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教養のすすめ [アート論]

2007年10月23日(火)

アーティストって、何?

アーティストって、けっこう、古くからいるから、
歴史がある。

たとえば、
ヨーロッパの元祖というのは、
ギリシア。

ギリシアの美術家って、知っている?
教養無い人は知らないと思うのだけど、
ギリシアの美術家って、すごいんだよ。

たとえばテオドロス。

テオドロスは、自分の作ったブロンズ像に署名をしているので有名。

このテオドロスは、サモス島のヘラ神殿について論文を書いている。

紀元前5世紀ですが、
ギリシアの美術家は、たくさん著作をしています。

ポリュクレイトスは、『カノン』という本を書いています。
これは人体のプロポーションについての研究書。

画家ティマンテスは、『美術概論』

紀元前4世紀になると、

パンフィロスは、算術や幾何学と美術について、書いています。

エウフラノルは、比例と色彩論。

アペッレスは、独自の芸術論。

メランティオスは、絵画論。

ニキアスは、主題論。

これらは有名なものだけで、
実際には、もっとたくさん書かれている。

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中国にも、たくさんの画家、そして哲学者が、美術論を書いています。
知らないと思うのだけれども、
実際にはあるの。

私が学んだのは、今道友信著『東洋の美学』によって
だけれども。

さて中国の画論で一番大きな影響を受けたのは、
宗炳の『畫山水序』。
ここには東洋遠近法の基本が書かれています。

もう一つ、郭煕(かくき)の『林泉高至』。
ここには三遠法として、東洋遠近画法が完成した姿があります。

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日本の美術家も、執筆をしている。
残っている一番古いものは、雪村。

雪舟、雪村というのが、
日本の美術史の中で、画然と優れているのは、
二人とも教養があるのです。
画家というよりも、禅坊主であって、
学問をしている。

学問なくして、絵画なし。
学問をして、教養が無いと、絵描きにはなれないのです。

私の先生は坂崎乙郎氏ですが、
彼の父君・坂崎担先生が『日本繪畫論大系』(名著普及会 1980年)を編纂しています。

私は持っているので、
次回アトリエに来たら見せます。

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さて、明治以降に文章を書いてきた美術家もたくさんいます。

パリ日本文化会館のマイケル・リュケンは、
日本の「美術家の書いた文章」について論じるという、
めずらし研究をしています。 
その論文は、「日本の画家とその書録」。

マイケル・リュケンがあげている、日本近代美術史の中で重要な文章を残したアーティストは、
次のような人たちです。
 黒田清輝、
 久米圭一郎、
 木下杢太郎、
 石井白亭、
 青木繁、
 有島生馬、
 高村光太郎、
 竹下夢二、 
 斉藤与里、
 萬鉄五郎、
 中村彝、
 須田国太郎、
 岸田劉生、
 中川一政、
 木村荘八、
 古賀春江、
 村山槐多、
 関根正二、
 神原泰、
 村山知義、
 棟方志功、
 滝口修造、
 吉原治良、
 岡本太郎、
 東山魁偉、
 菊畑茂久馬、
 赤瀬川源平、
 横尾忠則、
 草間弥生

 私が補足すると、次のアーティストは、日本の近現代美術史上、
重要な文章のいくつかを、発表しています。
 
東郷青児、
 中原實、
 福沢一郎、
 三岸好太郎、
 オノサトトシノブ(小野里利信)、
 長谷川三郎、
 松本俊介、
 山口勝弘、
 阿部展也、
 北川民次、 
 鶴岡政男、
 池田満寿夫、
 河原温、
 村上三郎、
 吉田稔郎
 白髪一雄、
 工藤哲巳、
 中西夏之、
 荒川修作、
 篠原有司男
 村上華岳、
 小島善三郎、
 堀内正和、
 李禹煥
 菅木志雄
 彦坂尚嘉、
 堀浩哉、
 遠藤利克、
 村上隆、
 会田誠、・・・

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■言語が創造である■

 制作というのを、手工芸の延長で考えるのは、根本的に間違っているのであって、
ギリシアで言えば制作は、ポイエーシスですが、
ギリシアは奴隷社会であったこととこのポイエーシスは、
不可分に結びついているのです。

ですから、思考の順番として、
まず、奴隷制から考えなければならないのです。

奴隷制は、
古代において農業革命が成立して、
古代文明が巨大な姿で現れたときから始まります。

農業というのは、もともと奴隷制なのです。
農奴が、作物をつくっていた。
 
つまり、文明が発生した農業革命というのは、
植物を家畜化して栽培したわけですが、
同様に、動物を家畜にしたのです。
さらに奴隷という形で、
人間を家畜にしたのです。

いわゆる人間疎外というのは、
この《農奴》の発生にあるのです。

農業の誕生が、人間疎外の基本です。

ギリシア文明というのは、
こうした人間家畜化の奴隷制の上に生まれました。

そしてこの奴隷制が生み出した余暇と、
贅沢の上において、
はじめて生まれた文明であったのです。

手を使う仕事は、すべて奴隷がしたわけで、
市民は暇(ひま)になったわけです。

その暇(ひま)という、贅沢(ぜいたく)の上で、
ギリシアの哲学も、ギリシア芸術も生まれのです。

つまり、ヨーロッパ文明の源流のギリシア文明というのは、
人間の奴隷制の上で咲いた花なのです。

ここでの哲学の議論の中で、
制作は、《ポイエーシス》とと呼ばれたのですが、
ここで、制作する手作業は、
奴隷及び奴隷に準ずる階級がやる作業であったのです。

プラトンに擬した対話編『アルキビアデス』のなかで、
建築家と、彫刻家と、靴屋は、
同じ手工的労働者としてひとまとめにされています。
これらは、奴隷に準ずる階級です。

自分も彫刻家の息子であったソクラテスは、
美術家を軽蔑していたのです。

プラトンもアリストテレスも、美術家に低い位置を与え、
詩人や音楽家は芸術家としてあつかったが、
美術家はいれなかったのです。 

プラトンの美の理論では、
視覚芸術は除外されていたのです。

こういう状態に美術家は反撃していったのです。
それが美術家が、本を書いていった、理由の一面です。

それと美術をつくること、
特に絵を描くことが、楽しくて、
遊びだというイメージを作るために、
金の靴をはき、歌を歌いながら絵を描いたというような
パフォーマンスをした者もいました。

ローマ時代に入ると、美術家の位置は、
芸術家の扱いになっているようです。

………………………………………………………………………………
 
ポイエーシスという制作概念というのは、
二重性をとることになることになりました。

つまり手を使ってつくる奴隷と、
この奴隷に命令するプロデューサーです。

椅子をつくる場合、
椅子という概念と機能を言葉で表現して、
その制作を命令するプロデューサーは市民で、
これを奴隷が手を制作するのです。

したがって、このポイエーシスで重要な役割を果たすのが、
言葉なのです。

言語学者のチョムスキーがいうように、
人間の言語能力だけが創造性に満ちているのです。
眼や、手には、創造性はないのです。
言語というのは、
同じことを言うにしても、
常に言い換え、言い直しながら新たな文脈を創造し続ける。
言語活動だけが、創造的なのです。

人間の創造性の基礎というものは、言葉にあるのです。
 
このことは、ギリシアの文化の流れを受け継ぎ、
エンタシスの柱を持つ法隆寺の規模の建築や仏像、
絵画を制作するときの日本の場合においても、
言葉が重要な役割を持ったと考えられます。

だから、次に引用する聖書の言葉にしても、
日本文化の基本にある《言霊信仰》と、
それほどの違いがあるとは思えないのです。

 初めに言(ことば)があった。
 言(ことば)は神と共にあった。
 万物は言(ことば)によって成った。
 成ったもので、言(ことば)によらずに成ったものは何一つなかった。
 言(ことば)の内に命があった。
 命は人間を照らす光であった。光は暗
 闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

 言(ことば)に対する態度が、
日本とキリスト教圏では違うというのは確かですが、
 しかし日本の中でも、実は、「「万物は言(ことば)によって成った」と考える
言霊 信仰があったのです。
 
 だから言葉に対しても、文化によって違う性格はあるにしろ、
日本の価値観の根底にある言霊信仰においても、
創造性は言語にあるのであって、手にあるのではないのです。

手作業というのは、奴隷仕事であって、
知的な仕事ではないのです。

マイケル・リュケンが指摘しているように、
多くの美術家が、芸術論、随筆、小説、詩などを出版しているのです。

また、日記をつけ、メモを残した作家も多く、
それらは没後に刊行され、
こうして書き残されたものは、日本の近代美術について、
第一級の重要性を持った証言になっている事実があるのです。

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■新ー奴隷

先日、女性アーティストと話していたら、
女性が売買されていたことを言われたが、
日本の中にも奴隷売買はあって、
当然に男も売買されていて、
海外にも、日本奴隷は輸出されていたのです。

そうしたことは、普通に岩波新書の本に書かれていることです。
牧英正『人身売買』岩波新書。

さらに興味があれば、
『近代世界と奴隷制—大西洋システムの中で』人文書院、1995年
牧英正『日本法史における人身売買の研究』有斐閣、1961年 
牧英正『近世日本の人身売買の系譜』創文社、1970年

さて、奴隷、および人身売買は、現在でも、
かなりの規模で行われています。

奴隷制度が、非合法化されたのは、
産業革命の結果であったのです。

それは工場労働者を、獲得する必要があって、
鎖で縛る奴隷制を、金銭で縛る賃金奴隷制に変えたからです。

工場労働者というのは、賃金制度による新ー奴隷制度であって、
現在も、奴隷制度は生きているのです。

そういう視点で、アーティストというのを考えないと駄目なのです。

いわゆる造形屋さん的な制作というのは、賃金奴隷の仕事で、
手だけを使っていることが主であるのです。

版画での、刷り師というのも、同様です。

アーティストというのは、
何を作るべきか、考えて、理論化をした人なのです。

村上隆や、ダミアンハースト、アンディ・ウォーホール、
ジェフクーン等々のアーティストが、
自分の手で制作をしないのは、
ギリシア以来のポイエーシスという制作概念にかなっているからです。

制作というのは、自分の手で作るものではないのです。
言葉で考え、執筆することの方が、芸術制作の根幹になるのです。

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■時流の終わった後

私の大学の先輩というのは、関根伸夫氏ですが、
彼はもの派の大スターになるし、環境美術研究所をつくって、
美術を商売にするという意味でも大成功をしますが、
しかし、現在で見れば、その輝かしい過去は、色あせていきます。
それは晩年になった時に、アーティストとして偉大であるかの問題です。
今、晩年につくる作品が良くなければ、作家としての達成として、
落ちるのです。

こういう視点で見ると、
菅木志雄さんも、あぶない。

たとえば辰野登恵子さんでも、大成功をした画家ですが、
今の作品は悪い。

作家が、晩年に作品を良くしていくことは、
極めて難しいのです。

そもそも作家が時流をつかむことが、
短いのです。
美術史で見ると、普通は5年。
長くても5年が、二つで10年です。

10年、時代を取れば、虚名で後、10年、
つまり20年は取れるかもしれないが、
後が難しいのです。

梅原龍三郎はひどい。
須田国太郎ですら、落ちる。
北脇昇もだめ。

岡本太郎も、晩年が名作を作っているとは言えません。
ほとんどゴミと言っていいほど良くありません。

戦後のオノサトトシノブも、斎藤義重も、
菅井汲も、工藤哲己、等々、だれでも良いですが、
晩年、体力が落ちると、作品も落ちます。

そういう眼で見ると、川俣正の晩年も危ない。

海外でも、ピカソは、ひどい。
ココシュカ。
ミロ。
エルンスト。
ポロックも落ちる。
ロスコーの晩年は悪い。
デクーニングも、落ちたと思います(アルツハイマーですが)。
オルデンバーグ。
アンディ・ウォーホールの晩年も良くない。
ペンクも難しい。

これを乗り越えて行くことは、
いかにすれば可能か?
駄目になったアーティストは、
自分が成功すると、それ以上は芸術を追いかけなくなる。

しかし、性懲りもなく探究し続ける巨匠もいます。
晩年いいのは、ミケランジェロ。
プーサン。
葛飾北斎。
モネ。
セザンヌ。
富岡鉄齋。
マティス。
モンドリアン。
アンドレ・マッソン。
デュシャン。
デビッド・スミス。
セラ。

どうすればよいのか?

私の考えでは、
それは手で作るのではなくて、
言葉で、美術を作り続ける。

芸術とは何か?
芸術を学問として、
探究し続けることだと思います。

優れた美術、優れたアーティストを発見し続けて、
学問し続けること。

自分ももちろん制作します。

しかし、
学問としての厳密さを、芸術の中に見ていくこと。

ギリシアの美術家の著作の態度を見れば、
《厳密な学問としての芸術》こそが、
手を使う奴隷仕事を越えた、
アーティストであることの本道であると思います。


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コメント 2

丈

教養(を尊重する態度)はパブリックな場を作るテーブルとなるもので、これがないと街頭で人がすれ違ったりぶつかり合ったりするのと変わらなくなってしまう…と、言って良いかもしれません。山本哲士氏の言い方を敷衍してみました。
http://hospitality.jugem.jp/?day=20071020
by (2007-10-23 13:50) 

hiko

なるほど、そうですね。
この頃の若いアーティストのように、
自分だけの範囲でアートを考えていると、
寿命が短くなるし、
時代を超えていく美術が作れないと思います。
by hiko (2007-10-23 18:30) 

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