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瀬戸内国際芸術祭2010・総括 [アート論]

若い人の望んでいない事 [アート論]


木村静さんが、仕掛けて来て、段ボール玉田という作家の作品を見に行きました。その様子を木村静さんがビデオで撮影してくれて【YouTube画像】にアップしてくれました。私のしゃべりは相変らずの同じ様なものなのですが、これは段ボール玉田さんには受けなかったのです。私のしゃべりが受けないのは、彼女に始まった事ではなくて、いままでもあったと言えます。つまり若い作家が求めている事と、彦坂尚嘉が語る地平はずれているのです。このズレを私が知らないかと言うと、実は知っていて、あえてずらしていると言えます。ずらしているから、彦坂尚嘉は嫌われるし、あるいはキチガイと言われるのです。何からずらしているかと言えば、普通に人間が生きている《自然的な態度》というものから、私は意図的にずらしているのです。このずらしは私だけの特徴ではあるのではなくて、古くはソクラテスであり、多くの知識人がなして来た事に過ぎません。私はその最末端に位置する知識人の風化形態、あるいは崩壊形態の残余なのです。

分かりやすい所で言えば、「作品を残した方が良い」と彦坂尚嘉が言うとき、段ボール玉田だけではなくて、多くの日本の作家は嫌な顔をします。日本の美術家の多くは、作品を残す事は嫌なのです。それが《自然的な態度》というものです。実際に日本の美術史を見ると、ネオダダの作家にしろ、もの派の作家にしろ、驚くほどに作品は残っていません。つまり段ボール玉田が非常識なのではなくて、日本の現代美術/現代アートの常識に忠実なだけなのです。そして私はそういう常識を知っていながら、8割りの人が信じるそういう常識を批判的に見るのです。実際、欧米の国際常識からは、日本は非常識なことなのです。だからといってアジア的には、日本は孤立していなくて、中国はやたらに破壊するのです。中国の近代美術は、ほぼ完璧に文化大革命で破壊されているのです。これは国立国際美術館の館長である建畠哲氏を代表とする日本の調査団が調べて来ている事です。1点だけが発見されましたが、あとはすべて破壊された事が確認されています。日本は中国ほどには悪く無いのですから、ましな世界だから良しとすべきなのでしょう。

段ボール玉田が作品を残すのか、残さないのかに興味があるわけではありません。日本の美術のすべてが残らないわけではないので、自然淘汰に任せる事で良いのです。今回は木村静さんを介して出会いましたが、普通では出会わない作家です。生きている次元が違うという事のすれ違いというのは、抜き差しがたいものがあります。しかしそれを認めつつ、その亀裂を超える努力も必要なのです。それを真剣に考えるのですが、その試みは、今回のように交通費まで私の負担で、そしてノーギャラで直接的に話す事は止めた方が良いと私は考えています。そういう事をしても段ボール玉田は感謝の儀礼メールひとつくれるわけではないのです。むしろ不愉快に思っている。つまり人の望まないことをしない方が良いのです。来るものは拒みませんが、嫌がる人の所に押し掛ける趣味は持ち合わせてはいないのです。責任は木村静さんにあるのですが、彼女の素朴さは素晴らしいですが、同時にナイーフ過ぎるのです。素朴に生きるこことができないのが現在なのだと思います。

映像と絵画/さまざまな人と様々な考え [アート論]

◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

様々な人がいるのは、当たり前なのですが、
それでも昔は、それほどに分裂はしていませんでした。

昔というのは1970年代の「現代美術」と言われる時代ですが、
そこでは画廊の数も少なくて、だいたい1日で、すべての画廊の発表を
見ることが出来ました。
画廊も神田地域と、銀座の数軒でした。

見終わると飲み屋で意見交換をして、
だいたい評価は落ち着いていたのです。

学芸員も評論家も、作家も、編集者も一緒に話をし、飲んでいました。

銀座にはガストロというバーがあって、
そこに批評家も学芸員も編集者も、
アーティストも集まって飲んでいました。

そういう狭い世界と言うのは、
文学で言えば文壇といったものであって、
実際に、そうした狭さで成立していた時代があったのです。

◆◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

音楽も同様で、昔はロックを聴いていると言えば、
同じアルバムを同じように聞いていて、
同一の文化の中で話が出来たのです。

今日では、ロックを聴いていると言った言い方は無理であって、
音楽も細分化が激しいのです。

それこそ、たとえばラウドロックを聞いている人でも、
実は細分化されていて、
同じアルバムを聴いているという保証はありません。
第1回めのラウドパークには私は行きましたが、
2日間の最終トリがスレイヤーでしたが、
スレイヤーが始まると、2割りくらいの人々が帰ってしまったのには、
驚きました。

ことほど左様に、細分化は進んでいて、
そのくせ、音楽の趣味の共通性が、
人間関係を大きく規定してくるのです。

音楽の趣味が、まったく合わない人とは関係が切れやすいのです。

最近ギャラリーARTEのおつきあいで知り合った大木裕之さんとは、
オーネット・コールマンと、ジェルジ・リゲティがダブっていて、
安心したというか、
大木裕之さんの映像と絵画、ドローイングへのシンパシィが
増大したのでした。


◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私の音楽の幅は、広いので、
今回のギャラリーARTEでも、
ARTE主要メンバーは画廊主の梅谷幾代さんと
もう一人長岡まき子さんがいて、彼女が実は戦力として大きいのです。

長岡まき子さんに、トマトと茄子の加工を手伝ってもらいながら、

彼女の好きな音楽を聴かせてもらいました。

それはゲームのドラゴンクエストの音楽で、

私の聞いてこなかったタイプのものでしたが、

かなりの長時間聞きました。


他人の好きな音楽を一緒に聴くという作業は、

私には、その人を理解する技術として、たいへん重要なテクニック

なのです。


昔ですが、ミュージックマガジンで音楽批評を書いている時に、

思い知らされたのは、同じ音楽を聴いていても、

しかし別の音を聞いているという、差異の問題でした。

分かりやすく言えば、ギター奏者が音楽を聴いていると、

その音楽のギター演奏を主にして聞いていると言った調子で、

同じ音楽でも、何を聞いているかは、人によって違うのです。


それはオーディオ装置の差としても、

大きく出て来ます。

昔ですとレコードなので、カートリジの差は、大きな問題だったのです。

同じレコードでも、カートリジが違うと、音楽は違って現れるのです。


◆◆4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


現在の情報化社会になると、こうした細分化は、異様にまで進んで、

ほとんど同じ体験や、意見を持ち得なくなります。


私のように異様な分裂性を追求して、

広く浅く多様なものを追いかけていても、

他人との接点や共通性を得る事が、むずかしいのです。


◆◆5◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


こうなってくると、他者との意見の違いや認識の差というものを、

差があるままに、お互いの立場や意見の差として容認することが

重要になります。


先日のギャラリーARTEのギャラリートークで、

大木裕之さんと、私がぶつかったのは、「平面」という言葉でした。


大木裕之さんは、映像も絵画も「平面」であるという立場で語りました。

それは映像と絵画を、両方とも制作する大木裕之さんとしては

立場として必要な主張なのです。


そして映像も絵画も、平面として共通するという認識は、

世間の常識としても、通用する認識であると思います。


ですから大木裕之さんの立場の認識としては、

平面で映像と絵画を論じて、成立させる事は正しいのです。


◆◆6◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ただ、私の場合は、ある意味でモダニストでありまして、

デカルト/ソクラテス的な懐疑主義の立場を取ります。


世間で流通している認識や常識は、まず、疑ってかかるのです。


たとえば、映像は平面でしょうか?

1960年代後半のサイケデリックの時代には、

人体に映像をプロジェクションしているものはたくさんありました。


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3次元の立体や、建築物に映像をプロジェクションしている作家は

たくさんいるのです。

つまり映像を平面芸術とする事には、無理があります。


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絵画も同様です。

アルタミラの洞窟の絵画は、岩の上に描かれています。


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アフリカのロックペインティングと言われるものも、

平面とは言えないものです。


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ナスカの地上絵の中にも、山岳に描かれたものがあって、

平面とは言いにくいです。


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ギリシアの絵画には壷絵が重要なものとしてあります。


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イタリアのアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂には、

聖堂にはチマブーエジョットシモーネ・マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれていますが、これを平面と言うのには、若干無理があります。

ジョットという大画家を追っかければ、否応も無く、

こうした建築絵画ともいうべき、立体的な画面に絵画を見なければならないのです。

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同様のことはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井壁画も、

平面絵画と言うのには、無理があります。


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絵画の歴史を、全人類の中で探していくと、

実は平面を自明にする事が出来ない実例が多くあるのです。


私から考えると、絵画とか映像と言うのは、

実は平面ではないのです。


つまり次元としては2次元ではないと考えます。

それは3次元と言うだけでも不十分なものであって、

1次元、2次元、3次元、4次元、5次元・・・と多次元的に存在している

あるものなのだと、考えるのです。


つまりそれは生物の美術史や、宇宙の美術史を構想し得る広がりの中で、

捉えられるものなのです。



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2への移行/1のまとめ(加筆1) [アート論]

ブログの容量がいっぱいになって、1Gを超えたので、
2に移りました。

彦坂尚嘉の《第41次元》アート2の記事を読みたい方は、
下記をクリックして下さい。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

このブログが始まったのは2007-02-16  00:23です。
約2年3ヶ月前の事です。


この彦坂尚嘉の《第41次元》アート1の記事数は、1058でした。

累計: は、112万6921でした。(2009年5月31日9:44現在)

アクセスランキンの最高位が11でした。

ブログテーマ・アートの中で3位、4位の常連でした。


記事数が千を超えたので、感慨深いものがあります。
それ以上に感謝するのは、アクセス数が100万件を超えた事です。

多くの方々に見ていただいて、深く感謝致します。

最近は、ブログで知り合った方々との直接な交友関係も増えて
きていて、情報化社会の人間関係の、新たな可能性を感じさせます。

つまり伝統的な地縁血縁の関係、さらに近代社会での学閥や会社閥の
関係を超えて、新たな情報縁による社会性が
切り開かれて来ているのです。

こうした人間関係の新たな生産性は、
個人の小さな人間関係から始まって、
次第に社会全体の関係の再編に結びつく事でしょう。

いや、現実にはそれは始まっていて、オバマの選挙に見られるように、
情報による選挙運動は、従来の地縁血縁、そして組合や業界の関係と
は、別の新しい結びつきをつくって、
大統領の当選まで展開しているのです。

日本社会が、基本的には情報革命に背を向けて、
蛸壺化することで、社会破綻、国家破綻の道を歩んでいる時に、
新たな可能性を切り開く努力は、
日本人一人一人の小さな努力にかかっているのです。

私の小さな試みが、そうした大きな潮流の端にでも参加できれば、
幸いに思います。

2へと移行する事で、より積極的に、
新しい社会関係への切り開きに挑んで行きたいと思っています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2に移行する事で、アクセスランキングは、
2つに割れるので、必然的に下降してしまいますが、
もうしばらく、ブロガーを続けますので、
どうぞよろしくお願いいたします。


彦坂尚嘉


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美術品の善し悪しについて(立教大学大学院講義・言語多文化学習・第1回目の1/校正1) [アート論]



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ニコラ・プッサン アルカディアの牧人たち 1638 - 1640頃 ルーヴル美術館
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
美術品の善し悪しについて

美術作品の良し悪しの判断っていうのは、大変に難しいのです。多くの人は、専門家も含めて、実は良く分からないというか、判断ができない状態にいます。

にもかかわらず、現実の中での流行や、多くの人々の表面的な直接の反応の中で、評価が生まれて、さらにそこに時間が流れて、時間の中での淘汰によって、ある意味で自然に評価が定まっていくというものなのです。

それは、本当に自然に似ていて、雨が降って、その雨水が、低い方に流れて行って、雨粒が自然に集まって行って、小さな川になり、その小さな川が次第に集まって、大きな川になるように、美術作品の評価が定まって行きます。

 ですから、評価そのものの決定には、時間がかかります。多くの人々の判断が、その時間の流れの中で影響し合いながら、進んで、決まって行くのであって、そうした自然性は無視できない力を持っています。

【続きは下記をクリックして下さい】

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ブログ2への移行 [アート論]

ブログの容量が1GBの制限に達してしまったので、
画像がアップできなくなりました。

そのために彦坂尚嘉の《第41次元》アート2という新しいブログに
移行します。
下記をクリックしてください。

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ネオテニー・ジャパン展を見てきました。 [アート論]

修羅展を見た後、
ネオテニー・ジャパン展を見て来ました。

現在の金融危機による経済の落ち込みの時期に、
合わせたかの様な、タイムリーな企画です。

つまり2002年から2007年10月の時期が、
サブプライムローンに代表されるアメリカの過剰消費をによって、
世界中が根拠なき熱狂と言われる、
熱狂に包まれていたのです。

この時期に、
バブルアートとも言うべき、
ニセアートの氾濫があったのです。
ただしフェイク・アートといっても、
それはメジャーアートであったのです。

ネオテニー・ジャパン展は、
根拠なき熱狂アートというべき
その日本版の回顧展となっているからです。

終わった時代のフェイク・アートの回顧展として、
見えたのですが、
正直、あまり面白くは無かったです。

これらのメジャーアートは、
偽善の作品群です。

《真性の芸術》としての根拠が無い。

たぶん、リアルタイムに見れば、
もう少しデザイン的な直接性のインパクトがあった
のではないのかと思いますが、
回顧の中では古くなっていて、インパクトも劣化してして、
帰って来て思い出しても、
ほとんど、語るべきものはありません。

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阿修羅展を見ました。 [アート論]

阿修羅展を見て来ました。

もともと阿修羅像は、日本の仏像の中で、
最初に《超次元》性に達したものとして、
私も高く評価していました。

皇居美術館の中には、
この阿修羅像も収蔵するということがあって、
約1年ほど前に、
奈良県興福寺の八部衆像がすべて展示された時に、
わざわざ見に行っています。

しかし後ろから見た事は無かったのです。
今回、後ろから見ることができて、
その制作が、完全に彫刻として、
後ろからの鑑賞にも耐える、
たいへんに良い作品で驚きました。

ここまで良い作品とは、思いませんでした。
すごいものです。

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タグ:阿修羅展
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明けわたシ(校正1加筆画像入れ換え) [アート論]

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明けわたシ

ナニヲ?

アケワタスノカ?

雲一つ無い青空を・・・。


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タグ:明けわたシ
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案内状デザインの比較判断 [アート論]

次回6月のギャラリーARTEの3人のグループ展案内状案が
出て来ました。

3種類出て来たのですが、
そのアートの格付けが、違うのです。

皆さんも、下記3種類のどれが良いと思いますか。

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