SSブログ

マキイの花展と清水誠一の花の絵画 [アート論]

マキイ1.jpg
笠原出

マキイ2.jpg
宮永ゆみ

マキイ3.jpg
山部泰司

古巻和芳
古巻さんからグループ展の画像削除の要請が来ています。(オ
レンジ色のもの)
ということで、削除しました。


マキイマサルファインアーツで、白濱雅也さんの企画の花の展覧会が開かれて、
見に行った。

嗤う花、コスモスの如き花、石化した花、黄金の花・・・
普遍的な「花」に向う作家たちの独自の切り口は、
人と自然の<親密で不自然な>関わりを映し出している。
共生と寄生の危うい境界。
                     コーディネート:白濱雅也
http://www.makiimasaru.com/mmfa/index.html

出品者の中で、知り合いは山部泰治さん。
1980年代、花をモチーフにした作品で注目を集める。
フジヤマゲイシャと言う企画で関西ニューウエーブの中心的作家のひとり。
現在の花の絵の上に金箔を貼った作品は、既に見ている仕事だが、
《41流》《41流》《41流》になっていて、驚いた。
壮絶である。
《41流》《41流》《41流》というと、スレイヤーでるから、
そうとうなものである。
《超1流》《超1流》《超1流》性もあって、
良いのだが、惜しむらくは《1流》が欠けている。

やはり《1流》というのは、
芸術の基本的な性格であって、
これが取れる様になると完全な仕事になるだけに、
惜しいと思った。
《1流》性が加われば、大作家になるだろう。

もう一人知っているのが、
笠原出。
スタジオ食堂のメンバーだった。

この人の花も31流で驚いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後の2人は、知らないアーティスト。

一人は花のクローズアップで、
もう一人は石彫で花を作る人。
私には両方とも凡庸に見えた。

花の絵は、昔から描かれているし、
売り絵の基本なので、難しい。
良いものが少ないのである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

残念だったのは、
清水誠一さんの花の絵が抜けている事。

清水誠一さんも還暦を過ぎた作家なので、
選びにくかったのだろう。
ここで清水さんの《41流》の花を紹介しておく。
清水誠一1.jpg

清水誠一2.jpg

清水誠一3.jpg

清水誠一4.jpg

清水誠一5.jpg

彦坂尚嘉のアートの格付けで言うと、
清水誠一の花の絵画は、すばらしい重層性を持っている。

《超1流》常識の外の領域
《1流》社会的理性の領域
《2流》技術の領域
《3流》ポップスの領域
《4流》不条理の領域
《5流》良品の領域
《6流》自然領域
《8流》信仰領域
《11流》流行/交通領域
《21流》喜怒哀楽の領域
《31流》犯罪領域
《41流》戦争・生け贄の領域

そして3界同時表示。
3様態同時表示である。
非実体性もあるし、
非合法性もある。
ハイアートである。

すごいものであると思う。

欠点を言えば、

情報化社会の芸術ではない。
それはしかし仕方が無いのではないだろうか。

現代美術ではない。
現代アートでもない。
近代美術である。

描写美術である。
創造的ではない。
新しくはない。
シリアスアートではない。
気晴らしアートである。

そういう意味では会田誠さんに通じるものを持っている。

笠原出さんも、古巻和芳さんも、宮永ゆみさんも、
描写作品で、
彼らのもものは、現代アートなのだろうか?
彦坂流の言語判定法での判断では、現代アートでも、
現代美術でもない。

山部さんのは現代美術と言えるようである。

では、何なのだろうか?
彦坂流には、
笠原出さんと古巻和芳さん、そして宮永ゆみさんのは、
《現代デザイン・エンターテイメント》である。

もっとも今日では《現代デザイン・エンターテイメント》のことを、
社会的には現代アートであると了解しているので、
現代アートであると、社会的には扱われるだろう。


 










コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。