佐藤 可士和のデザインに起きていること(3)/《非-実体性》 [《第6次元》研究]
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デザインで《非-実体性》のあるものは珍しいのです。
思い出すのはiMacのブルーのスケルトンの登場でした。
《想像界》の眼で《超次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《超次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート的デザイン》
《ハイアート的デザイン》
《非-実体性》
シニフィエ(記号内容)化されたデザイン
《透視立体》『オプティカル・イリュージョンのあるデザイン』
【A級デザイン】
iMac(アイマック)は、1998年に登場した
パーソナルコンピュータ「Macintosh」の
ディスプレイ一体型デスクトップ機のシリーズ。
アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが中心となって開発された
iMacのデザインは、インダストリアル・デザインの歴史において
エポックメイキングとなったものです。
15インチCRTを装備した一体型のケース、キーボード、マウス、
電源ケーブル、モジュラーケーブルにいたるまで半透明という
スタイリッシュで独創的なデザインは、
《超1流》で、しかも《非-実体性》という芸術構造のある、
圧倒的な吸引力のあるものであったのです。
工業製品が、文字通り《透視立体》化することで、
芸術作品にまで上昇してみせたのが、
このiMacであったのです。
ボンダイブルーと呼ばれた印象的なカラーの美しさは、すばらしいものでした。
そしてネーミングのiMacは、商品名に「i」を冠する命名の
嚆矢となったのでした。
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建築以外のデザインの歴史で《非-実体性》を持つものを
思い出そうとすると、
もう一つのマッキントッシュに至ります。
《想像界》の眼で《超次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《超次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《超次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的なデザイン
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的なデザイン
《シリアスデザイン》《ハイアート的デザイン》
《非-実体性》のあるデザイン
シニフィエ(記号内容)化したデザイン
《透視立体》『オプティカル・イリュージョン的デザイン』
【A級デザイン】
チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868年〜 1928年)は、
スコットランドの建築家、デザイナー、画家です。
幼少の頃より足と目に障害を持っていた人です。
アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、
スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の
一人でもあるのですが、
簡単に言うと、彼のデザインは評価されず、不遇で死んでいます。
今日のマッキントッシュのハイバックチェアに対する評価からすると
この不幸な人生は、まったく意外なものなのです。
マッキントッシュは、芸術家集団「4人組」を結成し、
グラスゴー派とよばれた芸術運動を展開しますが、
その幻想的な曲線装飾は、
「奇妙な装飾の病」として、非難されるのです。
しかしグラスゴー派の影響は、
画家グスタフ・クリムトらのウィーン分離派に引き継がれて行きました。
マッキントッシュの残した作品のなかでも、
ハイバックチェアは、ずば抜けて成功した作品ですが、
その中心的な魅力は、新奇性と、そして《非-実体性》にあると
思います。
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佐藤 可士和のデザインの大きな魅力も、
《非-実体性》のあるデザインという所にあります。
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》のデザイン。
気体デザイン。
《非-実体性》のあるデザイン。
《気晴らしアート》《ローアート》
シニフィエ(記号内容)化したデザイン。
《原始立体》『ペンキ絵』的デザイン
【B級デザイン】
《第6次元》の《現実界》のデザインでありながら、
《非-実体性》を持っているというのは、
類例を思い出せないユニークなものなのです。
近代デザインにおいて、
《第6次元》のデザインの代表の1人は、
ミース・ファン・デル・ローエですが、彼の有名な
バルセロナチェアですが、これは実体的です。
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《想像界》のデザイン。
液体デザイン。
実体的デザイン
《シリアスデザイン》《ローアート》的デザイン
シニフィアン(記号表現)のデザイン。
《原始立体》、『ペンキ絵』的デザイン、
【B級デザイン】
ミース・ファン・デル・ローエが尊敬されているのは、
《シリアスデザイン》であるからではないかと思いますが、
そのデザインは実体的です。
つまり椅子の人が座る空間部分のフォルムを
作り出しているのではなくて、
椅子の実体的な部分だけに意識がして作られているのです。
建築が代表的なものですが、
空間があって、空虚な何も無い広がりがあるから、
建築は成立しています。
この空虚性を形成して行こうと言う意識が高いと、
建築は《非-実体性》を獲得できるのです。
椅子も同様であって、空虚なスペースがあるから、
人はそこに座われるので、この空虚な場所こそが、
椅子の重要性なのです。
ル・コルビジェの椅子には、この空虚を意識した《非-実体性》が
あります。
《想像界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的なデザイン
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的なデザイン
《シリアスデザイン》、《ハイアート》的デザイン
シニフィアン(記号表現)のデザイン
《透視立体》『オプティカル・イリュージョン』的デザイン
【A級デザイン】
椅子の上の空虚な空間のフォルムが意識的に形成されているが故に
《非-実体性》があるのです。
芸術を成立させる要件は多くて、8個以上ありますが、
その中の重要な性格の一つが、この《非-実体性》なのです。
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《非-実体性》のあるものは芸術であります。
それに対して、実体的なものは、エンターテイメントなのです。
その根本的な理由は、人間存在の空虚性にあります。
人間が死ぬものであり、人間の内部にはただ空虚しか無い故に、
それを自覚する事で乗り越えようとするのが、
《非-実体性》のある芸術存在です。
それに対して、自らの空虚性を埋めようとするのが、
実体的なエンターテイメントの表現なのです。
しかし、エンターテイメントによっても、
人の空虚性は埋め尽くせるものではないのです。
ミースとコルビジェを比較してみましょう。
美しさの違いを見分けられるでしょうか?
圧倒的にコルビジュエの《非-実体性》の有る椅子が、美しく、
私には思えます。
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さて、佐藤 可士和のデザインに見られる《非-実体性》を
見てみましょう。
この赤い携帯が、
《非-実体性》を持っているのは、
不思議に思われるかもしれませんが、
中央部の黒い色と、青緑の文字という、
中央部の退行する部分が生み出している表現なのです。
このことは、深沢直人の携帯デザインと比較すると、
より際立ってきます。
《想像界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアスデザイン》、《ハイアート》的デザイン。
実体的デザイン
シニフィエ(記号内容)化したデザイン
《透視立体》『オプティカル・イリュージョン』的デザイン、
【A級デザイン】
深沢直人のデザインは、
《第1次元》の《真性の芸術》であって、
圧倒的にすぐれている【A級デザイン】なのですが、
唯一の凡庸な欠点は、実体的なデザインなのです。
そのためにエンターテイメントへと、脱落して行くのです。
それに対して、《第6次元》の【B級デザイン】である
佐藤 可士和の作品は、
《非-実体性》をもっていて、芸術へと上昇するのです。
この落差というか、対比は、凄いものです。
【B級デザイン】が、《非-実体性》を獲得して芸術へと上昇し、
そして深沢直人の【A級デザイン】が、
実体的である事で、エンターテイメントへと転落して行く。
この交差にこそ、佐藤 可士和の革命的な優秀性の秘密があります。
下克上なのです。
下層の【B級デザイン】が、【A級デザイン】を食って、
芸術へと上昇するこの交差性こそが、今日の激動の時代を、
象徴しているのです。
デザイン革命です。
佐藤 可士和の携帯と、深沢直人のそれを比較してみます。
深沢直人のデザインには、実体としての携帯の固まりで、視線が止まって
しまいます。
それにたいして佐藤 可士和のデザインは、
携帯のフォルムの向こう側にある第5次元の異世界を
かいま見せてくれるのです。
これが芸術です。
携帯の実体性しか見えない深沢直人の【A級デザイン】よりも、
第5次元を見せてくれる佐藤 可士和の【B級デザイン】の方が、
今日の新しい芸術になっているのです。
【B級美術】が《非-実体性》をもって、
第5次元の異世界を示すということこそが、
今日の情報革命の先端性を持つ芸術の先鋭性があるのです。
今日の金融危機の中で、
新の文化革命が、進行しているのです。
佐藤 可士和のアートディレクションは、
この革命への希望を象徴するものなのです。
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