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ネオテニー・ジャパン展を見てきました。 [アート論]

修羅展を見た後、
ネオテニー・ジャパン展を見て来ました。

現在の金融危機による経済の落ち込みの時期に、
合わせたかの様な、タイムリーな企画です。

つまり2002年から2007年10月の時期が、
サブプライムローンに代表されるアメリカの過剰消費をによって、
世界中が根拠なき熱狂と言われる、
熱狂に包まれていたのです。

この時期に、
バブルアートとも言うべき、
ニセアートの氾濫があったのです。
ただしフェイク・アートといっても、
それはメジャーアートであったのです。

ネオテニー・ジャパン展は、
根拠なき熱狂アートというべき
その日本版の回顧展となっているからです。

終わった時代のフェイク・アートの回顧展として、
見えたのですが、
正直、あまり面白くは無かったです。

これらのメジャーアートは、
偽善の作品群です。

《真性の芸術》としての根拠が無い。

たぶん、リアルタイムに見れば、
もう少しデザイン的な直接性のインパクトがあった
のではないのかと思いますが、
回顧の中では古くなっていて、インパクトも劣化してして、
帰って来て思い出しても、
ほとんど、語るべきものはありません。

【続きは下記をクリックして下さい】
あえて批判するだけの気力も湧かない展覧会でした。

しかし面白かった事が2つあります。

一つは題名です。
「neoteny」という言葉でくくられていて、
それは「幼形成熟の意」だと言うのです。

つまり「幼形」ということは、
精神科医・高橋龍太郎というコレクターには、
充分に理解されているのですね。

もう一つは、この高橋龍太郎氏の顔を、
画像でですが、カタログで見れた事です。

《第8次元》の方で、これらの美術作品を信じておられる事が、
良く分かりました。
一つの信仰世界であり、信徒であられる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

重要な事は、これら1990年代以降の約20年間の美術を支えた
時代潮流が、終わったと言う事です。

過去に比較すれば、
1929年の世界大恐慌が起きて、
日本の大正デモクラシー/大正芸術運動が、
終わったのに、類比できる事態です。

否応無しに、何かが終わって行く時代ではあります。
淘汰の時代なのです。

しかし淘汰されるのは、ここに並べられた「幼形」のニセアートと、
決定されているわけではありません。
むしろそれ以前の、つまり1990年以前の現代美術のかなりの
アーティストが退場することのほうが、確実でしょう。
その中には、私自身が入らないという保証はありません。

このブログでも、
美術批評の可能性を目指して書いては来ていますが、
今回のこの「幼形」展を見て、ある意味で、終わりを感じました。
批判する情熱も持てないほどに、
メジャーであったフェイク・アートの実物はつまらないからです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

主観的には、自分自身の制作は、面白くなっていて、
残りの人生、制作が出来れば良いと言う風に思い始めています。

あと、気体分子ギャラリーで、自分を入れて7人のアーティストの
展覧会とマネージメントをして、
インディーズ系のギャラリーの基盤をつくる試みをしたいとは
思います。

それもささやかなものであります。

情報化社会の中で、極大化した大衆社会の中では、
確かに駄菓子のような「幼形」のニセアートが、氾濫するのは
必然ではあります。
メジャーアートは、これからもフェイクであり続けるでしょう。

インスタントラーメンのようなフェイク・アートの時代は、
これからも、際限なく続くのです。

その中で、ささやかなインディーズ・アートー活動をしてみたいと
思います。







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NO NAME

BANKARTで原口展をやっていますがポストもの派と呼ばれている一群の作家も今以上に信仰だと思います。信仰と言えばNYで見たクイーンズ美術館でのコンセプチュアル展もNY初の概念芸術の教義が辺境にある極東の小国にまで影響したというコンテキストで構成されていました。少なくともネオテニーの作家たちは欧米の出店でない点が好感が持てます。
by NO NAME (2009-06-01 00:17) 

ヒコ

NO NAME様
 原口をポストもの派というのは、違います。彼は《もの派》というべきものです。しかし正確には関根伸夫の影響では無い面が1960年代後半の横須賀グループにはあって、活動そのものも早さがあります。すくなくとも、原口を「ポストもの派」と書く NO NAMEさんの議論は粗雑です。

クイーンズでの『グローバル・コンセプチュアリズム展』の趣旨は、NO NAMEさんの言うのとは逆の主張の展覧会でした。
 《コンセプチュアリズム》は、世界の中で、独自に多方面で始まっていて、ニューヨーク発の影響ではないと言う、グローバルな同時多発性を主張した展覧会でした。展示面でも、アメリカは、世界の中の一地方と言う扱いで、過小評価されたものでした。すくなくともカタログに残されている主張はそう言うものでした。
 NO NAMEさんは、きちんと展覧会のカタログも読まずに、「NY初の概念芸術の教義が辺境にある極東の小国にまで影響したというコンテキストで構成されていました」と、かってな妄想を、まるで事実かの様に捏造して書く、悪質な議論を、私に仕掛けています。
こうした2ちゃんねる的やりくちは、卑劣なものです。
 NO NAMEさんが言う様な展覧会であれば、なぜに、『グローバル・コンセプチュアリズム展』のカタログの表紙が、コスースではなくて彦坂尚嘉のフロア・イベントなのですか?
 彦坂尚嘉の自宅展を表紙にした『グローバル・コンセプチュアリズム展』の主張は、各地域の《コンセプチュアリズム》の根源的な独自性を認めて評価した展覧会であったのです。

 しかし私の意見は、実は『グローバル・コンセプチュアリズム展』を組織した人々とは、意見が違います。むしろNO NAMEさんに近いものです。1916年のデュシャンやダダイズムの活動抜きには、その後のコンセプチュアリズムの多様な展開は無かったと思うからです。

 1990年代、2000年代のアフリカ、中国、インド、そして日本における似た様な美術の乱立を、各地域の独自性として囲い込み、固有性を主張する意見は強くあります。
 しかし、そもそも、こうした美術そのものが1980年代のアメリカ美術のニューウエイブや、シュミレーショニズムの波及を抜きには、出てこない内容のものです。これらの焼き直しが、世界中で、しかもセルフ・オリエンタリズムを伴って発生しているという共通のパターンが存在します。
 
 さらに細かく見て行くと、具体的な影響関係を探す事は、不可能ではありません。
 たとえば村上隆もネオテニー出ていましたが、村上隆とアンディ・ウォーホル、そしてジェフ・クーンズの関係は、読み取れるものです。実際本人がアメリカに行っているだけでなく、どのようにしたらジェフ・クーンズのようになれるかという発言をしていて、それは小山登美夫の本にも書かれている事です。
 奈良美智の場合にも、ドイツに留学して、ペンクに師事していた事、さらにキース・へリングなどのグラフィティとの関係、ロックで言えばラモーンズとの関係など、海外のポップアート系との関係は強くあります。
 鴻池朋子の、女の子の足の出ている図像は、アメリカの写真画像を使った作家・・・今、名前を思い出せませんが、その作家の模倣であって、鴻池朋子の独自とは言いにくいものであります。
 
 つまり私見を申しあげれば、福田和也ばりの日本独自の表現を強調して評価するやり口は、右翼を自称する以上しかたが無いにしろ、美術史的には客観性は薄いものです。
 問題なのはNO NAMEさんにある日本独自の表現を求めようとする福田和也的な心性そのものがもつ、先入観に、欺瞞性の問題があると言う事です。なにに「好感」を持つかは、各自の勝手でありますが、それが粗雑な妄想と先入観に支えられたものに過ぎないように私には見えると言う事です。

 もう一つ別の議論を提起すれば、国内史的に言えば、1990年代美術を強く押し出したのは椹木野衣ですが、彼の『日本・現代・美術』を読むと、彦坂尚嘉の名前が冒頭から、繰り返し出てくる事です。彦坂尚嘉が畳を使い、コタツを使っている早いアーティストであって、日本の独自性を強調するネオ・ジャポニズムの源流の一つが彦坂尚嘉にあって、1990年代の椹木野衣自虐派の美術家たちの先駆者としての存在を持っている事です。
by ヒコ (2009-06-01 03:53) 

瀧口 修造

メジャーアートは、すべてがフェイクではないし、やはりその時代の流れを
汲んでいるのだとおもいますよ。世界で幼形というものが受け入れられるのは、資本主義社会の歪からくる、心の攻撃性を柔和にする作用があると思われます。 美術専門家ではない一般の人々は難解な自慰行為のような現代美術(過去の表現の繰り返しでもうアイデアは飽和状態ですね)はすでに必要ないものかもしれません。人々に何の感動も与えないインディーアートの方が筵フェイクなのかも知れませんね。

by 瀧口 修造 (2009-06-04 01:57) 

ヒコ

滝口修造先生
コメントありがとうございます。
ご説はごもっともです。メジャーアートはすべてがフェイクではありません。
評価はいろいろではありますが、私はジェフクーンズは評価していますし、好きではあります。
 世界で幼形というものが受け入れらたという言い方も、結構ではありますが、20年経って、同様に言って、どの程度の生き残り作家がいるのかが問題なのであります。
 1980年代の美術も、実は熱狂的でありました。これは難解な美術ではなくて、馬鹿にでもわかる優しい美術でした。日本では京都の出版社の、名前を忘れましたが、そこが日本を含む、世界中のニューウエーブ/ネオジオ系の作家の本を200冊くらい出しています。その多くが、今日忘れられています。その出版社もつぶれました。
 もっと簡単にみられるのは美術手帖の特集号ですが、バックナンバーで1980年代のものを見て行くと、いかに多くの若手作家が、華々しく登場し、消えて行ったかが、解ります。
 この1978年くらいから1980年代に華やかに登場する素人が熱狂する美術の中心地は、アメリカと、ドイツ、イタリアでした。これらの多くの作家が消えます。アメリカ美術で残ったのは、シンディシャーマンと、ゴーバー、そしてジュフクーンズと言われます。
 それこそ消えた代表は、イタリアの3Cなどの幼形アートは、今日では忘れられているのです。この3Cの2の舞いに、日本や中国、そしてインドの自虐的オリエンタリズム美術がならないという確実な保証はないのです。

 音楽で考えると、こうした現象は、1976年くらいからのパンクムーブメントに似ています。特にイギリスの動きに似ています。ロンドンのパンク/ニューウエーブの音楽シーンは、この後消えてしまいます。そしてロンドン以外の所で、パンク音楽の新手が登場してきます。
 つまりこれを美術の反映させて考えると、1980年代は欧米中心に展開されたニューウエーブ/シュミレーショニズムの動きが、1990/2000年代には、アフリカ・インド・中国・日本といった現代美術の後進地域で波及的に、欧米のオリエンタリズムに媚びる形で花が咲いた、という風に見えます。

 つまり1980年代のニューウエーブ/シュミレーショニズムの、波及的な反復が、1990/2000年代の後進国現代オリエンタリズム美術の台頭であるように見えるのです。
 それは中心部のアメリカ/イタリア/ドイツの作家の過半が消えたように、今日の中国/インド/日本の作家の多くが、欧米の評価から消える可能性はあるのです。

 この後、どうなるのかは、実は予測できないところがあります。
滝口修造先生の「美術専門家ではない一般の人々は難解な自慰行為のような現代美術」という理論は、実は既にあるクリシェイの論理の焼き直しです。実際に、そのような難解な美術とは何であったのか、具体的な作家名と作品で論じてご覧なさい。多分、それはポロックなどのアメリカ抽象表現主義や、もっとさかのぼるとセザンヌの絵画を指し示しているのですよ。実際の美術史の具体的な観察と、調査を抜きに、流通する風説を繰り返しても、それは有効性を欠いています。
 まあ、滝口先生は死んでいる方ですから、風説の繰り返しをただ反復している天国の日々でも良いではありますが・・・。正直に言って、滝口先生はもう過去の人です。古すぎるのです。お消えなさい。


by ヒコ (2009-06-04 23:43) 

赤トマト

滝口修造を騙るどなたか知りませんが「一般の人々は難解な自虐行為のような現代美術・・・」という乱暴な言説には怒りを覚えます。滝口先生が天国からメールしてくるとは考えられないので半可通で語っているのでしょうが、わが国にシュールリアリズムやダダを紹介した先生にあまりにも失礼です。そもそも、「難解で自虐行為のような現代美術」などどこを探してもありません。価値とは相対的なものなので表面しか見えない人にはどんな絵だって理解する事などできないのですよ。難解だから面白いという事だってあるわけで、でないとデュシャン展に一日2000人もの観客がきた事の説明ができません。17世紀初頭のマニエリスム絵画は長らく難解な絵画といわれて無視されてきて現代は完全に復権して美術史の重要なアイテムとなっていて、現代の美術だって300年もたてばどうなっているかわからない。というのが美術の世界なのだという事は少しでも美術の歴史を勉強すれば解るはずなのだから。
by 赤トマト (2009-06-17 00:35) 

瀧口 修造

 現在、作家が難解であることが現代美術なのだと思いこむ方向性、又は解りやすければなんでもいいという両方の方向性に対して疑問を感じますね。ディシャンやウォーホールが仕掛けたアートの(トリック)罠にまんまと陥ったインディーズの作家が自慰行為の作品なかで埋もれていってしまうのが残念です。
ディシャンやウォーホールが仕掛けたアートの(トリック)の鍵を開けてくれるような作家が今後現れることを期待したいですね。
by 瀧口 修造 (2009-06-17 01:08) 

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