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アクセス数1万4千390/4回合計 [アート論]

美術系ラジオへのアクセス数が、松田達さんの報告によると、

4回で、1万4千390となっています。

題名をクリックするとラジオが聞けます。

最初のは、聞きやすいです。


しかし、後のものは、私はコンピューターのスピーカーで聞いていると、

ノイズで、聞こえはしますが辛い面もあります。

どうも、多くの人はダウウロードして、iPotなどで聞いている様です。

そうすると、それほど問題がないようです。

その辺の仕組みを私は、良く勉強していないので、

知りたい人は、松田逹さんのサイトを読んで下さい。

http://radio.tatsumatsuda.com/


23A:建築系ラジオ新年会「美術系ラジオについて」

(MP3形式、13.8MB、20分01秒)

       2/12-5/15データアクセス数3258

建築系ラジオの新年会で、新企画の美術系ラジオについて話した部分です。美術家の彦坂尚嘉さんが中心になって企画する予定。建築と美術の境界を横断しつつ、視覚と触覚との関係性から、美術系ラジオの可能性を考えます。美術と建築が、いかに対話すべきか。そしてその違いはどこにあるのか。また美術に詳しくない建築関係者に向けても発信します(2008年1月11日、箱根の田村誠邦さんの別荘にて)。


美術系ラジオ

24A: 

:コラージュから見た建築または美術(その1)

 

(MP3形式、8.7MB、12分36秒) 

        3/7-5/15、データアクセス数2672


美術系ラジオ、記念すべき第1回目。竹橋にある国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展を見学したあとでの収録。コラージュをめぐって、建築と美術という両面から考える。キーワードとして、クルト・シュヴィッタース、ジョセフ・コーネル、村山知義、マネ、エルンスト、横尾忠則など(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。



美術系ラジオ
24B:コラージュから見た建築または美術(その2)
(MP3形式、11.2MB、16分14秒) 

 

        3/7-5/15、データアクセス数2615


美術系ラジオ、引き続き第2回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂+天内×五十嵐+南で話します。コーリン・ロウの『コラージュ・シティ』を読み、さらなる対話へ。キーワードとして、コラージュ・シティ、コーリン・ロウ、ブリコラージュ、ダイハード、ミラージュ・シティ、空中都市計画、磯崎新、シュヴィッタース、糸崎公朗、バーナード・チュミ、コールハース、プログラムのコラージュ、青木淳の卒業設計など (2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。


美術系ラジオ
25A::コラージュから見た建築または美術(その3)

(MP3形式、12.1MB、17分36秒) 

 

      3/19-5/15、データアクセス数2285


美術系ラジオ、引き続き第3回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂尚嘉+天内大樹×五十嵐+南で話しています。キーワードとして、建築の中のコラージュ的なもの、建築の三層構成、富士屋ホテル、金閣寺、藤森照信、磯崎新、つくばセンタービル、隈研吾、M2、石井和紘、同世代の橋、安藤忠雄、木村恒久、ブログ、著作権、コラージュ化する地球、宮沢りえ、MIA、妊娠、エヴァンゲリオン快楽原則、シンクロ性、チャンス・オペレーションなど(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。


美術系ラジオ
26D::美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって
(MP3形式、11.4MB、16分37秒) 

                    4/14-5/15、データアクセス数1995

美術系ラジオの番外編として、今後の計画を語っています。美術系ラジオの意義とは何で、また建築系ラジオ内で行う意味は何だろうか?そして今後の方向性とは。美術館や学芸員、またアーティストや研究者とのジョイントの可能性。建築を除いて美術を考えることは出来ないのではないかという問いも提示される。美術館の中で語ることは、美術館という制度によって禁止されるのか否か?美術系ラジオという可能性をめぐって、「美術と建築のコラージュへ」と話は展開する(2009年2月15日、東京国際フォーラム近くの居酒屋にて)。

美術系ラジオ

27A: :美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」
(MP3形式、16.9MB、24分39秒) 

                           4/20-5/15、データアクセス数1565

近頃メディアで目にする言葉「アートフェア」。誰にでも買えるよう、オークションではなく市場のように美術作品を売るところです。中でも東京最大級の「アートフェア東京2009」(@東京国際フォーラム)を一通りくまなく探検してきた濱田+五十嵐、その前に「101Tokyo」(@秋葉原UDX)も見てきた天内が、アートフェアの「中の人」池田+彦坂、美術メディアの太田、美術家の田嶋に「どうなっているの?」とお尋ねします。以前開かれていた同種のイヴェント「NiCAF」、「アートフェア東京」の傾向、「建築フェア」はあり得るか、コンセプトとコンテントと市場(2009年4月5日、東京国際フォーラムのカフェにて)[テキスト:天内大樹]


出演者:彦坂尚嘉天内大樹+五十嵐太郎+池田剛介+太田丈夫+田嶋奈保子+濱田由美

関連サイト
アートフェア東京



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アクセス数1万4千390/4回合計 [アート論]

美術系ラジオへのアクセス数が、松田達さんの報告によると、

4回で、1万4千390となっています。


ピンクの文字をクリックするとラジオが聞けます。


 

美術系ラジオ

 

23A:建築系ラジオ新年会「美術系ラジオについて」

(MP3形式、13.8MB、20分01秒)

       2/12-5/15データアクセス数3258

建築系ラジオの新年会で、新企画の美術系ラジオについて話した部分です。美術家の彦坂尚嘉さんが中心になって企画する予定。建築と美術の境界を横断しつつ、視覚と触覚との関係性から、美術系ラジオの可能性を考えます。美術と建築が、いかに対話すべきか。そしてその違いはどこにあるのか。また美術に詳しくない建築関係者に向けても発信します(2008年1月11日、箱根の田村誠邦さんの別荘にて)。


美術系ラジオ

24A: 

:コラージュから見た建築または美術(その1)

 

(MP3形式、8.7MB、12分36秒) 

        3/7-5/15、データアクセス数2672


美術系ラジオ、記念すべき第1回目。竹橋にある国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展を見学したあとでの収録。コラージュをめぐって、建築と美術という両面から考える。キーワードとして、クルト・シュヴィッタース、ジョセフ・コーネル、村山知義、マネ、エルンスト、横尾忠則など(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。



美術系ラジオ
24Bコラージュから見た建築または美術(その2)
(MP3形式、11.2MB、16分14秒) 

 

        3/7-5/15、データアクセス数2615


美術系ラジオ、引き続き第2回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂+天内×五十嵐+南で話します。コーリン・ロウの『コラージュ・シティ』を読み、さらなる対話へ。キーワードとして、コラージュ・シティ、コーリン・ロウ、ブリコラージュ、ダイハード、ミラージュ・シティ、空中都市計画、磯崎新、シュヴィッタース、糸崎公朗、バーナード・チュミ、コールハース、プログラムのコラージュ、青木淳の卒業設計など (2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。


美術系ラジオ
25A::コラージュから見た建築または美術(その3)

(MP3形式、12.1MB、17分36秒) 

 

      3/19-5/15、データアクセス数2285


美術系ラジオ、引き続き第3回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂尚嘉+天内大樹×五十嵐+南で話しています。キーワードとして、建築の中のコラージュ的なもの、建築の三層構成、富士屋ホテル、金閣寺、藤森照信、磯崎新、つくばセンタービル、隈研吾、M2、石井和紘、同世代の橋、安藤忠雄、木村恒久、ブログ、著作権、コラージュ化する地球、宮沢りえ、MIA、妊娠、エヴァンゲリオン快楽原則、シンクロ性、チャンス・オペレーションなど(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。


美術系ラジオ
26D::美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって
(MP3形式、11.4MB、16分37秒) 

 

      4/14-5/15、データアクセス数1995

・27A: 美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」

4/20-5/15、データアクセス数1565

 




・24A: コラージュから見た建築または美術(その1)

3/7-5/15、データアクセス数2672

・24B: コラージュから見た建築または美術(その2)

3/7-5/15、データアクセス数2615

・25A: コラージュから見た建築または美術(その3)

3/19-5/15、データアクセス数2285

・26D: 美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって

4/14-5/15、データアクセス数1995

・27A: 美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」

4/20-5/15、データアクセス数1565

 


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美術系ラジオ/気体分子オフミュージアム(校正1画像位置変更) [アート論]

P5076697.jpg


美術系ラジオ第6回「アートが生き抜く空間」


美術系ラジオ
聴く: 美術系ラジオ第6回「アートが生き抜く空間」


ラジオを聴くには上をクリックして下さい。


[テキスト:天内大樹]

彦坂尚嘉さんが横浜の住宅展示場の空きスペースに行った「回顧展」を拝見しに、再び集まりました。

展示するという苦労のリアリティ、彦坂さんの作品の系譜、美術が住宅展示場に並ぶこと、美術作家として活動する厳しさと面白さ、建物の「最期を看取る」アート。

東京都現代美術館の「+/-」池田亮司展、東京都庭園美術館「エカテリーナ2世の四大ディナーセット」展、横浜美術館「金氏徹平」展

深川の中華料理店八仙苑「見立て/茄子とトマト」展にも話が及びました。天井という展示空間独特の強み(2009年5月11日、横浜市・中川の居酒屋にて)。

出演者:彦坂尚嘉天内大樹+五十嵐太郎


(MP3形式、15.7MB、22分56秒) 
下記をクリックしてください。
やや下の方にあります。
P5076688.jpg
P5076692.jpg
『フェイク・デス』という題名の作品で、
実際に自分が交通事故で、大破した車を、直そうとしてレッカーで
修理工場まで運んだのですが無理で、その車に再度乗って死んだフリを
して、撮影して、出力した作品。

P5076676.jpg
P5076677.jpg
切り抜き彫刻の作品です。
何故に、切り抜かなければならなかったかというのは、
かなり深い問題で、今も追求しています。

P5076673.jpg
これは鏡の作品です。


P5076665.jpgP5076667.jpg
P5076666.jpg
P5076668.jpg

大理石の作品は、その前に、もっと大きいのも作っています。

P5076707.jpg
P5076703.jpg

皇居美術館建築模型彫刻です。

さて以上の展示は、6月7日まで、
ハウスクエア横浜でやっています。
大きなビルの2階です。

横浜市営地下鉄の中川で下車3分です。

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ルドルフ・シュタイナーの《第8次元》性と芸術(訂正写真の差し替え) [アート論]

Rudolf_Steiner_1889a.jpg
Steiner_Berlin_1900_big.jpg
Rudolf-Steiner.jpg
ルドルフ・シュタイナーの顔
《想像界》の眼で《第8次元》《真性の人格》
《象徴界》の眼で《第8次元》《真性の人格》
《現実界》の眼で《第8次元》《真性の人格》

《想像界》の人格
固体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィエ(記号内容)的人間
『真実の人』【B級の人物】
 ◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ルドルフ・シュタイナーという人は、
昔のオーストリア帝国出身の神秘思想家で、
人智学の創始者、哲学博士です。

神秘思想というのは、近代以前のものと、
近代になって、ほぼ19世紀から20世紀になって出てくるものは
違います。

シュタイナーは、この近代の神秘思想家です。

近代には、神秘主義が、けっこう沢山出て来ます。
有名なのは、他には、

ヴィヴェーカーナンダ(インドのヨーガとヴェーダーンタ哲学の霊的指導者、1863〜1902) 、
ゲオルギイ・グルジエフ(ロシアの神秘思想家、1866〜1949) 
ピョートル・ウスペンスキー(ロシアの神秘思想家、グルジェフの系譜、1878〜1947)
ナーラーヤン内垣/内垣日親(金光教系の神秘化で、日本ヴェーダンタ・ソサイティの創立者、1924〜) 


現代のもいます。
ケン・ウィルバー(1949〜)

私の《言語判定法》の判断では、
そのシュタイナーは、《想像界》だけの人格の人です。
ですから彼の神秘思想は、《想像界》のファンタジーに過ぎないと、
私は判断します。

しかも固体人間です。
つまり前近代の古い人格を基盤に、ファンタジーを語っている人に、
彦坂尚嘉には見えるのです。

そのくせシニフィエ(記号内容)的人間なので、
その《想像界》だけの人格から出る脳内の妄想を、
そのまま思想として語ったのであろうと、
かなり乱暴ですので、お怒りの方も多いとは思いますが、
大まかに言えば、私はそのように判断するのです。

《第8次元》というのは、信仰領域で、信仰の自由はありますが、
最終的には、認識や思想の領域ではありません。
信仰の自由はあるので、シュタイナーを信じる人は、
それはそれで良い事で、その方々を侮辱するつもりは
私には、無いのです。

シュタイナーの評価の高さは、その人智学という独特の思想と、
そしてそれが教育運動になって、シュタイナー学校というものが、
世界中で、展開されているからです。
シュタイナーは、生前にヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回に
及ぶものですが、それらの多くは、仲間の内側での話と言う事です。

私は、
シュタイナーの影響を受けて、フリースクール等々の活動をなさって
いる方々の足を引っ張るつもりも無いのです。


それで、この文章は、あまり書きたく無かったのです。
あくまでも外側から見たときの、《言語判定法》による判断と
言う事に、過ぎません。

ところが建築系美術ラジオを聞いてくださって、
長いメールをくださった方がいて、
このシュタイナーと、彼の建築について書いていて、
それと私の美術と建築の関係を重視する発言を重ねておられたので、
考えを書く必要に迫られたのです。

私は、シュタイナーの思想や美術建築について、
それほど学んではいないのです。
前にワタリウムで開かれた展覧会は見ていますが、
基本的な水準が低くて、私には、評価できないのです。

後で述べますが、私は、シュタイナーの建築の評価も低いのです。


◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


《想像界》の哲学者で、有名な人はジャン・ボードリヤールがいます。
ボードリヤールは、ポストモダンのフランスの思想家で、
消費社会の神話と構造』(1970年/日本では1979年に出版)は、
美術にも大きな影響を与えた本でありました。
jean_baudrillard_13.jpg
《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント的人格
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント的人格
《現実界》の眼で《第6次元》の《真性の人格》

《想像界》だけの人格
気体人間

《気晴らし哲学の人格》《ローアート的人格》

シニフィエ(記号内容)的な人格
『平気で嘘をつく人たち』【B級の人物】

ボードリヤールの消費社会論を、
一番、たぶんですが速く取り入れたのが川俣正で、
かれの芸術=消費論は、『工事中』という彼の最初の作品集にも出て来ます。
そしてこの流れが、ついこの間までの過剰バブルアートを
出現させたのです。

それはロバート・J . シラー的に言えば『根拠なき熱狂』であったのです。
こうした熱狂が、実は《想像界》の精神に乗った
ファンタジーであったのです。
川俣正の作品もまたファンタジーであって、夢がさめれば、
芸術的な根拠は、なにも無いように私には見えます。

さて、そこで《想像界》だけの思想家と、彦坂尚嘉が判断するシュタイナーの顔とボードリヤールの顔を並べて見ましょう。

jean_baudrillard_13のコピー.jpg
シュタイナーの顔             ボードリヤールの顔
《想像界》の眼で《第8次元》《真性の人格》《想像界》の眼で《第6次元》デザイン的人格
《象徴界》の眼で《第8次元》《真性の人格》《象徴界》の眼で《第6次元》デザイン的人格
《現実界》の眼で《第8次元》《真性の人格》《現実界》の眼で《第6次元》《真性の人格》

《想像界》の人格              《想像界》だけの人格
固体人間                   気体人間
《シリアス人間》《ハイアート的人間》    《気晴らし哲学者の人格》《ローアート的人格》

シニフィエ(記号内容)的人間。        シニフィエ(記号内容)的な人格
『真実の人』【B級の人物】          『平気で嘘をつく人たち』【B級の人物】




ルドルフ・シュタイナーの評価は、
高く評価する人がいるのは知っていますが、
ボードリヤールと比較しても、《第8次元》と《第6次元》で、
ボードリヤールの方が格としては、上の次元なのです。

《第8次元》というのは信仰の領域で、信じれば、良いと思える
領域です。牛丼屋で言うと『すき家』が《第8次元》です。

《第6次元》は、自然領域です。『吉野屋』の牛丼が《第6次元》。
というわけで、吉野屋の方が美味いと多くの人が言うように、
ボードリヤールとシュタイナーという《想像界》の思想では、
ボードリヤールの方が、なんとかかんとか言っても、
美味しいのです。

もっとも吉野屋の牛丼も、不味いと言って食べない友人が2人いま
すが、それももっともな意見であって、
ボードリヤールも哲学者としては低くて、不味いのです。

ですので、私のルドルフ・シュタイナーの評価は低いのです。

◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


さて、シュタイナーの問題で一番大きいのは、
《想像界》の人格だけの哲学者の思想
と言う事です。

哲学には、実は3種類あるのです。
《想像界》だけの人格の思想。これがシュタイナーです。
《象徴界》だけの人格の思想。この代表の独りがニーチェです。

そして《現実界》だけの人格の思想です。カント哲学です。

この3人の顔を並べて見ます。


3人2.jpg
シュタイナー    ニーチェ         カント
すべて《第8次元》 《象徴界》が《超次元》 《現実界》が《超次元》
《想像界》だけの人格  《象徴界》だけの人格      《現実界》だけの人格




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長野重一の写真/外界を見る精神の被写界深度(加筆1) [アート論]

ピクチャ 10.png

昨日は、次回のアートスタディーズのゲストをお願いに、
世田谷美術館の高橋直裕氏にお会いして来ました。

その後、切符をいただいて、現在やっている美術展である


日本の自画像

写真が描く戦後 1945-1964

2009年5月2日~6月21日 1階展示室

 

を拝見しました。

高橋直裕氏がテキストを書いておられて、

かれが作ったと思われる良い展覧会でした。


その中で、長野重一の写真に強い感銘を受けました。

不勉強で、この写真界の重鎮の写真家を知らなかったのです。

41NIwuxibjL._SL500_AA240_.jpg

この写真集を会場の売店で買いました。

51Q1VZAMTGL._SL500_AA240_.jpg

51WH3MTJ82L.jpg

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090126_nagano.jpg

hysteric14_1.jpg

hysteric14_2.jpg

iwanami.jpg

1953_nagano.jpg

《想像界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7次元〜41次元》が無い
《象徴界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7次元〜41次元》が無い
《現実界》の眼で《超次元〜第6次元》の《真性の芸術》《第7次元〜41次元》が無い

《想像界》《象徴界》の2界をもつ重層的な表現《現実界》が無い
気体/液体/固体の3様態をもつ多層的な表現絶対零度が無い

《シリアス・アート》《ローアート》、《ハイアート》では無い。
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面の写真》『深いイリュージョンの写真』【A級写真】

gall05.jpg

こういう日常的な凡庸とも言える《ローアート》のスナップ写真が、

すばらしクオリティも持って制作されている事に、

驚きがありました。

41HCMEPD0ZL.jpg

この手の《ローアート》のスナップ写真と言うので、

日本で評価の高い写真は、何と言っても木村 伊兵衛です

木村 伊兵衛は、顔写真で見ると、《超次元》ですが、

写真の方は、《第1次元》なのです。

ピクチャ-10.jpg

木村 伊兵衛の写真

《想像界》の眼で《第1次元》のみの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第1次元》のみの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第1次元》のみの《真性の芸術》

《想像界》のみの写真
液体写真のみの表現

《気晴らしアート》《ローアート》
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面の写真》『オプティカル・イリュージョンの写真』【B級写真】

彦坂尚嘉の芸術分析からいうと、
木村 伊兵衛の写真というのは、あまりたいしたものではないのです。
《第1次元》だけですから、産業ロックのようなもので商業主義です。
そして《気晴らしアート》にすぎません。

木村 伊兵衛と長野重一を比較してみます。
KIMURANAGANO.jpg

この二人の写真の明度とコントラストを61づつ上げてみます。

KIMURANAGANO2.jpg
写真作品として、長野重一の方が、
空間構造として
圧倒的に骨格を持っている写真なのです。

土門拳にも同様のことが言えます。

顔では《超次元》なのですが、

初期の『筑豊の子供たち』などのスナップ写真は《第6次元》です。

下の図版は『筑豊の子供たち』ではありませんが、

これも1950年の撮影で《第6次元》です。

1950_domon.jpg

土門拳の写真

《想像界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》

《想像界》のみの写真
液体写真のみの表現

《気晴らしアート》《ローアート》
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《原始平面の写真》『ペンキ絵』的写真【B級写真】

純粋に芸術の問題としてだけ見ると、
昔の土門拳は低いのです。
ただし晩年は《超次元》の写真になるので、
あくまでも初期が《第6次元》の低いレベルの写真なのです。

土門拳と長野重一を比較してみます。

土門長野.jpg

二人の写真を明度を51上げて、コントラストを71上げてみます。

土門長野2.jpg

土門拳の《第6次元》の写真と、

長野重一の《超次元》の写真の構造の違いが見えるでしょうか。

土門拳の写真は、対象の傷痍軍人のオブジェクト性に集中していて、

長野重一の写真は、世界の構造を深く捉えているのです。


ここでは3人を単純化していますが、

長野重一は《超次元》の《超1流》写真家であると、

彦坂尚嘉の視点では、なります。

そして木村 伊兵衛は《第1次元》の《1流》写真家、

初期・土門拳は、《第6次元》の《6流》写真家なのです。

 

長野重一  《超1流》

木村 伊兵衛 《1流》

初期・土門拳 《6流》

 

しかし3人ともに、この段階で見ているのは、

すべて《ローアート》の写真にすぎません。

当然のように、《ハイアート》の写真があります。

日本の写真の主流の低さを自覚する必要があるのです。


例えばスティーグリッツの写真を見て下さい。

《ハイアート》です。

stieglitz_steerage.jpg

スティーグリッツの写真

《想像界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な写真
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な写真

《シリアス・アート》《ハイアート》
《非-実体性》のある写真

シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面》の写真、『オプティカル・イリュージョン』的写真【A級写真】

アルフレッド・スティーグリッツは、アメリカの写真家です。

画家のオキーフのご主人であり、

そしてデシャンの便器の作品の唯一の写真を撮った写真家で、

アメリカの写真を切り開いた巨人の一人です。


スティーグリッツと土門拳を比較してみましょう。

土門スティーグリッツ.jpg

日本人の多くが、土門拳の写真の方が良いというでしょう。

土門拳は、明快に子供を背負った傷痍軍人という、分かりやすい

主題を、分かりやすく撮っているからです。

それに対してスティーグリッツは、何を撮っているのか、

日本人の多くには理解が出来ないのです。


土門スティーグリッツ2.jpg

これは単に色調をモノクロに統一しました。

次には、明度を34上げ、コントラストを87上げて見たものです。


土門スティーグリッツ3.jpg

スティーグリッツの撮った橋は、移民船の舟の橋でしょうか。

橋を撮る事で移民の国アメリカを象徴し、

そして画面が橋で2分される事で、橋を挟んでの上流と下流の分解と、

人種の多様性を撮っていると言えるのかもしれません。

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不純詩・試作(ローマ数字をアラビア数字に改稿、加筆2校正1) [アート論]

詩人の松井茂さんとお会いしたのが、想像以上に面白くて、刺激を受けた。
松井茂さんは「純粋詩」という視点で、詩を書かれていて、以前から読んでいたし、詩集も1冊買っている。
実は、少し似ている仕事を1974〜76年に『51音によるプラクティス』という題名で、シリーズで発表していた。しかし、私の方は、不純主義者なので、不純詩というものを改めて自覚的に書かなければならないと感じた。と言うわけで、次の様な、不純詩を試作してみました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 師走を迎える寒い日  隠し立てすると  大声    盗人 1  嫌疑がかかった   できるわけがありません   踏み込んで家捜ししろ  お待ち下さい  奥座敷  琴を弾いていた 1 背中に捻じ曲げ 1 無理やり 1 廊下を 1 恋仲  祝言をかわすことになっていた  うらやましく1 仕組んだ罠だったのだ  私はそんなこととは知らない  自分に降り掛かる 夢にも思っていなかった 1 転がった  へっへっへ  関係がないのだ 1 くやしさに歯を食いしばった  綺麗な着物  乱暴な口調で言った 1 やめろ 叫んだ  屈辱と無念さに激しく歪んだ 1 少しは静かになるだろう  できるはずがなかった   薄笑いを浮かべ て 1 見まわすのだ  凝視している  鮮やかな花柄の振袖 1 香りが部屋中に漂った  その場にしゃがみ込んでしまった  歪んだ 1かまわない  真っ暗になっていくのだった  汚れのない  滑らかな曲線を描く 1 淡い 口を開けたまま 1 気が遠くなっていくのだった  手でたたいた  気が狂いそうな  道はないのだ  いいんじゃないか  針でも刺されたような 1 体を曲げ後ろからも   舌を噛み切られたら 始めからわかっているのだ   あこがれていた  桐の木で作った 1  膝をつくと 1 ハッハッハッハ  絶叫した 1 ガクガク  フッフツフ 1 ギャー  ガクガク  目をきつく閉じ顔を横に背けた  顔を覗き込むのだ 1 静かに目を閉じている  美しく見えるのだった  ハッハッハッハ  抵抗したが  全員笑い出すのだった 1 他の者は  震えた  黒山の人だかりの道  1 耳に入ってくる 1そんな光景を  薄笑い  優雅な生活を送っていた  ここ数年で大きく成長していた ハイテク部品の工場  3 若手経営者  銀座や赤坂に足を運んでいた  将来は俳優になろうとまで考えた  中から二人の男が降りてきた  愛犬と遊んでいた 今すぐいきます 1 玄関に向かった いや、たいしたことではありませんが 1 すぐ用意しますので 1 二階へ上がって行った  南下した  なにも話さないで黙っている 1 いつのまにか眠っていた  車を降りた  不安になり  我々にはわかりませんね  唖然とした  走り寄ろうとしたが 地下室で待っていた  フッフッフ 1 何かの間違いです 1 涙を浮かべ叫んだ  薄笑いを浮かべた  声がつまった 

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ツェ・スーメイ(校正3加筆4) [アート論]

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YouTubeの画像です。
退屈で長いものが多いのですが、
その中で、見やすくて短めのものが、下記画像です。


【続きは下記をクリックして下さい】

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2009-05-06 [アート論]

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タコは、軟体動物門 頭足綱 八腕形上目 タコ目に分類される動物です。

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海洋性の軟体動物で、主に岩礁や砂地で活動しています。
海にしか、いないのですね。

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複数の吸盤がついた8本の触手を特徴としています。
一般にはと呼んでいますが、
学術書などではと表現されるものです。

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無脊椎動物の中で最も高い知能を持っていて、色を見分けます。
形を認識する事や、問題を学習し解決する事ができるのです。 
身を守るためには、保護色に変色し、地形に合わせて体型を変えます。
その色や形を2年ほど記憶できることが知られているのです。

つまり知能が高いと言う意味では、人間に似ているのです。 

◆◆2◆蛸壺◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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タコは体を保護する固い殻などを持っておらず、
身を守るため普通、海底の岩場の中に潜んでいます。

体を保護する固い殻を持っていないと言う事では、
人間とタコは、良く似ていると言えます。

タコは、潮がゆるくなる時間帯を見計らい岩場から出てきては、
砂地などでイシガニや小魚、などを短時間で捕獲します。

潮が変わると慌てて住処に戻ろうとします。
隠れる場所の少ない砂地はタコにとって危険地帯であります。
そこに絶好の隠れ場所として蛸壺があれば、
タコはこれ幸いと入っていくのです。
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人間もまた、隠れ場所としての蛸壺を必要としていて、
多くの人は、蛸壺にこもる事が好きなのです。

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蛸壺(たこつぼ)は、タコを捕獲する目的で漁師が使うで、
明石がその発祥の地といわれます。
人間の蛸壺は、建築なのでしょうが、建築だけでなくて、
精神的にも、自分の内側にこもろうとする構造があって、
こうした心理的な自閉の構造が、蛸壺と言えるものなのです。

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タコのための蛸壺は主に横にして使うため、
多くは胴に平らな部分があって、
カマボコ型になっています。
これはの流れなどの影響を受けないようにするためなのです。
古くは首の部分のくびれた単純な素焼きの壺が用いられました。

海底から蛸壺を引き上げる際も、
壺から逃げるタコは滅多におらず、
蛸壺の中でじっとしています。
これが蛸壺漁の原理なのです。

◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

人間と言うのも、実は、蛸壺の中で、命を始めます。
つまり子宮ですが、お母さんの子宮と言う蛸壺の中で、
成長するのです。

ですから、臨月になって、この蛸壺から出産されると言う事が、
重要なことになります。

つまり子宮から出なければ、人生は始まらないのです。

この出産されること、つまり自分の生息し、安全である場所から
でることを、ネグリ/ハートの用語を借りて、
《脱領土化》と、ここでは呼んでおきます。

正確には、ドルーズ/ガタリの使った用語で、
どこかに根を張って動けないという蛸壺の心理状態が領土化ですが、
それを脱して、蛸壺の外に出て行くという出産化の運動が、
《脱領土化》です。

つまりアイディンティにこだわり、自分探しを追い求めて、
自己同一性を強引に形成しようとすると、
《自己愛》性人格障害になるのです。
その逆に、


「蛸壺化」「蛸壺化現象」という意味、使用例についてお尋ねしたく書きます。

「○○の蛸壺化」という言葉を最近耳にし、自分なりに調べた所

語源は蛸壺の形から連想した言葉…?

「細分化」とか「一つのものに頼りすぎる」「一つの領域に閉じこもる」など、
なにか現代人、あるいは人の姿勢のあり方?を否定する時に使われる…?

というような感じを受けたのですが、どうにもよく把握できておりません。

耳or目にした中の一例としては
「縦割りの弊害を無くし、専門領域だけに閉じこもる「蛸壺化」も止めるべき」とか
「サブカルチャーが「蛸壺化」が徹底したポストモダンの完成形…」
などというものです。

どなたか使い方等にお詳しい方がいらっしゃいましたら、
教えて頂けると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

*社会学的な言葉なのかと思いまして、投稿カテゴリーは学問&文献(その他)を選ばせて頂きました。
コミュニケーションの欠如が最大の問題だとおもいます。
社内で考えても、団塊の世代は他部門にも同期という人網があってお互い情報の収集が安易だったが、少子化の時代になって難しくなったこと。
契約社員・派遣社員・パートの人材の流動化、多様化など色々な雇用体制も大きな拍車をかけてます。

蛸壺化の防止対策として
・「発言や参加の壁をつくらない」、「『特定の人にしかわからない』状況をつくらない」
・個職化することで、同じ会社の社員であることも素性も判らず協力の意識は弱まるのを打開するため、運動会、社員旅行、社員サークル等、皆で集まって何かをする活動を復活する。
・「成績主義」「成果主義」「能力主義」などの労務管理をみなおして、多様な能力を発揮できる人も評価に入れる。
などコミュニケーションを高める場作りが必要だとおもいます。のが

わたし自信、蛸壺化について誤った考えをもっていました。
蛸壺化よって、個人的な考えを固執することにより、多方面からの質問や要請・強要に負けてしまい、臨機応変に立ち向かうためのもっと攻撃精神を養うのが必要だと思っており、協力性を養うということには少し懸け離れていたと思います。
文末の「臨機応変に攻撃精神を養う」ことと「協力性を養う」という点の違いについて。
すごく理解が出来ましたし、共感いたします。

現代を見る上で「コミュニケーションの欠如」が様々な形で出てきており、その形の一つが「蛸壺化」と言われる要因でもある。
“防止対策”の各項目は本当に、私自身も考えなければいけない点ですし、大切にしたいと思う点でございます。
蛸壺文化とは、常に上役の出方を伺いながら仕事をするさま、またそのような企業風土をいう。
蛸壺は、上向きに、狭い口がひとつしかなく、蛸が暗く狭い壺に収まってその口から外界を伺う様子。

専門分化が進み,専門分野を少しいじるだけで,他分野の人が何をやっているのか,よくわからないという状況を蛸壺化という。

範囲を狭くしてそれで自己満足してはいけない、視野を広くする努力目標を持つことが大事。
ota58様、早速のご回答をありがとうございます!!
なるほど、先に聞いた言葉を理解でき始めました。
蛸壺じゃなくて、蛸壺に入った蛸の姿からきてるのですね!!

質問時に書きました例「縦割りの弊害を無くし、専門領域だけに閉じこもる「蛸壺化」も止めるべき」
というのも、始めはなんだか漠然としてましたが、
ota58様の回答を読み
「縦割りの弊害」→「上役の出方を伺いながら仕事をする様、企業風土」
「専門領域だけに閉じこもる」→「専門分化、細分化から生じる専門領域ーそこに集中してた分野を見る視野を持たない(持つ努力をしない)」
「サブカルチャーの(←質問時誤[が]ではなく[の]でした)蛸壺化が徹底したポストモダンの完成形…」
と言う点も、文献の流れなどをもう一度読み直し、文化背景を考察したいと思います。
でも「情報や手段の細分化(ポストモダンの風潮でもある?)により、個々が自分の好きなものを選べるようになった、が、個々が好きなもの(自分にとって都合のいいもの)だけを信じ、選ぶことで、範囲を狭くした中での自己満足をしている。」といった様なことなのかもしれないな~と思いました。(質問者である素人の私の考察です)

もしかしたら他の方のご意見も何か違う観点から見れることがあるかもしれませんので、あと数日だけ、質問を受付状態にします。(締め切り時に
再度お礼ポイント等つけさせて頂きます。)
蛸壺の快楽

各エコーチェンバーにとどまって閉鎖的になってしまったグループが無数に点在し、それぞれ排他的な傾向を持ち、相互に反目しあう状態。そのような状態をクラスター化(clustter=ぶどうなどの「房」、魚などの「群れ」)とも、エンクレーブ(enclve=飛び地)とも、蛸壺化島宇宙バルカン化とも呼ばれます

佐々木俊尚氏はネットの台頭によって、言論がフラット化してきているという。しかし、実際には何の影響力もない。ネットで発信されている言論は互いに蛸壺化し、耳を塞いで他人の言説を聞かない(紙媒体でも同じ事が行われている。ネットは世間の延長でしかないのだ)。このことに気づいているのは、私だけではない

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追悼・忌野清志郎(校正1加筆1最後の音楽を入れ替える) [アート論]

忌野清志郎さんが、2009年5月2日午前0時51分、
癌性リンパ管症で亡くなられた。
享年58歳。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

忌野清志郎さんが亡くなって、

意外と悲しいです。

喪失の中で、改めて偉大な音楽家であったと思います。


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タグ:忌野清志郎
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