アクセス数1万4千390/4回合計 [アート論]
美術系ラジオへのアクセス数が、松田達さんの報告によると、
4回で、1万4千390となっています。
題名をクリックするとラジオが聞けます。
最初のは、聞きやすいです。
しかし、後のものは、私はコンピューターのスピーカーで聞いていると、
ノイズで、聞こえはしますが辛い面もあります。
どうも、多くの人はダウウロードして、iPotなどで聞いている様です。
そうすると、それほど問題がないようです。
その辺の仕組みを私は、良く勉強していないので、
知りたい人は、松田逹さんのサイトを読んで下さい。
http://radio.tatsumatsuda.com/
2/12-5/15、データアクセス数3258
建築系ラジオの新年会で、新企画の美術系ラジオについて話した部分です。美術家の彦坂尚嘉さんが中心になって企画する予定。建築と美術の境界を横断しつつ、視覚と触覚との関係性から、美術系ラジオの可能性を考えます。美術と建築が、いかに対話すべきか。そしてその違いはどこにあるのか。また美術に詳しくない建築関係者に向けても発信します(2008年1月11日、箱根の田村誠邦さんの別荘にて)。
●美術系ラジオ
(MP3形式、8.7MB、12分36秒)
3/7-5/15、データアクセス数2672
美術系ラジオ、記念すべき第1回目。竹橋にある国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展を見学したあとでの収録。コラージュをめぐって、建築と美術という両面から考える。キーワードとして、クルト・シュヴィッタース、ジョセフ・コーネル、村山知義、マネ、エルンスト、横尾忠則など(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
●美術系ラジオ
24B:コラージュから見た建築または美術(その2)
(MP3形式、11.2MB、16分14秒)
3/7-5/15、データアクセス数2615
美術系ラジオ、引き続き第2回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂+天内×五十嵐+南で話します。コーリン・ロウの『コラージュ・シティ』を読み、さらなる対話へ。キーワードとして、コラージュ・シティ、コーリン・ロウ、ブリコラージュ、ダイハード、ミラージュ・シティ、空中都市計画、磯崎新、シュヴィッタース、糸崎公朗、バーナード・チュミ、コールハース、プログラムのコラージュ、青木淳の卒業設計など (2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
美術系ラジオ
25A::コラージュから見た建築または美術(その3)
(MP3形式、12.1MB、17分36秒)
3/19-5/15、データアクセス数2285
美術系ラジオ、引き続き第3回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂尚嘉+天内大樹×五十嵐+南で話しています。キーワードとして、建築の中のコラージュ的なもの、建築の三層構成、富士屋ホテル、金閣寺、藤森照信、磯崎新、つくばセンタービル、隈研吾、M2、石井和紘、同世代の橋、安藤忠雄、木村恒久、ブログ、著作権、コラージュ化する地球、宮沢りえ、MIA、妊娠、エヴァンゲリオン快楽原則、シンクロ性、チャンス・オペレーションなど(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
美術系ラジオ
26D::美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって
(MP3形式、11.4MB、16分37秒)
4/14-5/15、データアクセス数1995
美術系ラジオの番外編として、今後の計画を語っています。美術系ラジオの意義とは何で、また建築系ラジオ内で行う意味は何だろうか?そして今後の方向性とは。美術館や学芸員、またアーティストや研究者とのジョイントの可能性。建築を除いて美術を考えることは出来ないのではないかという問いも提示される。美術館の中で語ることは、美術館という制度によって禁止されるのか否か?美術系ラジオという可能性をめぐって、「美術と建築のコラージュへ」と話は展開する(2009年2月15日、東京国際フォーラム近くの居酒屋にて)。
美術系ラジオ
27A: :美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」
(MP3形式、16.9MB、24分39秒)
4/20-5/15、データアクセス数1565
近頃メディアで目にする言葉「アートフェア」。誰にでも買えるよう、オークションではなく市場のように美術作品を売るところです。中でも東京最大級の「アートフェア東京2009」(@東京国際フォーラム)を一通りくまなく探検してきた濱田+五十嵐、その前に「101Tokyo」(@秋葉原UDX)も見てきた天内が、アートフェアの「中の人」池田+彦坂、美術メディアの太田、美術家の田嶋に「どうなっているの?」とお尋ねします。以前開かれていた同種のイヴェント「NiCAF」、「アートフェア東京」の傾向、「建築フェア」はあり得るか、コンセプトとコンテントと市場(2009年4月5日、東京国際フォーラムのカフェにて)[テキスト:天内大樹]
出演者:彦坂尚嘉+天内大樹+五十嵐太郎+池田剛介+太田丈夫+田嶋奈保子+濱田由美
関連サイト
アートフェア東京
アクセス数1万4千390/4回合計 [アート論]
美術系ラジオへのアクセス数が、松田達さんの報告によると、
4回で、1万4千390となっています。
ピンクの文字をクリックするとラジオが聞けます。
●美術系ラジオ
(MP3形式、13.8MB、20分01秒)
2/12-5/15、データアクセス数3258
建築系ラジオの新年会で、新企画の美術系ラジオについて話した部分です。美術家の彦坂尚嘉さんが中心になって企画する予定。建築と美術の境界を横断しつつ、視覚と触覚との関係性から、美術系ラジオの可能性を考えます。美術と建築が、いかに対話すべきか。そしてその違いはどこにあるのか。また美術に詳しくない建築関係者に向けても発信します(2008年1月11日、箱根の田村誠邦さんの別荘にて)。
●美術系ラジオ
:コラージュから見た建築または美術(その1)
(MP3形式、8.7MB、12分36秒)
3/7-5/15、データアクセス数2672
美術系ラジオ、記念すべき第1回目。竹橋にある国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展を見学したあとでの収録。コラージュをめぐって、建築と美術という両面から考える。キーワードとして、クルト・シュヴィッタース、ジョセフ・コーネル、村山知義、マネ、エルンスト、横尾忠則など(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
●美術系ラジオ
24B:コラージュから見た建築または美術(その2)
(MP3形式、11.2MB、16分14秒)
3/7-5/15、データアクセス数2615
美術系ラジオ、引き続き第2回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂+天内×五十嵐+南で話します。コーリン・ロウの『コラージュ・シティ』を読み、さらなる対話へ。キーワードとして、コラージュ・シティ、コーリン・ロウ、ブリコラージュ、ダイハード、ミラージュ・シティ、空中都市計画、磯崎新、シュヴィッタース、糸崎公朗、バーナード・チュミ、コールハース、プログラムのコラージュ、青木淳の卒業設計など (2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
美術系ラジオ
25A::コラージュから見た建築または美術(その3)
(MP3形式、12.1MB、17分36秒)
3/19-5/15、データアクセス数2285
美術系ラジオ、引き続き第3回。国立近代美術館における「コラージュー切断と再構築による創造」展の見学後に、彦坂尚嘉+天内大樹×五十嵐+南で話しています。キーワードとして、建築の中のコラージュ的なもの、建築の三層構成、富士屋ホテル、金閣寺、藤森照信、磯崎新、つくばセンタービル、隈研吾、M2、石井和紘、同世代の橋、安藤忠雄、木村恒久、ブログ、著作権、コラージュ化する地球、宮沢りえ、MIA、妊娠、エヴァンゲリオン快楽原則、シンクロ性、チャンス・オペレーションなど(2009年2月15日、国立近代美術館近くのテラスにて)。
美術系ラジオ
26D::美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって
(MP3形式、11.4MB、16分37秒)
4/14-5/15、データアクセス数1995
・27A: 美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」
4/20-5/15、データアクセス数1565
・24A: コラージュから見た建築または美術(その1)
3/7-5/15、データアクセス数2672
・24B: コラージュから見た建築または美術(その2)
3/7-5/15、データアクセス数2615
・25A: コラージュから見た建築または美術(その3)
3/19-5/15、データアクセス数2285
・26D: 美術系ラジオ企画編ー美術と建築のコラージュに向かって
4/14-5/15、データアクセス数1995
・27A: 美術系ラジオ第4回「アートフェアって?」
4/20-5/15、データアクセス数1565
美術系ラジオ/気体分子オフミュージアム(校正1画像位置変更) [アート論]
ルドルフ・シュタイナーの《第8次元》性と芸術(訂正写真の差し替え) [アート論]
長野重一の写真/外界を見る精神の被写界深度(加筆1) [アート論]
日本の自画像
写真が描く戦後 1945-1964
2009年5月2日~6月21日 1階展示室
を拝見しました。
高橋直裕氏がテキストを書いておられて、
かれが作ったと思われる良い展覧会でした。
その中で、長野重一の写真に強い感銘を受けました。
不勉強で、この写真界の重鎮の写真家を知らなかったのです。
この写真集を会場の売店で買いました。
こういう日常的な凡庸とも言える《ローアート》のスナップ写真が、
すばらしクオリティも持って制作されている事に、
驚きがありました。
この手の《ローアート》のスナップ写真と言うので、
日本で評価の高い写真は、何と言っても木村 伊兵衛です。
木村 伊兵衛は、顔写真で見ると、《超次元》ですが、
写真の方は、《第1次元》なのです。
木村 伊兵衛の写真
土門拳にも同様のことが言えます。
顔では《超次元》なのですが、
初期の『筑豊の子供たち』などのスナップ写真は《第6次元》です。
下の図版は『筑豊の子供たち』ではありませんが、
これも1950年の撮影で《第6次元》です。
土門拳の写真
《象徴界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第6次元》のみの《真性の芸術》
《想像界》のみの写真
液体写真のみの表現
《気晴らしアート》《ローアート》
《非-実体性》のある写真
シニフィアン(記号表現)の写真
《原始平面の写真》『ペンキ絵』的写真【B級写真】
土門拳と長野重一を比較してみます。
二人の写真を明度を51上げて、コントラストを71上げてみます。
土門拳の《第6次元》の写真と、
長野重一の《超次元》の写真の構造の違いが見えるでしょうか。
土門拳の写真は、対象の傷痍軍人のオブジェクト性に集中していて、
長野重一の写真は、世界の構造を深く捉えているのです。
ここでは3人を単純化していますが、
長野重一は《超次元》の《超1流》写真家であると、
彦坂尚嘉の視点では、なります。
そして木村 伊兵衛は《第1次元》の《1流》写真家、
初期・土門拳は、《第6次元》の《6流》写真家なのです。
長野重一 《超1流》
木村 伊兵衛 《1流》
初期・土門拳 《6流》
しかし3人ともに、この段階で見ているのは、
すべて《ローアート》の写真にすぎません。
当然のように、《ハイアート》の写真があります。
日本の写真の主流の低さを自覚する必要があるのです。
例えばスティーグリッツの写真を見て下さい。
《ハイアート》です。
スティーグリッツの写真
《象徴界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《超次元から第41次元》の《真性の芸術》
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な写真
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な写真
《シリアス・アート》《ハイアート》
《非-実体性》のある写真
シニフィアン(記号表現)の写真
《透視画面》の写真、『オプティカル・イリュージョン』的写真【A級写真】
アルフレッド・スティーグリッツは、アメリカの写真家です。
画家のオキーフのご主人であり、
そしてデシャンの便器の作品の唯一の写真を撮った写真家で、
アメリカの写真を切り開いた巨人の一人です。
スティーグリッツと土門拳を比較してみましょう。
日本人の多くが、土門拳の写真の方が良いというでしょう。
土門拳は、明快に子供を背負った傷痍軍人という、分かりやすい
主題を、分かりやすく撮っているからです。
それに対してスティーグリッツは、何を撮っているのか、
日本人の多くには理解が出来ないのです。
これは単に色調をモノクロに統一しました。
次には、明度を34上げ、コントラストを87上げて見たものです。
スティーグリッツの撮った橋は、移民船の舟の橋でしょうか。
橋を撮る事で移民の国アメリカを象徴し、
そして画面が橋で2分される事で、橋を挟んでの上流と下流の分解と、
人種の多様性を撮っていると言えるのかもしれません。
不純詩・試作(ローマ数字をアラビア数字に改稿、加筆2校正1) [アート論]
2 師走を迎える寒い日 3 隠し立てすると 3 大声 2 娘 3 盗人 1 嫌疑がかかった 2 できるわけがありません 3 踏み込んで家捜ししろ 2 お待ち下さい 2 奥座敷 3 琴を弾いていた 1 背中に捻じ曲げ 1 無理やり 1 廊下を 1 恋仲 2 祝言をかわすことになっていた 3 うらやましく1 仕組んだ罠だったのだ 2 私はそんなこととは知らない 3 自分に降り掛かる 3 夢にも思っていなかった 1 転がった 3 へっへっへ 2 関係がないのだ 1 くやしさに歯を食いしばった 2 綺麗な着物 3 乱暴な口調で言った 1 やめろ2 叫んだ 2 屈辱と無念さに激しく歪んだ 1 少しは静かになるだろう 3 できるはずがなかった 2 薄笑いを浮かべ て 1 見まわすのだ 3 凝視している 3 鮮やかな花柄の振袖 1 香りが部屋中に漂った 2 その場にしゃがみ込んでしまった 2 歪んだ 1 かまわない 2 真っ暗になっていくのだった 3 汚れのない 2 滑らかな曲線を描く 1 淡い3 口を開けたまま 1 気が遠くなっていくのだった 2 手でたたいた 3 気が狂いそうな 2 道はないのだ 3 いいんじゃないか 2 針でも刺されたような 1 体を曲げ後ろからも 3 舌を噛み切られたら2 始めからわかっているのだ 2 あこがれていた 3 桐の木で作った 1 膝をつくと 1 ハッハッハッハ 3 絶叫した 1 ガクガク 2 フッフツフ 1 ギャー 3 ガクガク 2 目をきつく閉じ顔を横に背けた 3 顔を覗き込むのだ 1 静かに目を閉じている 2 美しく見えるのだった 3 ハッハッハッハ 3 抵抗したが 2 全員笑い出すのだった 1 他の者は 3 震えた 2 黒山の人だかりの道 1 耳に入ってくる 1そんな光景を 2 薄笑い 3 優雅な生活を送っていた 3 ここ数年で大きく成長していた 2 ハイテク部品の工場 3 若手経営者 2 銀座や赤坂に足を運んでいた 2 将来は俳優になろうとまで考えた 3 中から二人の男が降りてきた 3 愛犬と遊んでいた 1 今すぐいきます 1 玄関に向かった 2いや、たいしたことではありませんが 1 すぐ用意しますので 1 二階へ上がって行った 2 南下した 2 なにも話さないで黙っている 1 いつのまにか眠っていた 2 車を降りた 2 不安になり 3 我々にはわかりませんね 3 唖然とした 2 走り寄ろうとしたが 3 地下室で待っていた 2 フッフッフ 1 何かの間違いです 1 涙を浮かべ叫んだ 2 薄笑いを浮かべた 2 声がつまった
2009-05-06 [アート論]
「○○の蛸壺化」という言葉を最近耳にし、自分なりに調べた所
語源は蛸壺の形から連想した言葉…?
「細分化」とか「一つのものに頼りすぎる」「一つの領域に閉じこもる」など、
なにか現代人、あるいは人の姿勢のあり方?を否定する時に使われる…?
というような感じを受けたのですが、どうにもよく把握できておりません。
耳or目にした中の一例としては
「縦割りの弊害を無くし、専門領域だけに閉じこもる「蛸壺化」も止めるべき」とか
「サブカルチャーが「蛸壺化」が徹底したポストモダンの完成形…」
などというものです。
どなたか使い方等にお詳しい方がいらっしゃいましたら、
教えて頂けると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
*社会学的な言葉なのかと思いまして、投稿カテゴリーは学問&文献(その他)を選ばせて頂きました。
コミュニケーションの欠如が最大の問題だとおもいます。
社内で考えても、団塊の世代は他部門にも同期という人網があってお互い情報の収集が安易だったが、少子化の時代になって難しくなったこと。
契約社員・派遣社員・パートの人材の流動化、多様化など色々な雇用体制も大きな拍車をかけてます。
蛸壺化の防止対策として
・「発言や参加の壁をつくらない」、「『特定の人にしかわからない』状況をつくらない」
・個職化することで、同じ会社の社員であることも素性も判らず協力の意識は弱まるのを打開するため、運動会、社員旅行、社員サークル等、皆で集まって何かをする活動を復活する。
・「成績主義」「成果主義」「能力主義」などの労務管理をみなおして、多様な能力を発揮できる人も評価に入れる。
などコミュニケーションを高める場作りが必要だとおもいます。のが
わたし自信、蛸壺化について誤った考えをもっていました。
蛸壺化よって、個人的な考えを固執することにより、多方面からの質問や要請・強要に負けてしまい、臨機応変に立ち向かうためのもっと攻撃精神を養うのが必要だと思っており、協力性を養うということには少し懸け離れていたと思います。
すごく理解が出来ましたし、共感いたします。
現代を見る上で「コミュニケーションの欠如」が様々な形で出てきており、その形の一つが「蛸壺化」と言われる要因でもある。
“防止対策”の各項目は本当に、私自身も考えなければいけない点ですし、大切にしたいと思う点でございます。
蛸壺は、上向きに、狭い口がひとつしかなく、蛸が暗く狭い壺に収まってその口から外界を伺う様子。
専門分化が進み,専門分野を少しいじるだけで,他分野の人が何をやっているのか,よくわからないという状況を蛸壺化という。
範囲を狭くしてそれで自己満足してはいけない、視野を広くする努力目標を持つことが大事。
なるほど、先に聞いた言葉を理解でき始めました。
蛸壺じゃなくて、蛸壺に入った蛸の姿からきてるのですね!!
質問時に書きました例「縦割りの弊害を無くし、専門領域だけに閉じこもる「蛸壺化」も止めるべき」
というのも、始めはなんだか漠然としてましたが、
ota58様の回答を読み
「縦割りの弊害」→「上役の出方を伺いながら仕事をする様、企業風土」
「専門領域だけに閉じこもる」→「専門分化、細分化から生じる専門領域ーそこに集中してた分野を見る視野を持たない(持つ努力をしない)」
と言う点も、文献の流れなどをもう一度読み直し、文化背景を考察したいと思います。
でも「情報や手段の細分化(ポストモダンの風潮でもある?)により、個々が自分の好きなものを選べるようになった、が、個々が好きなもの(自分にとって都合のいいもの)だけを信じ、選ぶことで、範囲を狭くした中での自己満足をしている。」といった様なことなのかもしれないな~と思いました。(質問者である素人の私の考察です)
もしかしたら他の方のご意見も何か違う観点から見れることがあるかもしれませんので、あと数日だけ、質問を受付状態にします。(締め切り時に
再度お礼ポイント等つけさせて頂きます。)
追悼・忌野清志郎(校正1加筆1最後の音楽を入れ替える) [アート論]
意外と悲しいです。
喪失の中で、改めて偉大な音楽家であったと思います。