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《6流》と言語の間接性について(改題加筆1) [アートの鑑定士]

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naさんから、次の様な質問をいただきました。

更新御苦労さまです。

ありがとうございます。
この頃は、名刺にも、トップでブロガーと書いていますから、
まあ、ブログも美術作品の内です。

質問ですが、2日前、記事でフェルメールの絵画が6流の<デザイン的エンターテイメント>とおっしゃっておりましたがいまいち腑に落ちません。

ごもっともです。

実物を見ていないのでなんとも言えませんが奈良美智や遺跡の壁画と同じ分類にはいる理由がいまいちピンとこないのです。
今までのブログの中でわからない人を納得させるのは難しいと書かれておられましたが、無理迷惑を承知でその判定を解説していただけませんか。

もしよろしければお願いします。

2日前の記事にコメントをつけようかとも思ったのですが、気づいていただけないのではないかと思いこちらにつけさせていただきました。 
by na (2008-10-29 20:53)  


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na様
コメントありがとうございます。ご不審はもっともと思います。

私の方法は、《言語判定法》と言うものです。
これは、言語の機能には、認識力があるという考えに基づいています。
つまり言語は認識の道具であると考えます。

言語は、コミュニケーションの道具だと考えている人が多いですが、
実は、認識の道具でもあるのです。

言語をコミュニケーションの道具だとすれば、
世界中を一つの言語で統一すれば良いのです。

しかし、例えば、エスキモーは雪に関する言葉をたくさん持っていて、
それを英語にすべて置き換える事が出来ないのです。

雪の中で暮らすエスキモーは、雪を差を細かく認識していて、
それに対応する言語を持っています。

世界に少数言語というのは6000くらいあると言われますが、
これは、実は人間が、現実を認識する多様性であって、
重要だと言うのです。

《言語判定法》というのは、
言語と事実の関係を測定して、
判断する、主観的な観測法です。

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猫がいるとします。
猫に向かって、「ねこ」という言葉を発すると、
「ねこである」という反応が返って来ます。

猫に向かって、「いぬ」と言う言葉を発すると、
「いぬではない」という反応が帰って来ます。

この木霊(こだま)のような反応を使って、
対応する言葉を探して行くものなのです。

《言語判定法》での木霊(こだま)は、
微細なものですので、
微細なものに反応する神経の集中力が必要です。

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さて、《6流》の話です。

たとえば私がカボチャを水だけで煮て食べて、美味いな、と思って、
格付けをすると《6流》なのです。
《6流》というのは自然領域なので、当然と言えば、当然です。

しかしフェルメールと一緒というのは、説得性に欠けるものです。

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友人の清水誠一さんは、フェルメールが好きですので、
フェルメールが《6流》で、無印良品が《6流》というのは、
おかしい、と言うのです。

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モーツアルトが《6流》というのも、
清水誠一さんは同意しなくて、
どうしてモーツアルトと、
奈良美智が同じ《6流》なんだと言うわけです。

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こういう疑問は、当然だと思います。

しかし私の言っている事は、
カボチャの水煮と、フェルメールの絵画を並べて、
一緒だと言っているのではないのです。

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同様にフェルメールと、
奈良美智の絵を並べて、
同じに見えると言っているのでは、
全くないのです。
ただこの場合、両方とも透視画面の絵画ではなくて、
原始平面上の絵画であるという共通性はあります。

原始平面
透視画面

この2つは、
基本的に人間の作り出して来た2種類の絵画なので、
説明する必要はあるのですが、
次回にゆずります。

とにかく、《6流》の美術というのは、
原始平面です。
あるいは、原始立体です。

しかし、今回は、
《言語判定法》の基本を説明したいと思います。


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フェルメールの絵画と、《6流》と言う言葉が関係している。
無印良品の商品と、《6流》という言葉が関係している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゆえに、フェルメールと無印良品は、
《6流》という言葉と関係性を持っている事において同位である。

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と言っているのです。

これは、言語を使った数式のようなものなのであって、

直接の関係性ではありません。

ですから、はじめから、《6流》は自然領域であるとか、
原始平面/原始立体であると、決めて言っているのではありません。

《6流》と言う言葉に、木霊の反応を返してくるものを集めて、
《6流》という領域を推定しているのです。
ですから順番としては、まず、《6流》という言葉なのです。



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「言葉」というものの、間接性について、
注意して欲しいのです。

「言葉」というのは、視覚の「イメージ」に比較しても、
間接性が、強いのです。

まず、画像と言葉の違いを、見てみましょう。

「木」という言葉に対応する画像を集めようとすると、
結構たくさんあって、大変なのです。
厳密に言えば、集めきれないものなのです。

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つまり、たった一つの言葉である「木」と言う言葉と、
世界の中にある木、および木をつかった製品は多くあるのです。

松も、木です。
杉も、木です。
柳も、木です。
楓も、木です。
榛松も、木です。
この白檀も、木です。
・・・

この机も、木です。
この風呂も、木です。
この箪笥も、木です。
この箸も、木です。
この窓も、木です。
このドアも、木です。
・・・・

この仏様も、木です。
この彫刻は、木です。
もの絵画の支持体は、木です。
この書が書かれているものは、木です。
この橋も、木です。
この建築は、木です。
・・・・

言葉で、「木」という一言で、節約して、
つまり抽象化をしてとらえている事象ですが、

これを画像にすると、膨大な量になります。

そもそも直接性に還元して認識すると、
あの松ノ木と、この松の木は、違う、
ということになるので、
直接的な認識と言うのは、
実は、認識ではないのです。

認識というのは、言語という間接性によって可能になります。
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さて、そうして、ここに木の椅子があるとします。

一つの木の椅子に、いろいろな言葉がつきます。

この椅子は、木です。
この椅子は、家具です。
この椅子は、道具です。
この椅子は、ニスで仕上げられています。
この椅子は、で人が殴り殺されたので、この椅子は凶器です。
この椅子は、きれいです。
この椅子は、デザインが良いです。
この椅子は、1万円します。
この椅子は、マッキントッシュがデザインしました。
この椅子は、雑誌に写真が載りました。
この椅子は、《超1流》のものとか、《1流》のものではなくて、《6流》です。

つまり一つの椅子に対応する言葉は、いくつもあるのです。

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言語と言うのは、

こうして、外界の事物と、

多様で、

間接的な関係を持っているのです。

この間接性と、
多様性を使った、
認識作業が、
《言語判定法》であるのです。

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基本にあるのは、
フッサールの現象学です。

私は大きな影響を受けていて、
特に『厳密な学としての哲学』という書物を崇拝しています。

私が目指しているのは『厳密な学としての芸術』なのです。
その方法として、《言語判定法》を開発したのです。

美術を見るためには、
3つの方法が必要であると、考えています。

1、イメージ判定法
2、科学的判定法(現実判定法)
3、《言語判定法》

ですので、《言語判定法》だけで良いと言っているのではありません。

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フェルメールについては、
アートとデザインの区別(2/2)でも、
触れていますので、見て下さい。









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