フリーダム・タワー(写真増加 加筆2) [建築]
奈義町現代美術館 [建築]
建築家・南 泰裕さんの顔(加筆1) [建築]
ファドとは運命とか宿命とかという意味であり、
このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表す民族は珍しいと言われる。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバがあるように、
ポルトガルにはファドがある。
そして、このファドを求めて、私は南 泰裕さんと夜のリスボンの街を彷徨したが、
しかしファドの店には、至りつけなかった。
ファドの意味するところの《宿命》に到達しなかったのである。
用途 :二世帯住宅(親世帯+子世帯)
敷地面積/地域 :30.81(m2) / 第一種住居地域
建築面積/延床面積 :180.22(m2) / 195.46(m2)
主構造 :鉄骨造
階数 :地上2階 + ロフト
設計 :南泰裕(アトリエ・アンプレックス)
設計協力 :日高郁子
敷地の特性を十分に活かしつつ、
基本構成は、建築の大半を平屋とした上で、その上部を全面緑化し、
用途 :二世帯住宅(親世帯+子世帯)
敷地面積/地域 :65.90(m2)
建築面積/延床面積 :35.36(m2) / 86.01(m2)
主構造 :鉄骨造
階数 :地上3階 + ロフト
設計 :南泰裕 / アトリエ・アンプレックス
担当 :南泰裕 佐竹俊彦
東京都内に建つ2世帯住宅。周辺環境の特性を注意深く分析し、採光や通風、プライバシーの確保といった、
その結果として、ブランクーシの「空間の鳥」を初期イメージとしながら、
内部空間については、1階部分を親世帯夫婦のスペース、
限られた敷地の中で、2世帯住宅として駐車スペース2台分、
外壁は、断熱材を挟み込んだガルバリウム鋼板とし、
建築家・山田幸司さんの顔(改題/加筆、改稿少しあり) [建築]
日本建築家協会優秀建築選2005
日本建築学会作品選
すまいる愛知県建築賞
碧南市都市景観賞
SDレビュー1998 新人賞
“山田幸司のスーパーモデリング講座”を連載する。
僕の場合は3DCAD上で徹底的にデザインを検証する。
それこそ1ミリ単位でシミュレーションするんです。
だからそのデータをレンダリングするだけで、精巧なパースになる」とのこと。
長野建築ツアー/伊東豊雄《まつもと市民芸術館》(加筆) [建築]
昨日は朝5時15分起きで、
6時出発、8時に新宿南口集合。
若手建築家の松田逹、林要次両氏と、
さらに松田さんを手伝っている松原独歩、大下かな子さんの4人と合流して、
レンタカーで、
長野県の澄心寺のコンペティション見学会に行った。
場所は箕輪町である。
新宿から中央道で、諏訪を過ぎて、伊北ICで下りる。
運転は松田逹さん。
私は助手席で、楽をさせてもらった。
若い3人は、後ろで、真ん中の大下さんがかわいそう。
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澄心寺・庫裏(住宅部分)デザインコンペティション
概 要
伊那盆地に面した小山にある伝統ある禅寺「澄心寺」。地域の人びとの現代生活に対
応した新たな役割を先導するため、その庫裏(住宅部分を含む)のり・デザインを図
ります。
審査員
曽我部昌史/貝島桃代/成実弘至/五十嵐太郎/壇信徒総代会会長
亀崎元展晋山式実行委員会住宅担当長/晋山式実行委員会住宅担当
コーディネーター
小野田泰明 佐幸信介
応募資格
応募者は一級建築士であり、総括責任者として従事できること。
表 彰
最優秀賞(1点)500万円程度
一次審査通過者(3点)10万円
応募締切
2008年4月25日(金)必着
敷 地
長野県伊那郡箕輪町大字三日町289 澄心寺敷地内
住宅面積
50〜57坪
総建設事業費
3,750〜4,500万円(解体費、外構費、諸税を含む)
現地説明会
2008年4月6日(日)
一次審査
2008年4月29日(火)
二次審査
2008年5月18日(日)
実施設計
2008年6月〜10月
提出図面
配置図・平面図・立面図・断面図・投資図・スケッチ等・設計主旨
(上記の内容をA2用紙1枚にまとめて提出)
提出先
日本大学法学部・佐幸研究室
(〒101-8375 東京都千代田区三崎町2-3-1)
問合せ
日本大学佐幸研究室
Tel&Fax:03?5275?8785
URL:http://kokorosumu.web.fc2.com
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なぜに美術家の彦坂尚嘉が、
建築コンペの見学をするかと言えば、好奇心である。
美術作品の作り方と言うものを洗い直して行くためには、
他ジャンルを観察するのは、一つの方法である。
自分自身の制作は、良い歳をしていることもあるから、
このまま、同じ事をして行くしかないのだが、
しかし、そう決めてしまったとたんに、
仕事は職人仕事になり、
つまらないものになって行く。
制作と言うものは、正味3年くらいしか持たないものであって、
常に刷新を考え、それを準備し続けないと、
8流に落ちてしまう。
途中で、サービスエアリアで、朝食を食べながら、
松田さんの事務所が作った建築模型を見ながら話したが、
それは、刺激的であった。
模型で見ていると、本堂よりも大きな建築を建てたくなるが、
しかし予算が決まっていて、決まっていると工法も自ずと限定されてくる。
複雑な形態を取ると、金がかかるのである。
お金とフォルムが、これほど直結的に結びついていると言うのは、
知らなかった。
美術作品だと、
手間ですむところが、
直接に大きなお金の問題になる。
現地に着くと、そのお寺が、写真で見る以上に、はるかに美しいのに、
驚く。《1流》建築なのである。
格式がある、小振りだが立派なお寺で、
内部も、驚くほどの太い柱と梁を持っている。
わざわざ建築コンペを開くまでになる理由が、
現地のお寺を見ると、分かる気がするのである。
この寺の美しさが、地域の人々を引きつけて来たのである。
それに日本アルプスを一望に見る景色がすばらしい。
天気が良かったせいもあって、
現場を踏む事の重要性を思う。
もっとも建築のコンペティッションというのは、
現場を見ないで応募した人が勝つということもあるそうで、
勝負は水物なのである。
説明界には100人を超す人々が集まる。
27歳くらいの若い住職がしっかりしていて、
彼の欲望と言うか、ニーズは見えてくる。
地域の若い人々がお寺に来られる様にしたいのだ。
これも刺激的で、建築を構想して行く、知的な枠組みが、
見えてくる。
寺の側の欲望の把握と、
建築家自身の欲望の交差を解かなければならない。
しかし建築というところで、交差するにしろ、
その施主の欲望と、建築家の欲望は、次元が違う。
この次元の違いが、重要だし、その問題を考えないと、
話にならない。
美術も同様であって、
美術を買うコレクターの欲望と、
作家の欲望は次元が違う。
この次元の違いの交差が生む問題がある。
この場合、建築家の欲望があるのかどうかが問われる。
正しい答えが必要なのではなくて、
両者の欲望の問題であると、
私は思う。
建築の施主の欲望や、美術でのコレクターの欲望と、
建築家や作家の欲望が、ずれている事が重要である。
単に施主やコレクターの欲望を、直接に解決し対応する人は、
建築家としても作家としても、たいした事は無いのである。
それは単に他人の欲望を実現する奴隷に過ぎない。
施主/コレクターと、建築家/美術家の欲望のずれこそが、
作品を成立させる。
今回もわざわざ建築コンペを開いてまで決めようとする若い住職の欲望は、
明快に言えば、建築そのものとして話題になり評価を得られる建築である。
おとなしい有用な建築にあるのではないと、
私は思う。
したがって建築家の積極的な意欲がないと成立しない。
低予算建築で、しかも既存の建築が《1流》である場合、
どうするのか?
建築としては小規模であるところが、
ポイントである。
ここに《超1流》《超1流》《超1流》の建築を、
低予算でつくる。
木と鉄とガラスでつくる。
建築としては、ハイアートではなくて、
ローアと建築である。
ローアートで考えないと、創造的なものは出来ない。
既存の《1流》建築との対比を重視しつつ、
木造での同質性を取る。
低予算と言う事で、
屋根はフラット。
正面はフラットは大型ガラスで、
内部は大きく、檀家のための談話室(吹き抜け)
と、住職の住居(主に2階)の2構造。
売りは、
高台の地の利を生かした見晴らしを楽しめる空間。
大自然の見晴らしと、
住職による、聞き役の徹した短時間の宗教的な対話的カウンセリングを
売り物にしたスペース。
あくまでも現代的な個人主義を軸にした、
宗教的な対話空間を作り出す。
側面のどうでも良い所に、
かなりの狂気を含んだ曲線の壁面を木でつくる。
低予算だから、木型の枠と、垂直の木材による工法。
まあ、私には1級建築士の資格はないから、
応募する事は出来ないのだが、
かってな夢想は出来るのである。
こうして奇妙なガラスと木造の建築構想が、
私の中に生まれる。
現地で、南さん、月橋さんにお会いする。
その後、伊東豊雄による《まつもと市民芸術館》を見学しにいく。
伊東豊雄による《まつもと市民芸術館》、
これは驚きであった。
せんだいメディアテークが2流で、合法建築であったのに対して、
すばらしい《1流》建築で、しかも非合法性、非実体性のある、
芸術性の高い建築。
これは、のびやかで、ビビットで、しかも空間が大きい。
私はオペラシティの展覧会も見ていたが、
それでも伊東豊雄氏に対して、どこか冷ややかさがあったのだが、
今回は、熱くなった。
見事に化けて行く建築家である。
すごい!
何よりも、外形の形、そして明かりが入る不定形のガラスブロック、
さらにデコラティブなアルミキャストの壁面。
内部空間のひろさ。
すばらしい。
屋上庭園も見た。
その後、茅野市民会館を見に行く。
茅野市民会館は、
古谷誠章さん設計
2007年の建築学会賞を受賞している建築だが8流建築。
立派だが、固く、創造性や、美しさが落ちる。
写真の下の2枚の部分だが、
門の様な入り口の部分は、木をつかっているのだが、
もの派や、廃材的な使用なのだが、
これがちぐはぐで、ひどい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
建築ツアーをしていて、楽しいのは
建築の人々は、他人の建築を見に行くし、
そしてそれに鋭い反応をする事だ。
良い建築は良いと言うし、
悪いものは,鋭く批判し、
しかも細部まで、丁寧に見る。
今日の美術家の多く、特に私の世代は、
まず、すぐれた美術を見に行こうとしない。
見ても、何が良くて、何が悪いかを明快に言わない。
その中では清水誠一さんは、希有な友人である。
彼は果敢だ。
でも、建築まではなかなか付き合ってくれない。
美術家は
自分の蛸壺に閉じこもってしまっていて、
視野の狭い人が多いのである。
まるで自閉していることがアーティストであると思っているかのようである。
そういう気持ちも理解出来るけれども、
しかし本当にそうなのであろうか?
自閉していて、芸術は可能なのであろうか?
私にはそうは思えない。
それと格の低いものを、
美術関係者は好きな事である。
一体何て駄目な人たちだろうと思う。
8流、6流、21流、そんなものばかりだ。
もちろん、そんな人々だけでなくて、
探求する若い美術家の友人と私は付き合っているのだが、
しかし、
もっと積極的に心を開いて、
良いものを見て、自分の芸術を高めて行っていいと思うのだが、
そういう大きさのある人が、もう、同じ世代の美術家にはいなくなってしまった様に
思えるのである。
もちろん、私の単なる主観で、単なる思い込みかもしれない。
何故に建築を見るのが好きかと言えば、
建築の人々は、
私から見ると
まともだからだ。
それだけ、建築は
社会的で、
そして現実だからであろう。
そして厳しい。
オーギュスト・ペレの顔 [建築]
ル・コルビジェが学んだオーギュスト・ペレの顔である。
〈1流〉〈1流〉〈1流〉
〈象徴界〉〈想像界〉〈現実界〉の3界を持っている顔。
固体・液体・気体の3様態を持っている人物。
なかなかの人物である。
オーギュスト・ペレ( 1874〜1954年)はベルギー、ブリュッセル生まれ、
「コンクリートの父」と呼ばれ、
建材として用いられていなかった鉄筋コンクリートに注目し、
兄弟であるギュスターヴ、クロードとともに
鉄筋コンクリート造という新しい技術により芸術的な表現を追求し、
20世紀フランスで活躍した建築家。
1903年、最初の計画から複数階を持つ建築物、
フランクリン街のアパートメントの実現に成功した。
鉄筋コンクリート造による最初期の近代建築。
代表作であるノートルダム・デュ・ランシー(ランシーの教会堂)は、
ゴシック様式の空間構成と、
近代合理主義的な直線が組み合わされている。
「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」は、北フランスの港湾都市ル・アーヴルの中心街を指す、ユネスコ世界遺産としての登録名。
第二次世界大戦後に行われた大規模な都市再建が、
20世紀における都市計画の優れた例証として評価され、
世界遺産に登録されている。
ル・コルビュジエの顔 [建築]
ル・コルビュジエ(1887年 - 1965年)は、時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んでいて、大学教育を受けていない。
大学教育を受けていない彼が、何故にモダニズム建築の巨匠になったのだろうか?
1908年にパリへ行き、鉄筋コンクリート造建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、
1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、
実地で建築を学んだ。
ル・コルビュジエの顔である。
〈超1流〉〈超1流〉〈超1流〉
すばらしい顔をしている。
改めて言うまでもなく、
建築は大芸術であって、
単なるデザイン作品ではない。
ル・コルビュジエの建築は、
〈非-合法性〉を持っているのである。
建築ツアー/山田 守 [建築]
本厚木まで来ているから、
分離派の巨匠・山田 守の東海大学を見に行こうということを、
五十嵐太郎さんが提案した。
小田急線で本厚木から4つ目の東海大学前まで行く。
後はタクシー4台にに分乗して東海大学北門。
山田 守(やまだまもる、1894年 - 1966年)
東京帝国大学建築学科卒業、逓信省に入り、電信局などの設計を行う。
東京中央電信局のパラボラ型アーチの並ぶ個性的なデザインが注目された(現存しない)。
大正9年、山田守をはじめ、同級生の、堀口捨巳、石本喜久治、森田慶一、滝沢真弓、矢田茂のメンバーで分離派建築会を結成した。その結成の宣言は、「我々は起つ、過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしむる新建築圏を創造せんがために、我々は起つ、過去建築圏の中に眠っている総てのものを救わんがために、我々は起つ我々のこの理想の実現のために我々の総てのものを愉悦の中に献げ、倒れるまで、死まで期して、我々一同、右を世界に向かって宣言する。」
永代橋(1926年):国の重要文化財(建造物)
聖橋(1927年)
萬代橋(1929年):平国の重要文化財(建造物)
山田守は、四国高松の病院も、
五十嵐太郎さんに教えられて見に行っている。
NTT西日本高松診療所(旧高松逓信病院)(1962年)
建築の角を面取りしたようなカーブが印象的。
それと敷地全体が流れるように設計されていた。
それと京都駅前の京都タワービル(1964年)は、3回見に行っている。
さらに先日の五十嵐太郎さんのツアーで、日本武道館(1964年)も見ている。
というわけで、東海大学へ行く。
これが、広くて、そしてたくさんの建築がある。
山田守るの最晩年の作品で、山田は何よりこのプロジェクトを重視していた。
自由にデザインできる代わりに無報酬だった。
「東海大学湘南校舎」
■所在地;神奈川県平塚市北金目
□1号館■完成;昭和38(1963)年7月■構造;RC3階■面積;14,377m2
□2号館■完成;昭和40(1965)年12月■構造;RC4階■面積;11,956m2
□3号館■完成;昭和41(1966)年11月■構造;RC10階塔屋4階
□4号館■完成;昭和42(1967)年9月■構造;RC4階地下1階塔屋2階■面積;10,809m2
□松前会館■完成;昭和41(1966)年11月■構造;RC2階■面積;1,280m2
□武道館■完成;昭和41(1966)年10月■構造;SRC1階地下1階■面積;3,327m2
□食堂■完成;昭和42(1967)年4月■構造;S+RC2階■面積;1,148m2
□望星学塾3棟■完成;昭和39(1964)年2月〜■構造;RC4階■面積;9,584m2
□実験実習館■完成;昭和40(1965)年6月〜■構造;RC2階■面積;17,747m2
■施工;戸田建設・大成建設
■現況;全棟現存
なにしろ、全棟現存しているので、
歩いて、歩いて見て回った。
五十嵐さんはタフ、私は老齢に身でたいへん。
それでも遅れず、全部見る。
参加した若い学生たちが「かっこいいね」と賛嘆の声を上げる。
本当に、今見ても斬新なデザインである。
すばらしい〈超1流〉〈超1流〉〈超1流〉建築が、
いくつもある。
面取りしたような角を丸くしたスタイルや、
スパイラルなど、
トレードマークが明確で個性が明確なフォルムをもっている。
〈非-合法性〉があって、しかも《ハイアート建築》である。
周辺部のアパートの様な、付随的なビルも良い。
トレードマークのスロープの階段部分が美しい。
スタイリッシュなトレードマーク性の重要性を、
改めて感じる。
最晩年に、これだけの建築群を残した山田守の偉大さに、
深い感銘を覚える。
すごい巨匠建築家ですね!
20世紀日本美術史を書きたいのだが、
その中に建築を入れるという、当たり前のことをしたい。
そうすると大正美術の中に、
まずこの山田守の偉大な分離派建築が登場する。
そうすると、日本のモダニズム美術のイメージが根底的に変わる。
しかもそれは線香花火のような、はかない幻ではなくて、
最晩年まで展開されて巨大なビル群にまで発展する骨太の造型性なのである。
美術史の書き換えが急務であると言える。
建築ツアー/石上純也 [建築]
ハードスケジュールで、追いまくられてしまった。
まず、建築ツアーに参加した。
石上純也"神奈川工科大学の工房"
ARTBANKの五十嵐太郎さんのクラスのツアーである。
集合場所:神奈川工科大学
集合時間:3月1日(土)14:00
本厚木駅からのアクセス
㈰BUS(¥280)
13:32 厚89 本厚木駅 1番乗場 ⇒ 神奈川工科大学前
大きいし、きれいな建築。
"神奈川工科大学の工房"であるが、
柱だけの建築で、仕切りの壁がない。
石上純也さんは、妹島 和世さんの所から出てきた建築家。
[経歴]
1974年生まれ
2000年 東京都芸術大学大学院修了
2000-2004年 妹島建築設計事務所勤務
2004年 石上純也建築設計事務所設立
妹島建築設計事務では、梅林の家の担当であったと聞いているが、
確認していない。
妹島建築が彦坂的には《6流》のミースを汲む流れであるのに、
石上純也のそれは〈超1流〉〈超1流〉〈超1流〉で、
〈非-実体性〉があって、
私の評価は高い。
気になるのは、合法的で、デザインであること。
建築はデザインであるではないかと言われるかもしれないが、
もともと建築は大芸術であって、
〈非-合法性〉のある建築は、たくさん歴史上にあるのである。
それこそコルビジェの建築には〈非−合法性〉があって、
大芸術になっている。
伊藤豊雄の仙台メディアテーク でも気になったのは、
この合法性。
合法的な表現というのは、社会性は高いから確かに魅力があるが、
しかし歴史的には弱い。
古くなるのだ。
古くなっても人に感動を与えると言うことが起きない。
まあ、それでも良いのかもしれないが・・・。
300本を越える柱に、予算も意識も注ぎ込まれている建築。
石上純也氏の、この集中的突破法は、みごとなもの。
建築家魂を感じることができる。
この柱の決定については、
石上さん本人からも話を聞き、
五十嵐太郎さんの解説も聞いたが、
この柱の位置の決定段階で〈非-合法性〉をいれることはできたと思うが、
妹島さんも合法的だから、
もともと石上さんにも〈非-合法性〉に対する意識や興味がないのだろう。
とにかく出来上がった建築は、
クライアントの欲望と、
建築家の欲望が、正面から抽出されている名作と言える。
200を越える柱の断面形状に差というのは、
若い建築家の格闘としては高く評価する。
しかし、方法論としては、実は問題を認識していないと、
私には見えるが、それは、とりあえずは、置いておこう。
五十嵐さんから、プランの発展のプロセスを聞いたが、
基本は普通のグリッドから始まっている。
モダニズムの文法を、内側から越える試みとして、
面白い才能であるが、数学や、複雑系の科学、そして現代美術の格闘から見ると、
建築は遅れて走ってきて来ているように見えなくもないが、
それだから逆に面白いとも言える。
隣のビルの上から、下を見る形でもこの建築を鑑賞。
この平面図は、直角の矩形ではなくて、ややゆがんでいる。
連絡して彦坂敏昭さんもツアーに参加させてもらった。
こうした新鮮な建築を見ておくことは、
彦坂敏昭さんの様な若いアーティストには凄く良い勉強になるはず。
追加である。
この建築は、ハイアートでも、ローアートでもなくて、
メディアムである。
この後見た山田守の東海大学の建築がハイアートであるのと、
対照的に感じた。
建築のコンペティションとその結果を見て [建築]
五十嵐太郎さんから、
以下のようなコンペの転送メールが来た。
………………………………………………………………………………
群馬県庁建築住宅課の新井です。
群馬県では、首都圏における情報発信・収集拠点として、
ぐんま総合情報センター(仮称)の開設を進めています。
このたび設計者選定をするため、
「ぐんま総合情報センター(仮称)設計提案競技」の募集を
別紙概要のとおり行っています。
県内市町村では、一般公募による設計者選定は過去に数回実施されていますが、
群馬県主催では初めての試みです。
概要は添付の「ぐんま総合情報センター設計提案競技概要」をご覧ください。
また、現地見学会を22日(火)に予定しています。
スケジュールがタイトですが、このコンペに多くの方の参加をお待ちしています。
群馬県ホームページ
http://www.pref.gunma.jp/index.html
(See attached file: ぐんま総合情報センター設計提案競技概要.pdf)
*************************************************
群馬県 県土整備部 建築住宅課 施設整備グループ
〒371-8570 前橋市大手町1−1−1
Tel:027-226-3707(直通) Fax:027-221-4171
E-mail:arai-h@pref.gunma.jp
新 井 久 敏
個人アドレス:c62kick@agate.plala.or.jp
携帯:090-7903-7439
*************************************************
さすがに、私は全く対応できなかったが、
まわりの建築家が、何人か応募して、
2人が、第一次審査で落ちたので、
その落選案を、19日の皇居会議の後に、見に行った。
具体的な落選案を2つ見ると、
どのように建築案が作られるのか、
そして何が問題であるかが、前よりも良く分かるようになった。
感じたのは、コールハースが強いわけである。
問題は現実を見る眼であって、
現実を〈21流〉という喜怒哀楽の欲望の渦巻く超越性のない世界と見る、
コールハースの視線が、現実の建築を切り開くのに、
重要なのである。
現実の〈21流〉的な把握と、施主の欲望に垂直に切り込めて、
しかも建築家自身の欲望と、建築の流行へ、
垂直に切り込んでいるかである。
垂直にというのは、
正確な言い方ではないが、
ラカン的には、〈想像界〉で考えていると、
どうしても問題の中心を外れて、
45度の傾斜のついた鏡があって、反射して滑ってしまうのである。
この反射を避けて、
直接に問題に肉薄できるようになる精神的な技術が必要なのである。
かなり現実的に建築というものが分かってきたと思った。
………………………………………………………………………………
【加筆】
現実には一級建築の免状がないと応募できなかった分けだから、
私に応募できるわけではないのだが、
しかし建築というのは、実は、家を具体的に建てるというゼネコン的な意味での
造家の技術ではないのである。
そうではなくて、
現実のシニフィアンの欲望を切り取り、切り込む、そうした方法と、
もう一つ建築という欲望=シニフィエ(脳内リアリティ≒歴史参入の欲望)の提示にあるのである。
申し訳ないけれども、落選案2つには、
この基本的な2つの欲望が、薄いのである。
品が良すぎる。
コールハース的ではないというか、
〈21流〉的ではないのである。
もっと泥臭く、人間の欲動に切り込んでいく下品さと、
そしてもう一つ、脳内リアリティとしての建築史への参入の欲望が欲しい、
翻って、同じ事が美術にも言えるのであって、
そういう意味で、初期の村上隆の欧米の観客の欲望への切り込みは、鋭いと言える。
中国の〈21流〉の下品な美術にも、同じ賞賛が送り得るのである。
感化客の下品な欲望に切り込めないと、
何も始まらないのである。
ただその事だけだと、芸術的には、単に下品な売り絵であり、
何よりもデザイン・ワークでしか無いものになってしまう。
その観客への欲動への切り込みと、
アーティストの芸術への欲望が切り結ばないと面白くないのである。