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ピカソの「青の時代」 [アート論]

ピカソ青の時代1.jpg
《招魂・カサベスの埋葬》1901年

ピカソ青の時代2.jpg
《セレスティーナ》1904年

ピカソ青の時代3.jpg
《貧者の食事》1903

最初フランス語版で大型のピカソ画集、これはニューヨーク近代美術館の回顧展カタログとして出たものだが、昔に買った。これは良く見た。

最近、日本語版が小型化してTASCHENで出ているのを見つけた。
ピカソ画集2冊組4900円、これはお買い得である。
http://www.oi-bijutsukan.com/item-0702006.html
再度買い直したので、このカタログを使って、名品をリスト化しておく。

■1890〜1898
初期ピカソは、さすがにすべて《8流》《8流》《8流》である。
しかも固体美術で、〈想像界〉の作品である。
ローアート
しかし〈非-実体性〉〈非−合法性〉はある。これはさすがに2代目というか、才能である。

■1898〜1901
パリに出てきても、ロートレックの亜流作品は、《8流》《8流》《8流》である。
同じく〈想像界〉の美術、
しかし液体美術に変わっている。
ローアート

母子像が描かれると、《8流》ではあるが、〈象徴界〉の美術に変わる。
その最初の作品が《花瓶の前の母と子》1901年である。
その下にある《静物》1901年にはセザンヌの影響が見えるが、これも〈象徴界〉の美術。
以後、すべて〈象徴界〉の美術になっている。
これらはハイアートになっている。

こういう変化を見ると、〈象徴界〉の美術の方が、やはり絵画として水準が高くなることが明らかに分かる。それと〈象徴界〉の美術になることと、ハイアートになることが連動しているようである。
もしかすると、この〈象徴界〉の美術=ハイアートという連動が、重要かもしれない。

■青の時代 1901〜1904

ドガの影響が見られる。

2枚の死者の顔を写生した《カサベスの死》1901年夏、さらに《招魂・カサベスの埋葬》から、作品が〈1流〉〈1流〉〈1流〉になっている。〈象徴界〉の美術。液体美術。
この《招魂・カサベスの埋葬》は、以前にグッケンハイム美術館の『1900年展』で見た記憶があるのだが、ピカソの作品らしからぬスタイルの絵だが、非常に印象深い作品。
この作品以後、作品は〈1流〉になっている。カサベスの死に立ち会ったことが、作品の〈格〉を上げているのである。

女性とのセックスを漫画風に描いたドローイング4点は、《6流》《6流》《6流》で、〈想像界〉の作品。しかも実体的な作品である。

《ソレル一家》1903年も〈1流〉〈1流〉〈1流〉。〈象徴界〉の美術、液体美術、〈非−合法性〉〈非−実体性〉がある。

◎《セレスティーナ》1904年という片目の女の肖像から、青の時代の絵画は、
〈超1流〉〈超1流〉〈超1流〉となる。〈想像界〉〈象徴界〉〈現実界〉の3界同時表示、固体・液体・気体の3様態同時表示。
これは名品である。

以下〈超1流〉〈超1流〉〈超1流〉で3界同時表示/3様態同時表示の名品だけを上げていく。

◎《海辺の貧しい人々》1903
◎《セバスティアン・ジュニェル=ピダルの肖像》1903
◎《貧者の食事》1903
◎《酒場の2人の女(酒場の娼婦達)》1902
◎《盲人の食事》1903
◎《人生》1903

青の時代には、名品が多くある。
貧者に視点を当てた社会主義性のある主題が重要な意味を、絵画そのものの〈格〉を上げることに影響を与えたように思える。
〈格〉というのは意識の水準なので、画家がどのように世界と向き合っているのか、その意識の水準そのものの拡大が重要な意味を持つのである。
画家が、自分の作品の内側だけに向かえば、作品は《8流》に転落していく。《8流》から始まったピカソの制作は、最晩年に再び《8流》に転落するのだが、《8流》から〈1流〉に〈格〉を上げるきっかけに《カサベスの死》があり、そして〈超1流〉に〈格〉をあげる主題が、貧者たちを描くことであった。







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コメント 1

コア

画集購入しました。3900円でした。(税込み4100円)
by コア (2008-03-30 20:36) 

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