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作品制作のプロセス/失敗から回帰(改題加筆2ッ画像追加) [自作解説]

白濱万亀さんのアートプロデュースによる
深川での、家のプロジェクトの制作プロセスです。

来週19日より29日まで、花みずき街角誰でもアーティストが商
店街で開催されます。つきましては、もしお時間が許すようで
したら、八仙苑(いっぷく並びの中華屋)に展示の許可をもら
いましたので、トマトと茄子の「見立て」作品をお願いできま
せんでしょうか?

この『トマトと茄子の「見立て」』作品は、
昨年の虎丸旅館で開催された『こんぴらアート』で、
やったものです。

彦坂尚嘉トマトと茄子11.jpg

今回は、この作品を、中華料理屋さんの天井でやります。
天井自体も、おもむきが違うし、
中華ということで、赤い色の多いお店ですから
ずいぶんと違う印象のものになります。

私ども全体の搬入は18日(土)になります。

18日が予定が入っているので、
17日に搬入をしないとなりませんね。
時間がないですね。

また、同展覧会内の別件でご相談がございます。
以前「絵金」のお話をしていただき調べました。毎年1枚ずつ
でも増やしていくという事に共感いたしました。最初の1枚は
やはり彦坂さんにお願いできないでしょうか。日程も近いお話
なので、こちらはダメもとでメールしています。

あづま屋文具店のはす向かいに空き店舗があり、通り側に大き
なシートが吊れます。幅90cm×高さ3m程度のシートを横並びで2
枚設置できます。シートにペインティングをお願いすることは
できませんでしょうか?

プランを作っていたのは、後半のシートに描く作品の方です。
結構長いので、退屈かもしれませんが、
しつこい、試行錯誤を見ていただければと思います。

それと、プランを作ってから気がついたのですが、
制作時間が短いので、はたしてこのプランで実現できるかどうかが、
分かりません。

素材そのものは、ターポリンというものです。
英語の tarpaulin (防水布)から来ている言葉で、
防水布の総称です。
これはサイズを決めて、縫ってもらって、穴などの加工をする
必要があります。

絵の具は、ターナーが出している、テントアートという
ビニールに描ける絵の具です。

普通のアクリル系絵の具はビニール系にはのらないのです。

これは以前に、越後妻有トリエンナーレ2006に参加した時に、
佐々木薫さんに、この大きなテント地に描いてもらいました。

もっと簡単になるか、
今回は実現できなくなって、次回に先送りもしれませんが、
今の私の考えている事を見ていただければと思います。

kogure122.jpg
これが、今回協力して下さる空き店舗です。
送って来て下さった写真ですが、
これにはパースが着いてしまっているので、
これを先ず、修正します。

kogure2補正.jpg

とりあえず、写真のほぼ垂直になるように直した所です。
使ったのはPhotoshopのCS2のフィルターにある変形のレンズ補正
です。

家の矩形.jpg

サイズを出してプロポーションを測定します。
比率的には、黄金比の1.618の近似値になっていました。

家の矩形2.jpg

2階の下が、ちょうど半分になっていたので、
1/4の矩形をとります。

家の矩形3.jpg

この1/4の矩形というのは、実は私の初期の作品に同じものがあります。
学生時代にマーレビッチのシュプレマティズムの影響で、
白いキャンバスに、黒い矩形をただ描いたミニマリスムの作品を作って
いたのです。
そのミニマルの内側から、分割で複雑なフォルムや色彩へと向ったのです。

家の矩形5.jpg

この赤い状態で、家の形の修正します。

家の矩形10.jpg

家の形にしたのは、
外の本当の家との類似の形にする事で、
外部と内部の類似性を意識してもらうためです。

全体をシートで覆わないのは、
その後ろの廃屋の美しさを見てもらいたいからです。

私の一番初期のフロアーイベントもそうですが、
床面だけにラッテクスを流す事で、
既成の室内の視覚的な意味を変質させることに、
作品の主題があります。

つまりレディメードのものに、手を加えることで、
作品を成立させようとしています。

これは建築家のベンチュリーの影響です。
初期のベンチュリーの作品に、
古い教会の中に、ネオンを渡した作品があって、
若い私は、大変に共感したのです。
ですから、出発から、リノベーションアートの地点に、
私は立っていたのです。

今回は、シートで作るつもりですが、
家の中に、再び家のフォルムがあるという形です。
しかし赤いと実体的になってしまうので、
青くします。

家の矩形21トマト.jpg

《非-実体性》を、芸術の重要な構造と考えます。
実際、私は《非-実体性》のあるものが好きです。

青い家に、トマトと茄子の画像を付けます。
本番では、手描きのつもりですが、
制作時間がないので、
描けるかどうかは分かりません。

家の矩形30.jpg

上に、フォルムを入れてみましたが、
あまり巧く行きません。
隣の東京都現代美術館の→のポスターをフォルムをとって、
下向きの矢印を描いたのですが、
下向きというのは、逆に上向きにした方が良いかもしれません。

家の矩形40.jpg

そこで、後ろの青の彩度を上げて、見ます。
それでも面白く無いので、色相を逆にしたのが、
次のものです。

家の矩形50.jpg

これでも良く無くて、
色を変えます。
家の矩形55.jpg

さらに変えます。

家の矩形60.jpg

家の矩形70.jpg

家の矩形75.jpg

ようやく、少しはまって来たので、
文字を入れてみます。

80.jpg

そうすると再度色の調整が必要になります。

100.jpg
《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》《ハイアート》
《非-実体性》の作品。

シニフィエ(記号内容)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】


ようやく、完成です。
だれも喜びそうに無い作品ですが、
本人は、気に入っています。

茄子やトマトのイメージと、
茄子とトマトの英文の呼応、
こうしたシニフィエ(記号内容)的呼応性は、
作品を芸術そして成立させている《非-実体性》や《退化性》
さらには類似性や相似性といった重要な眞に重要な構造を、
観客の目から隠蔽するためのものです。

真理は常に隠されていなければならないのです。
まあ、しかし、作品を難しくしていますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追いかけすぎると、失敗します。
そういう時は、戻ります。
最初に戻るのが一番の近道です。

という分けで、最初のオレンジに戻ってみます。

kogureオレンジ2.jpg

失敗の原因は、メディア分析ですね。
こういう、テントアートというのが、
何であるのかを考えないで、
写真上でエスカレートしても、無理という事でしょう。

昔、1回、白濱万亀さんに提案して、
ある程度進んだのですが、結局却下されたのですね。

それが蘇ってのですが、
こちらの気持ちと、それと情報の変化があります。
こういうシートペインティングの可能性は、
たぶん、《気晴らしアート》で、《ローアート》でないと、
可能性が出てこないのでしょう。

まあ、むずかしい。
なんでも、むずかしいです。

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自作解説について [自作解説]

自作について解説する作家たちの登場というのは、
私には、ある種の嘘のように見えて来ていました。

例えば、柳幸典さんのレクチャーを聞いたことがあるのですが、
それは海の底に眠る古い日本の軍艦を、
海に潜って撮影するという作品なのですが、
その経緯を、詳細に解説していたのです。

実物の柳幸典さんビデオ作品を見てもそうなのですが、
何故にそれが、芸術であるかは、分からない作品であったのです。
NHKのドキュメンタリー番組と変わらないような作品だったからです。

こういう解説に比べると、
松井冬子さんの自作解説は、
主題から、技法から、自分の考えている事まで、
解説としては良くできているのです。

それでもしかし、その作品が芸術としてどうなのかは、
実は何も言っていないのであって、
芸術分析は無いのです。

美術史家の富井玲子さんは、
キュビズムについて、教科書的な解説をなぞって、
私にレクチャーしたので、笑ってしまいましたが、
教科書に書かれているキュビズムや、印象派や、未来派等々の
解説内容は、すべて、外皮だけで、
芸術の成立そのものを、指し示していません。

たとえば印象派について、
次の様な解説があります。

「彼らは、絵の具を用いてできるかぎり光の印象に近づくため、「筆触分割」と「視覚混合」という手法を導入した。これは、ある色を得るためには絵の具を混ぜ合わせるよりも、純色の色斑を並置して、離れて見るとそれらが混ざり合って見える視覚の作用を利用した方が鮮やかな色が得られるというもので、シュヴルールやヘルムホルツの科学的な理論に裏付けられている。」


しかし、色の斑点を併置して、何故に芸術になるのでしょうか?

たとえば、今、同様の色彩併置の方法で、絵を描く事はできますが、それが芸術であると言う保証にはならないのです。

 

しかも、近代芸術は、寿命が短いのです。

今時、印象派のように描いても意味が無いし、キュビズムのように描いても意味が無い。それが何故に、意味が無いのか、何をやったらば、意味があるのか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、彦坂尚嘉は、どうするのか?
最初に《超1流》への芸術へのあこがれがあるのです。
国宝や重要文化財級の作品を、中学生で、眼で暗記しようとして、
出発したアーティストでした。

これは日本の美術だけでなくて、
レオナルド・ダ・ヴィンチや、ヴァンアイクやなどの、
西洋の古典美術の中に、
人類の作り出して来た、芸術を見て来たのです。

彦坂が、考える芸術は、ですから
文明の中の《超1流》作品に限られます。

彦坂が考える近代芸術というのは、
ですから、こうした古典芸術のデ・コンストラクションなのです。

ですから、彦坂尚嘉の芸術作品は、
あくまでも、古典作品を背景としたものなのです。
この古典の脱ー構築の作業として成立するのです。

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