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伊東直昭の個展にむけて(加筆1) [気体分子ギャラリー]

伊東10.jpg
P10862262223.jpg


◆1◆◆奈良美智と同じ年の生まれ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

伊東直昭は、1959年神奈川県横浜市生れで、藤沢市在住
1985年に多摩美術大学の美術研究科を修了しているアーティスト
です。

実は、奈良美智も1959年に生まれているアーティストなのです。
つまり伊東直昭は、奈良美智と同い年のアーティストなのです。

この二人に違いはたくさんあります。
伊東直昭は、アーティスト・レジデンスの世代で、
インスタレーションの作品も多く作って来ているからです。
しかし共通性もあって、
自分の描きたいものを描いて行こうとする頑固さです。
それは奈良美智がナイフを持った少年を描いたように、
伊東直昭は、内面的に錯綜してひねこびた人物像を描き出します。

伊東直昭の外面は、非常に大人の、真面目で善良な人物なのですが、
しかし描き出す人物像は、異様にひしゃげ、屈折していて、
怖さをもった、危険で、不穏な暗い人物像なのです。
この落差は、観客を戸惑わせ、考えさせるものを持っています。
人間の内面の不可思議さを感じさせるからです。

◆2◆◆ポストヒストリカルの世代◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

奈良美智や伊東直昭の世代は、1975年にアメリカがベトナム戦争に
破れることで、一つの近代が終わった後の世代であると言えます。

つまり近代という時代は、端的に言えば産業革命の作り出した時代で、
この産業革命は、イギリス/アメリカ型の自由主義の近代と、
ソヴィエト/共産圏がたの社会主義の近代の、
2つの近代があったのです。

日本の常識では、近代に2種類あったと明確には自覚しませんが、
ネグリ/ハートの『帝国』では、こういう近代観によって、
書かれています。

そしてこの自由主義型の近代が、もう一方の社会主義型の近代と、
ベトナム戦争というアジアの場で激突する熱戦を戦ったのです。

私たちは「冷戦構造」という言葉になれて、
現実には熱戦が、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、
そして10年も費やしたソヴィエトの最後の戦いであった
ソ連・アフガン戦争も、熱戦であったのです。

さて、ベトナムでアメリカが敗れたとき、
同時にモダンアートの歴史も終わったのです。

それはソ連・アフガン戦争で、ソヴィエトが破れた1989年に
もう一つのソヴィエト型近代の終焉であった事と、
重なるのです。

こうして1975/1989年で、
近代は最終的に終わるのです。

ですから1991年のソヴィエトの崩壊で、
アメリカが冷戦において最終的に勝ったと考えたのは、
1975年のベトナム敗戦を忘れた錯誤であったのです。
実は1975/1991年で、アメリカとソヴィエトの両者が破れて、
脱近代の違う多極化の時代に入っていたと考える方が、
合理的であるのです。

1975年のアメリカの敗戦は、
近代の終焉による、新しいスタートを始めさせます。

音楽で言えば、それは現代音楽の前衛の停滞となって現れ、
それを突破するかのようにして、ブライアン・ファーニホウ
[第41次元の音楽]が現れます。
それは「新しい複雑系の音楽」と呼ばれるものです。


もう一つはロックに於けるパンクロックの登場となって、
現れたのです。それはさらには1980年のバットレリジョンの結成に
結実して《第41次元》の音楽の確立となって、以後に大きな影響を
与えます。

では美術ではどうであったのか?
美術は複雑な形態をとりますが、一つはシンディ・シャーマンの登場で、
以後、似た様な扮装もののエピゴーネン・アーティストを大量に
作り出します。
シンディ・シャーマンは、1976年にバッファローで初個展を、
そして1980年にニューヨーク・ソーホーのメトロピクチャーズと
ザ・キッチンでの個展が成功し、
アート界で注目されるようになります。
そしてその作品の展開はグロテスクな汚物や性器をむき出しにした
人形を使う《第41次元》的表現になって行くのです。

この1975年以降の脱近代/ポストモダンの状況を、
美術史の終焉として語る論調が現れます。
ハンス ベルティング著『美術史の終焉?』(1991年勁草書房) などが、
代表ですが、後数冊あったように思います。

これらの評論の内容は、それほどたいしたものではないのですが、
ポストヒストリカルな時代の雰囲気は、指し示す効果があったのです。

伊東直昭らの表現の特徴は、
この美術史の終焉の意識であって、
そこには前衛の終焉以降の、独特の閉塞した停滞感と、
その中で、自己の内面の必然性で美術を判断して作り出そうとする
暗い、淀んだ錯綜性があるのです。

◆3◆◆気体分子ギャラリー第1回個展として◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

彦坂尚嘉という1946年生まれのアーティストが、
作品として展開する気体分子ギャラリーという画商活動の、
その第1回に伊東直昭を取り上げるのは、
このアーティストとの信頼感が形成されている事があります。

伊東直昭は、多摩美術大学の学生の時に、Bゼミという横浜にあった
小さな現代美術の学校の夏期講座を受講して、彦坂尚嘉に出会って、
大きな影響を受けているからです。
彦坂尚嘉から、再び美術を近代以前の古典に回帰する所から
基礎づけ直すという方向性を与えられます。

彦坂尚嘉の芸術論の特徴は、
モダンアートを、近代以前の芸術の脱構築として見るという、
見方です。
それは比喩としては家族論で語られます。
つまり家族と言った時に、全人類の歴史の中で見ると、
家族というのは血縁集団で、大家族こそが、基本の形態であって、
近代の核家族は、その大家族の解体現象であって、
家族の原型ではないと言う見方です。

つまり、同様に芸術は、近代以前に本来の芸術作品があるのであって、
その近代以前の芸術の解体として、現代美術は現れている
という解釈です。

だから、繰り返し、前近代に回帰する事で、
歴史的理性として芸術が把握可能になるのであり、
故に、前近代の芸術を脱構築して行く事が可能にあるという
主張なのです。

伊東直昭は、マチアス・グリューネヴァルトの『十字架刑図』という
《第41次元》の絵画から大きな影響を受けて、
グロテスクな様相を持つ絵画やドローイングを描きだします。

彦坂尚嘉は、この《第41次元》性を持つ伊東直昭の作品の暗さを、
高く評価したのです。それはバットレリジョンの音楽や、
シンディシャーマンのグロテスクな性器をむき出しにした人形の
作品と同次元の《第41次元》性の刻印を持っているからです。

◆4◆◆内面に閉じこもる情報化社会の象徴主義美術◆◆◆◆◆◆◆◆

伊東直昭の作品は、外部性を失った、内面だけの人間の停滞と退廃を
描き出しているかのようです。それは19世紀後半の、
人間の内面や夢、神秘性などを象徴的に表現しようとした
ギュスターヴ・モローやオディロン・ルドン、
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌといったアーティストに
つながる様な様相を持っています。

では、単純な焼き直しであり、復古なのか?というと、
そうではなくて、奈良美智に代表されるドローイングによる直裁な、
シニフィエ(記号内容)の美術を展開してくるのです。
情報化社会の美術の特徴である脳内リアリティの直接表出を目指す
かのような、その作品は重い様で軽く、
そしてサブカルチャー的であり、そして伊東直昭が好きな、
プログレッシブなロックが聞こえてくるドローイング作品なのです。

タグ:伊東直昭
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田嶋奈保子の「燃える家」のパフォーマンス(加筆5改稿2校正5) [気体分子ギャラリー]

下記で、田嶋奈保子のパフォーマンスが見られます。

田嶋奈保子/崩壊.jpg
さて田嶋奈保子の最初の作品を見たのは、
「崩壊」という水彩画であった。
ご両親の不仲による、家庭崩壊を主題にしたこの絵画は、
私を打つものがあった。

不幸な人は、良い作品をつくる。
そういうものなのです。

その後、田嶋奈保子は、「燃ゆる家」と題されたシリーズを
描き始めました。

それは彦坂敏昭の「燃える家」に続く様にして始まったのです。
私は最初の「崩壊」という作品は、早くに見ているので、
主題そのものは、彦坂敏昭さんの影響ではないのは知っています。
題名については相談を受けたのですが、
良いのではないか、と答えました。

pic_artist_hicosaka07.jpg
何故に、彦坂敏昭も、田嶋奈保子も、
燃える家を主題に選んだのだろうか?

おのおのの必然性は違うのでしょうが、
しかし、今、世界は金融危機の中で燃え上がり、
崩壊を始めているのです。
このことと、深く関連しているとは言えないかもしれませんが、
そういう時代を象徴する美術になっているとは言えます。

彦坂敏昭/田嶋奈保子.jpg
彦坂敏昭                 田嶋奈保子
《想像界》の眼で《第8次元》のデザイン  《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》 
《象徴界》の眼で《第8次元》のデザイン  《象徴界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第8次元》のデザイン  《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》の美術、気体美術。       《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
                      気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現
《シリアス・アート》《ハイアート》    《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィエ(記号内容)の美術        シニフィアン(記号表現)の美術
《原始平面》『ペンキ絵』         《透視画面》「オプティカル・イリュージョン」
【B級美術】                                                          【A級美術】   
                     


彦坂敏昭さんの、2006年の最初の燃える家は、《超次元》だったので、
それを使いたかったのですが、ホームページの画像が、
完全には開かなくて、使えませんでした。

どうしても今の時代の主流がシニフィエ(記号内容)の表現なので、
彦坂敏昭さんが、デザイン的エンターテイメントになってしまったのは、
止む終えない事とは思います。
田嶋奈保子さんにしても、同じ道を歩むことは、あり得るのです。

新人で、アーティストが登場するときには、
既成の美術界とは異質な作家として出てくるのですが、
その異質性は、長くは維持できないのです。

かならず、周辺を覆う、凡庸性に同化していってしまう。

かといって、同化を拒絶する作家は自閉して、それも限界を露呈する。

同化しつつ、かといって差異をも生産し続けるという、
そういう差異と同化の回転するエンジンを持つアーティストは、
極めてまれなのです。

田嶋奈保子/燃える家 01 .jpg
脳みその様なフォルムで、家が燃え、家族が崩壊して行く。

《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的なの作品、
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

前にも書きましたが、田嶋奈保子の作品を下手だという批判が
ありますが、
彦坂尚嘉の視点で見ると、《第41次元》の《シリアス・アート》で、
しかも《ハイアート》になっている、
良い作品という事になるのです。


田嶋奈保子/燃える家 04.jpg
田嶋奈保子/燃える家2.2.jpg
燃ゆる家は、海に乗り出して行く。

海に怯える燃えゆる家 2.jpg
燃える海上の家  50 号修正後.jpg

作家をほめることは、実は良く無い事です。
また、ほめられたくて作品を作る様になると、
作品は悪くなるのです。
ほめられる目的で、作品を作ってはいけないのです。
難しい事です。

ほめられるという快感が、制作をする目的ではないのです。

では、何なのでしょうか?

他人の思惑を超えて、
盲目的に芸術の道を歩む。

こう言うと再び、何かを、間違えます。

どのような結論を出そうが、
間違えるのです。

単純な結論は無いと言えます。

制作そのものの難しさと、複雑さ。
そして寿命の短さ。

宇宙の闇で燃えゆる家.jpg
宇宙の闇で燃えゆる家 3.jpg
宇宙の闇で燃えゆる家2のコピー.jpg
燃え上がり、溶けて行く家。

《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的なの作品、
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現。

《シリアス・アート》《ハイアート》
シニフィアン(記号表現)の美術。

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

先日の「深川ラボ」での個展では、
「燃ゆる家」のパフォーマンスで、
自分の長い髪の毛を使った、ペインティングをして、
YouTubeで、発表しています。

_MG_5901 小.jpg

さらに、マッチで小さな家に放火するパフォーマンスも行います。

_MG_5915 2.JPG
私が、この「深川ラボ」の田嶋奈保子のパフォーマンスで、
一番感銘を受けたのは、
「顔面ペインティング」でありました。
赤い絵の具を浸けて、自らの顔でキャンバスに絵の具を
擦りつけたのです。

_田嶋奈保子/顔面ペインティング.jpg

アーティストというのは、普通の意味での幸せな生活というのは、
断念しなければ、成立しません。

幸せな生活を、なぜ、断念しなければならないのか?

断念したと言うより、
断念させられて、
断念し続ける事でしか、生き得ないのです。

そうした事は、単なる観念的な事ではなくて、
生理的にも不快感の中を生きる事なのです。

不快の中を生き続けるしか無い、
不幸な人生。

若い女性が、顔に絵の具をつけて描くというのは、
田嶋奈保子という20歳代半ばの女性作家の、
なみなみならない精神の力を感じたのでした。

不幸を生き続けるということから、
逃げない事。
ただ、ひたすら、悲惨な死へと向かって、
一歩一歩歩む時に、
それが、一点一点作品を作り続けるということと、
重ねて行くという、人生。

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田嶋奈保子の家庭崩壊は、
しかし田嶋奈保子個人の問題ではなかった。
現在の時代は、多くの家族が崩壊し、ばらばらになって行く。
その中で、家に火をつける事件も頻発し、
多くの家族殺しの事件も起きたのです。

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自宅に放火で中2逮捕、家族6人殺害未遂



自宅に火を付け、家族を殺害しようとしたとして、神奈川県警大和署は29日夜、殺人未遂と放火容疑で、神奈川県大和市の市立中学2年の男子生徒(14)を逮捕した。

 調べに「普段から両親に勉強や生活態度のことで怒られ、うっぷんがたまっていた。重圧に耐えきれなくなり、家族がいなくなれば自由に生活できると思った」と供述しているという。

 調べでは、男子生徒は29日午前3時45分ごろ、自宅2階で就寝中の父親(42)と母親(41)、小学5年の弟(11)の布団や、1階のリビングにあったこたつ布団などに食用油をかけ、ライターで火を付け、家族6人を殺害しようとした疑い。

 両親がすぐ気付き、消火した。1階や2階の計約7平方メートルを焼いた。1階には祖父(70)と祖母(65)、叔父(38)が寝ていた。

 生徒は、2階の自室にあるベッドの下に包丁を隠しており、「全員死んだら自分も死のうと思った」と話している。(共同)

 [2009年1月30日21時9分]

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日本の家族崩壊だけではありません。
【続きは下記をクリックして下さい】

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タグ:田嶋奈保子
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気体分子ギャラリー(校正2改稿3) [気体分子ギャラリー]


昨晩、某画廊に作品プランを届けてから、
ある作家のオープニングに行ったのです。

「某画廊に作品プランを届けて」と書いたのは、
その作家さんに、どうやって彦坂さんは、食べているのですか?
と聞かれたからです。

届けたプランは、
180センチ×80.5センチのウッドペインティングの2点。

その前日も、作品を画廊に届けている。

明日も、本日一点完成してから、自分で作品をコレクターの所に、
届ける。10号程度のウッドペインティング。

そういう意味では、彦坂は制作をして食べているのです。

皇居美術館とか、ブラックトマトとか、
原爆物とか、アップライトシー、
フローイベントとかの
コンセプチャアル系のものは、売れません。

それでギャラリーARTEさんが、ウッドペインティング以外の、
コンセプチャル系の作品で、専売契約をしてくれました。
ですから、これからはコンセプチャル系作品で食べて行く(笑)。
4月のアートフェア東京2009にも、
そうした作品、皇居美術館を出品して行きます。

専売と言っても、だるまアートとか、
新レディメイド・オブジェは、「深川いっぷく」で
販売を追求してみたく思っているので、
細かい所では、調整をお願いするつもりです。

その作家さんから、
企画で食べている様に聞かれたが、
企画料と言うのは、もらった事が無いです。

前にも書きましたが、村松画廊や東京画廊、ギャラリー手でやっていた
私の企画の展覧会は、すべてボランティアであって、
交通費などは持ち出しだったのです。
企画でたべたことなど、一度も無いのです。

アートスタディーズも、もちろんボランティアであって、
企画料が入るのではありません。

作家業が本業ですので、
できるだけ作品画像も、これから掲載しようと思います。

どうしても《真性の芸術》というのは、
画像の写りが悪いので、
つい、画像掲載を避けてしまいます。

しかしホームページの再構築と改善も含めて、
作品の画像を充実させる努力をしようと思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

それは前から言っていて、準備を進めている、
気体分子ギャラリーの立ち上げとも関わります。
基本はネットギャラリーですので、
ホームページを必要としているのです。

山口麻衣さんという、アートマネージメントをする女性にも
入ってもらいます。
でないと、私は作家業が本業ですから、無理です。

新しいアートマネージメントと、制作の構造を、
作り出せればと思っています。

自分の問題も含めて、
マネージメントを組み立てて行かないと、
この新しい複雑系の世界をサバイバルできません。
私は、まだ複雑系と言う言葉のない、70年初頭から
複雑系を追っかけて来ているのです。
それはミニマルズムの大きな影響を受けて、
その内側から、それを超えようとして来たからです。
その結果として、日本の現代美術界の迷信世界とは、
折り合いが悪くなったと思います。
だからその外に出たのです。

伊東直昭、斉藤ちさと、佐々木薫、田嶋奈保子、中川晋介、
彦坂尚嘉、故人ですが比田井南谷

以上は決まっています。
個人的には横山弦太郎さんもやりたいですが、
気体分子ギャラリーの実力からは、無理かもしれません。
とりあえずは、買って、そのコレクションを売りたいとは
思います。

その辺は、模索してみると言う事です。
アトリエというか、陶器の窯も見に行こうと思います。

自分も含めて、ギャラリーARTEの梅谷幾代さんと
連動できる作家は、して行ければと思います。

とにかく
《第41次元》と《超次元》の作家と作品を擁護する活動を、
したいのです。

先日中川晋介さんも、私のアトリエに来てくれて、
作品も見ましたが、とにかく良い作品を作っている才能です。
才能は夏草の様に生えて来ますが、
日本社会は、それを皆、《6流》にしてしまう。

それをなんとか、《超1流》《41流》のまま、
擁護してみたいのです。



 


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