが、何をやってもいいとはならない。やはり一定のルールやマナーを守ってしっかりやっていこうというのが社会の常識」とも述べた。

 また、指針が想定するパフォーマンスとして、昨春、秋葉原で女性が下着を見せた行為のほか、「街頭や歩行者天国で大音量でライブをすること」も挙げた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

美術家の村上タカシです。
アート(表現の自由)への締め付けが強まっているようです。

・・・・・・・・・・・・・・・(以下転送します)
東京都では「パフォーマンス慎め条例(朝日新聞)」「監視が街の活力を奪う(東京新聞)」という見出しで報道されている「安全条例」が27日に本会議で可決されようとしています。そこで、人が人を信頼する能力を奪う相互監視社会への批評として「路上で本を読む」というフラッシュモブ(不特定多数の人間が公共の場に突如集合し、目的を達成すると即座に解散する行為)を企画しております。
お知り合いの文化人や出版関係者、ブロガーなどにこのプロジェクトをご紹介して頂き、都市の中にささやかなノイズを起こす事にご協力ください。
よろしくお願いいたします。
日本語版/フラッシュモブ内容(参加者目標300名)
―――――――-
【集合場所】新宿アルタ前広場
【時間】2009年3月22日(日) 午前
11:00〜12:00(雨天決行)
【YouTube】
http://www.youtube.com/user/tokyomob

【ルール1】自分の好きな本(小説、詩集・歌詞カード、思想書、マンガ、雑誌・機関誌など)を1冊、小さな声、大きな声、
自分に合った方法で11時から読み始め12時に解散。

【ルール2】国内最大規模のフラッシュモブにするために、知人全員にメール、SNS、ブログなどで告知する。

フラッシュモブ(Flash mob)
:不特定多数の人間が公共の場に突如集合し、目的を達成すると即座に解散する行為。




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コメント 4

じゃむ

> 自分に合った方法で11時から読み始め12時に解散

フラッシュモブとしては、11時から始って1時間も続くというのは非常に長すぎるのではないかと思います。
「フラッシュ」になっていない。
長く続くと、だらだらという雰囲気になり、効果が薄れるばかりだと思います。
個人的な意見ですが。
by じゃむ (2009-03-21 18:48) 

ヒコ

じゃむ様
コメントありがとうございます。
おっしゃるのは、一理あると思います。
フラッシュではないですよね。
明日は、私も行きますが、
まあ、しかし村上隆(別名)が組織した事ですから、
良いのではないでしょうか。
何をやっても、問題はあるので、しかしあるのは、やる人と、やらない人の差なのです。おおくの人は、やりません。フラッシュをやって、何の意味があるのかというのは問題ですが、それでもやりたければやるのです。やることで、何かを見る人と、何も見ない人がいるのです。

by ヒコ (2009-03-21 20:49) 

じゃむ

彦坂さま
やる人と、やらない人の差、確かに大きいものですね。
アートの作品でも、展示でも、カタログで写真だけで見るのと、実際に展示に行って本物を見るといういうのは図りきれない差が生じると思っています。
カタログでは、写真が命でしょうね。
実際に作品を目にして、その後カタログの写真を見てびっくりした経験があります。
カタログの写真が非常に素晴らしいのです。
実際の作品は大した事ないと感じたのに。
時に真実(?)を変えてしまう写真の不思議だと思えます。
写真写りの良い作品とでも言えましょうか。
by じゃむ (2009-03-22 20:05) 

ウィリアムズ

こんばんわ。じゃむ様の話の流れですいませんがちょっと気になっていた事があるので質問させてください。写真写りの善し悪しについて書かれておりますが 彦坂様の画像による判定方は写真写りの善し悪しには関係ないものなのでしょうか?
エリザベスペイトンなんかは えらく画像と実物に差があります。かなり写真写りは悪いんではないかと。反対に最近の日本の写実絵画なんかは写真写りが良くて実際は脆い印象があるのがたくさんです。これはどう配慮されておりますか?
実物を見た上での判断になるのでしょうか?それとも画像だけで全部分かってしまうのでしょうか?
by ウィリアムズ (2009-03-23 00:19) 

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