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シャネルの広告とカール・ラガーフェルドの顔 [デザイン論]

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《41流》性というのが、
《超1流》の反転であるということなのだが、
それはスレイヤーや、成山画廊といった髑髏に象徴される死のイメージだけだと
思うと、大きな間違いである。

典型的なのはシャネルの広告である。
シャネルの広告は、ここに掲載したものすべて《41流》である。
《41流》というものは、決してグロテスクだけではないのである。

しかし、骸骨を使ったおどろおどろしいスレイヤーのイラストが《41流》であるのと、
この美しい美人を使ったシャネルの宣伝写真が、何故に共に《41流》なのであろうか?

基本的な問題は、《41流》領域と言うのは、
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というような《同調性》の領域ではないのである。
赤信号で、みんなが横断歩道を渡っているところをダンプカーが突っ込んで、
30人が死傷したという様な状況が、《41流》という領域である。
しかも、ダンプカーを運転していたのは女性で、それが絶世の美人であったというお話なのである。

つまり、みんなで群れている羊の群れの《同調性》を蹴散らしてしまう領域が、
《41流》の世界なのである。

それはシャネルのバックを持ち、ハイヒールを履き、
シャネルのスーツで身を固めて、ニューヨークの5番街を闊歩する《1流》美人は、
羊の群れに群れる《同調性》からは、
自分を切り離して、
別の、優越性の領域にたっている事を意味する。

この《同調性》から身を切り離す行為は、
実は戦争行為であり、
そして自己権力の確立の問題なのである。

自己権力を確立する領域が《41流》の領域であり、
同時に《同調性》から身を切り離したが故に、
多くの人々に取り囲まれ、袋だたきに遭い、
生け贄として殺される領域が《41流》の場なのである。

マリーアントワネットが、断頭台でギロチンによって首を落とされるとき、
それを見て熱狂した人々こそが《同調性》によって動く民衆であった。
民衆もまた《41流》の生け贄の世界に熱狂するのである。
そういう訳で、マリーアントワネットの美しさと死が、
同じ《41流》で、
同時表示される。

シャネルの美しさは、《41流》性の死の領域をも含み込む過激さにある。
ファッッション・ショーも、見事に《41流》《41流》《41流》である。
http://www.chanel.com/fashion-live/13#13-ready-to-wear-spring-summer-2008-chanel-fashion-show-4,0

それと間違えてはいけないのは、
シャネルの広告は《41流》だが、
シャネル本体の製品は《超1流》である事である。

シャネルは《超1流》と、《41流》を実にうまく組み合わせているのである。

シャネル(CHANEL)は、
ココ・シャネル(1883年〜 1971年)が興したファッションブランド。
「古い価値観にとらわれない女性像」がブランドポリシーと言う事からも分かる様に、
攻撃性のあるブランドなのである。

しかし言うまでもなく、
これらは実体的であるから、エンターテイメントである。
そして合法的である故に、芸術ではなくて、デザインである。


現在のデザイナーなカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld、1938〜 )である。

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カール・ラガーフェルド自身が、
大変な人物で、そのスタイルは《41流》《41流》《41流》で決めている。

正確には、もう少し複雑である。
《41流》《41流》《41流》
《超1流》《超1流》《超1流》
《1流》《1流》《1流》
《2流》《2流》《2流》
という重層的な同時表示である。

まあ、たいしたものである。

しかし、あくまでもデザイン的エンターテイメントである。











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