制作 [日記]
明日は越後妻有 [日記]
消える事 [日記]
建築系美術ラジオの収録/コラージュ展 [日記]
志田寿人さんの工房 [日記]
志田寿人さんの工房に来て,一泊させていただいています.
志田さんは,この私のブログにコメントを良く書き込んでくださっている方です.
さらにラカンの読書会に来てくださった.
お会いすると生物学の科学者でいらして,アートもお好きな方で,
知的な方でした.
ホームページを拝見した時には,ちょっと抵抗があったのだけれども,
それは,ある古さでした.
古さというのは,わが身に帰ってくることではありますが,
時代的な意味での古さというよりも,シーニュ(記号)になっていないという,
そういう原初的な次元の薄明性です.
そういう事も自分にも帰ってくることだから,書きながら考え込んでしまいますが,
芸術とか,思想というものは,その人の自然性から切り出されて,自立化が
必要なのです.
切り出しが,完全に行われて,社会性が確立し,
その個人とのつながりが切れてしまうとデザインやイデオロギーになってしまう.
あるいは切り出した表現と,社会性がうまく合ってしまって,円環が閉じて,
自己回転してしまうと,8次元化が完了して,信仰世界を作ってしまう.
その手前の社会的自立化と,個人性のつながりの拮抗が取れている状態が
理想なのです.
その理想の均衡を形成するためには,アートはアートとしての自立した内部構造と
規範を形成していくことが必要なのです.
つまり個人の自然性の外に出ると同時に,
社会という,これも迷妄と迷信の自然性から自立して,外に立つ.
個人の自然性と,社会の自然性の,両者の外に立つ場所が,
アートの自立した人工性の構造世界なのです.
そうしないと他人に見えてこない.さらには時代を超えて生き残っていかない.
美術家としての志田さんには,
そういう意味で人間が絵を描くことの初源の薄明性があって,
その古さが,知的な善良さとして見えてくるという経験になったのです.
お会いして,工房まで拝見すると,その源初的薄明性は,そのままで良いのだと
理解しました.
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私が志田さんを評価したのは,出てきてくださったことです.
美術界の多くの人は,蛸壺に入っていて出てきてくれません.
出てくる精神は,簡単そうで,実は簡単ではないのです.
田舎の人は人見知りして,シャイな人が多い.
子供もシャイなものです.
シャイであることが悪であるはずは無いのだけれども,
しかし自然性という意味では克服されるべきものであって,そういう意味で,
悪だと言える.
シャイであるという自分の自然性を抑圧して,社会の中に出て行くという
切り出しをしないと,作家自体は成立しない.
問題なのは,この社会ということ自体にあって,社会は正確な意味では2重性を
もっている.
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越境して行くことが,何を意味しているのかは,正確には分からないけれども,
しかしアフリカの生まれた人類が,原始の時代に,移動し続けていたのは
確かで,こうした移動性が精神には重要なのだと思うのです.
さて,それで山梨県の甲府から電車で10分ほどの所にある塩崎まで来たのです.
こういう腰の軽さが彦坂の特徴で,こういう越境の中で他者に出会ってきたの
です.駅まで迎えに来てくれた志田さんの車で,志田さんの工房へ行きました.
松林の中に建つシンプレクサスという工房のたてものの1流のう美しさにまず.
驚きました.2棟あって,一つはコンテナーの金属の箱を十文字に組み合わせた
もので,白いのですが,入り口のひさしが効いていて美しい.
もう一つのかまぼこ型の建物も,木の階段を含むデザインが美しい.
志田さんが重機を自分で運転して作ったという手作りの建物で,内部に入ると,
手作りの荒っぽさも目につきます.その辺は,鎌倉画廊に似ています.
鎌倉山にある鎌倉画廊も,ご主人が自分で設計施工して手作りの建物です.
日本人で,こうした鉄骨建築を自分で手作りしている例というのは,私は,
寡聞にしてこの二つしか知りませんが,独特の素人的な良さがある.
建物の内部は,一つは志田さんの細胞生物学者としての研究施設で,
顕微鏡や細胞の培養機械器具が並んでいる.
もう一つは志田さんの作品の常設展示場で,こちらは,
内部に壁を作りすぎていて,引きがないくて,玄人的には問題のある空間.
作品を.みな,展示したかったのだろうと思って,ほほえましく思いましたが,
志田さんの空間感覚を表してもいるのです.
何も無い広がりである空間そのものを造形していくというのは,
実は理解するのは難しくて,なかなかプロの建築家でも出来ていない人が多い
のです.
それは絵画構造にも言えて,深い奥行きのイリュージョンの絵画であろうと,
浅いオプティカルイリュージョンの絵画であろうと,
何も無い空間の広がりそのものを形成していくことが重要なのですが,
これは理解しにくいことなのです.
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さて,志田寿人さんにお願いの提案をしたのは,
このシンプレクサス工房の場をかりて気体分子の伊東さんの
個展をさせてもらい得ないかということでした.
それも作品の展示スペースではなくて,生物研究室の壁とか,
住居棟の壁など,建築の内部の空間に作品がかかっているという状態の
写真が欲しいのです.
2週間の展示期間中に,その作品の展示写真をウエイブ上にアップする.
わざわざ見に来ない人にも,そういう形で伊東さんの絵画作品と,同時に
シンプレクサス工房の存在を見てもらう.
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伝統的なホワイトキューブでの展示という,貸し画廊的な空間と展示スタイルを
否定した形で,気体分子ギャラリーは展開したいと考えているのです.
しかし1度や2度ならともかく,繰り返していくとなると実際にはそういうことは
やさしくなくて,難しくて,続かなくなります.
そう簡単にはリアルな空間に展示して,しかもそれを毎回毎回変えていくことは
至難の技になるからです.
ですから2週間の会期で,ウエイブギャラリーを展開していくとき,すべてをリアル
^スペースではなくて,単なる画像の羅列も混ぜていかないとできませんが,
それでも,果敢に《別の展示》を追求してみる.
建築系ラジオ [日記]
国士舘大学の梅ヶ丘校舎の10階は、見晴らしがいい。
建築系ラジオは、本日は「学生時代にやっておくべきこと」というテーマで
収録しました。
公開録音で学生は、国士舘以外からも来ている。
私はあくまでも聞きに行っただけだったが、少しだけ収録に参加もしました。
ゲストは、堀井義弘、大成優子の2人の建築家。
もう一人面識のある樫原徹氏、そしてよく知っている建築史家の倉方俊輔氏。
出先(加筆1) [日記]
出先なので、
あまり書けません。
指の話を書きます。
右手が腱鞘炎で、医者に行って、注射を打ってもらいました。
腱鞘炎の専門家の医者です。
今日はこれから国士舘大学で
建築系ラジオの公開収録を見に行きます。
和田守弘回顧展とヨハン早稲田キリスト教会(加筆4改題1写真追加) [日記]
開館時間 午前9時~午後6時
会場:神奈川県民ホールギャラリー 第2~5展示室
[入場無料]
初期のころの先駆的なヴィデオ・アートやインスタレーション作品、銅板を使った半立体の作品や油彩による絵画、膨大な量のドローイングや大作のためのデッサンなどのほか70年代、80年代の現代美術の状況がうかがえる当時の写真や資料で構成し、再評価を図るものです。
クリスチャンの多くはプロテスタントで、とくに長老派やメソジスト派が多いそうです。
これらのキリスト教会は、1910年の日韓合併の時から、
韓国の中での反日抵抗運動の3・1運動の参加して、戦って来ているのです。
そしてまた、神社参拝強要への拒否など、反日本運動を続けてきたということです。
私自身は、日本が、3回にわたって朝鮮侵略を繰り返していることを、
民族心理学的に、重要な事だと考えます。
江戸時代の11回にわたる 朝鮮通信使の来日という外交関係があるにもかかわらずおこなわれた、
日韓併合は、不当な侵略行為であり第日本帝国の帝国主義犯罪と考えるので、
こうした朝鮮民衆による反日運動を、私は高く評価します。
皇居美術館空想の中でも主張していますが、
日本政府は、日韓併合に対しては正式に謝罪すべきと考えます。
私の思想基盤は、あらゆる地域の最下層の民衆の抵抗権の擁護です。
李承晩初代大統領もメソジスト牧師出身であったということ。
朝鮮戦争後の韓国社会の中で、キリスト教の急速な普及があったそうで、
故郷を離れ孤独な人々が、キリスト教の宗教組織に入ったという事情があったようです。
最下層の孤独な人々が、キリスト教の帰依した事は、理解できるものです。
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誤解されると困るので,念のために書きますが、
私はこの宗派に参加するつもりはありません。
あくまでも好奇心で、たまたま友人について行っただけです。
私は、新興宗教の歴史には興味があって、
その手の本は読んでいます。
最下層民衆の徹底抗戦の拠点として、新興宗教も含めて、宗教を、
単純には否定的に見る事はできません。
最近では日本の10大新宗教 (幻冬舎新書) 島田 裕巳です。
面白かったです。
五十嵐太郎さんの新宗教と巨大建築 (講談社現代新書) も読んでいます。
なんといっても大正維新をめざした大本教と、
それに対する大弾圧には、
大日本帝国の近代の抑圧構造が良く出ていると思います。