彦坂尚嘉の顔/自分の顔(画像追加/加筆1) [顔]
彦坂尚嘉の顔
ギャラリーARTE「知覚されたアフォーダンス展」と3人の顔(改題加筆5) [顔]
アフォーダンスというのは、すべての動物はそれぞれに特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考えで、環境がそこに生活する有機体に対して与える(afford)「意味」のことす。環境に実在し、動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味/価値が、アフォーダンスです。時間や空間もそれぞれの動物にとって異なった時間・空間として知覚されている。 動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされるのです。つまり今回の3人のアーティストの意味構成の仕方の差異が、主題の展覧会と言えるのでしょう。
ゲイ映像作家として評価の高い 大木裕之氏、
古田織部の焼き物(備前焼き)の陶芸家・安倍安人氏、
そしてブロガーで《BIKYOTO》の彦坂尚嘉、の3人を併置すると、
どのような生きる意味の違いが見える事になるのか?、
昨年のこんぴらアートに出品した仲です。
彦坂尚嘉は、安倍安人さんの色のきれいな、
独創的な花器にしびれてしまいました。
そして大木裕之氏は、実は四国の高知を根拠にしている
アーティストであって、ギャラリーARTEとは、
親しかったのです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
6月13日〜7月21日 丸亀・ギャラリーARTE763-0022
香川県丸亀市浜町115-9
tel. 0877-21-5604
mail はこちらへ
www.arte-g.com
■丸亀駅高架下駅南出口徒歩1分【浜町(将八うどん前)、メゾネット2階建て
1Fギャラリー 2F書店・事務所 。
。
■東京大学工学部建築学科在学中の80年代後半より映像制作
を始めた、大木裕之が、ネオキュビズム宣言からの 絵画作品。
■古田織部様式を解明した造型作家_安倍安人の備前陶芸。
■2008年こんぴらアート展にて、旅館天井でのインスタレーション
『見立て茄子・赤茄子』という新たな展開を見せる彦坂尚嘉。
があります。
アルテの空間に充満する3作家の融合か分離か化学反応か・・
どうぞご期待ください。ギャラリーARTE 梅谷幾代
http://www5a.biglobe.ne.jp/~Arte2000/
【続きは下記をクリックして下さい】
アントン・フォン・ウェーベルン [顔]
加筆2/北野誠とレニー・ブルース [顔]
北野誠の顔(加筆緑文字/『週刊新潮』の記事を最後に加筆3) [顔]
おまえら行くな。 北野誠怪異体験集 |
ルナティック・ウォーカーシリーズ
16日午前1時に始まった放送では、
冒頭から「リスナーの方々からのお便りを調べた結果、
(番組中に)大きな誤解を与える表現をしていたことが明らかになった」
などと同局アナウンサーによる“おわびの言葉”が10分間隔で
同2時45分の終了時間まで繰り返され、
その間ずっと音楽が流れるのみ。
番組のファンが集うネット掲示板には、最後の放送を聞いたファンが
「ソ連の要人が死んだ日のモスクワ放送のようだった」と
不気味な様子をつづっていたというのです。
ABCによると、打ち切りが決定したのは11日の夜。
8日の放送が前倒しで最終回となる異例の事態となったというのです。
同番組のホームページでも「この点について、
話題で取り上げた関係者の皆さまに、ご迷惑をおかけしたことを
おわびいたします」と掲載した。だが、詳細については「お答え
できません」と回答を避けたというのです。
かなりの状態です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北野誠は、以前にもいくつか問題を起こしていますが、
山本リンダへの暴言事件も、かなりのものです。
1993年、ラジオ番組「誠のサイキック青年団」で、山本リンダのヘアヌード写真集について、「溶けたアイスクリーム」「整形手術をしまくっている人造人間の写真集なんか買うな!」と猛烈にこき下ろしたことに山本が激怒。名誉毀損として一億円の損害賠償を請求され、同番組のパーソナリティーの竹内義和と共に、マスコミ公開の中で謝罪会見をした。(出典/Wikipedia)
その問題発言は、1993年5月24日に放送された朝日放送『MAKOTOのサイキック青年団』内で起きた。北野が前日に発売された山本リンダのヌード写真集に触れ、「(リンダが)100カ所以上を整形しているのは有名。あんなの(写真集)見たくもない。買うたらあかん」と発言したのだ。
この発言をリンダの事務所が問題視し、北野側に謝罪を求めた。北野は謝罪したものの、誠意がないと受け入れられず、北野は再び自身の番組などで謝罪した。北野は最終的にリンダ出席のもと、謝罪会見を行い、問題は解決されたが、その賠償として朝日放送は半年間のレギュラー放送をリンダに与えたという。(出典/http://news.ameba.jp/weblog/2008/02/11137.html)
この山本リンダに対する罵詈雑言というのは、
批評の範囲ではありません。
批評というのは、名誉毀損になるものがあるのですが、
それでも批評が言論の自由として容認されるのは、
あくまでも社会的な公益性があると判断される範囲なのです。
ですから、社会的な公益性を欠いた罵詈雑言は、
批評ではないのです。
整形美容の善し悪しに対する意見はいろいろあると思いますが、
美容整形が非合法ではない以上、
それをあからさまに批判する事が可能だとは、
私には思えません。
ですからこの私のブログでは、直接的な言明は避けています。
山本リンダの本を「買うたらあかん」という事を言うのも、
無理というもので、
これも批評の範囲では無いと思います。
ですから、謝罪するしか無かったのは当然ですが、
北野誠の言論活動の面白さというのが、多分に2チャンネル的な
こういう事件に象徴されるような性格を持ち続けていた事と、
今回のラジオ番組の異様な中止とはつながっているのです。
「山本リンダ ヌード写真集」で画像検索をして、
そのヌード写真を見てみましたが、このブログでは
載せられないものでした。
猥褻だからです。
このブログは、基本としては猥褻画像は載せません。
猥褻の自由の追求を全面否定はしませんが、
猥褻の抑圧は、人間の文化の基本だからです。
猥褻を抑圧しない限り、
人間の高度な文化は成立しないのです。
私見を申しあげれば、荒木経惟のSM写真は猥褻なものであり、
ロバート・メイプルソープのハードコアSM写真は、
芸術的であって、芸術論的には猥褻ではありません。
さて、北野誠の顔を見てみましょう。
星島貴徳被告の顔 [顔]
【神隠し公判求刑】(2)恐怖感、痛み、絶望感、無念…「怒りの涙を禁じ得ない」涙声の検察官(10:15〜10:30)1月26日12時3分配信 産経新聞
|
三浦和義の自殺/《象徴界》は追跡を止めない(修正加筆6画像追加) [顔]
◆1◆It's Gonna Rain◆◆◆◆◆◆◆
三浦和義の自殺には、驚きました!
テレビを見ない私が、たまたまロスアンゼルスの移送されるところを、
《想像界》の眼で《超1流》の《真性の犯罪者》
《象徴界》の眼で《31流》の弱い人。
《現実界》の眼で《31流》の強い人。
1981年に当時の妻がロサンゼルスで何者か銃撃され死亡した事件で、
妻を守って、確か飛行機で運びましたよね?
しかし銃弾は一美の前頭葉に達しており、高度障害の植物人間になった。植物人間になったことで三浦には、保険会社3社からそれぞれ最高支払額が支払われ、総額1億5500万円になった。一美は意識が戻ることはなく11月30日に死亡した。
この頃はテレビを見ていたから、
当然見ていたのです。
これが1981年ですから、
事件そのものが1980年代的な、
象徴性を持っていたのです。
つまりこの時期から、人間の《象徴界》が弱くなった文化風土が登場して来ています。その象徴的な事件であったのです。
それは1975年のアメリカのヴェトナム戦争での敗北によって、18世紀からの理性的な人間というヒューマニズムが崩壊し、フーコーが予言した様に、「人間の死」が社会的一般性を持ったのです。この「人間の死」と言う意味での《人間》と言うのは、ヨーロッパ的な理想の理性的な人間と言う意味です。《理想の理性的な人間》が死んで、邪悪な悪魔としての人間が跋扈する時代になります。
ヴェトナムで敗戦したアメリカでは、子供がさらわれる事件が頻発し、年間1000件を超える様になります。地下鉄も治安が悪化し、地下鉄の中でレイプ事件が起きて、乗客が見て見ぬ振りをするというひどい状態になって、列車に警官を乗せないと、走れなくなって行く。ホラー小説が台頭し、映画もやたらにおどろおどろしいものが増え、そして幽霊がハリウッド映画に登場してくるようになり、迷信が台頭するのです。
日本の1975年以降の状況をアメリカの様に明確には語り得ないのですが、それはヴェトナム戦争の敗北の主体国ではなかったからです。しかし、三浦和義個人の問題があるにしても、1947年生まれという三浦和義の全共闘世代という性格は、実は、何らかの問題性を持っていたのです。1970年安保闘争が終わって、つまり全共闘世代の、何らかの共通性として《象徴界》の劣化や衰弱が見られたのです。いや、そもそも1970年安保闘争そのものの根底に、野蛮への回帰の衝動が潜在し、悪への傾斜があったのではないのか?その象徴的な存在として、三浦和義とその犯罪があった可能性は、無いのだろうか? と考えたいのです。それほどに、1980年代からのモラルの退廃と、《象徴界》の衰弱化は顕著になるからです。
1980年代の悪魔主義の台頭に、危機を持つ小説家が何人か登場しますが、その一人が平井和正でした。
平井和正という、ライトノベルの元祖となる小説家は、桑田次郎の『8マン』や、石ノ森章太郎の『幻魔大戦』などの、漫画原作者でありました、そしてまた、『週刊少年マガジン』掲載の池上遼一版『スパイダーマン』には、後半からストーリー・ライターとして加わり、本家の米国版とは異なる展開を見せたのです。私はこれらを読んでいましたが、実にすばらしい展開でした。スパイダーマンが苦悩してくのです。そこで展開される悪との戦いは、次第に真剣なものになって行きます。「人類ダメ小説」と自称する、「人類の暗黒面」を強調するアクションSFを、多数発表するようになります。
1970年代から1980年代前半にかけて、『ウルフガイ』シリーズ、『アダルト・ウルフガイ』シリーズ、『幻魔大戦』シリーズなどのヒットシリーズを連発し、悪との前の戦いは宇宙戦争の規模に拡大して行きます。私は『ウルフガイ』シリーズの熱狂的な読書の一人でありました。『幻魔大戦』は1983年(昭和58年)に角川春樹制作、りんたろう監督、大友克洋キャラクター・デザインで劇場アニメ化される。その「ハルマゲドンを闘う戦士たち」というテーマが、日渡早紀の漫画作品『ぼくの地球を守って』などに影響を与えていきますが、こうして悪と戦う《象徴界》は、空想の世界の中で、邪悪なものと戦い続けていたのです
そして1991年のインターネットの登場(WWWの登場)によって、パンドラの箱は開いて、鬼畜系のおぞましい世界が、地上に出現します。悪魔主義の時代になったのです。
そうした悪の跳梁が、現在の世界大恐慌の時期に一致して、三浦和義の自殺という形でであれ、司法に追求された形で決着したのです。日本の裁判で無罪になりながらも、《象徴界》は遅れながらも、執拗に追求し続けて、「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺の通りに、天の網は広く、その目は粗いようですが、悪人を漏らすことなく捕える。すなわち、天道は厳正で、悪事をなしたものは早晩必ず天罰を受ける、ということを証明して見せたのです。つまり《象徴界》の存在を世に知らしめた効果は、極めて大きいのです。楽天すぎる能天気な感想ではありますが、現在の世界経済危機と重なっている事で増幅してイメージするわけで「雨が降って来た」のです。
つまりノアの箱船の物語の様な、世界が水に沈む大洪水の時代の到来です。つまりノアの箱船が必要なのです。ちなみに思い出すのは、ミニマルミュージックのスティーブ・ライヒの処女作である『イッツ・ゴナ・レイン』It's Gonna Rain (1965)です。これはイスラエルの裸足の予言者が、大洪水の雨の到来を告げ、ノアの箱船を予言する言葉を反復した実験的なミニマルミュージックです。
驚いて読みました。この日は、東京では珍しい大雪の日でありました。
さて、この事件は複雑怪奇なもので、迷路の様相をしていて、
すでに多くの本が書かれ、ネット上でも詳細な事実経過を読むことが出来ます。
《象徴界》の眼で《31流》から《1流》までの重層的な人格。
《現実界》の眼で《31流》。
気体人間。
《ローアート》的人間。《気晴らしアート》的な人間。
【つづきは下をクリックして下さい】
リーマン・ブラザーズ最高責任者の顔(改正1) [顔]
リーマン・ブラザーズ破綻、破産法申請
米証券大手リーマン・ブラザーズは15日未明(日本時間同日午後)、連邦破産法11条の適用を申請すると発表し、実質的に破綻(はたん)した。米欧の金融機関との間で身売りや出資受け入れなどの交渉を続けたがまとまらず、自力再建を断念したものとみられる。