SSブログ

清水誠一論(3) [アート論]

壁の向こうセザンヌの絵1974***.jpg

清水誠一の「壁の向こうのベットの上のセザンヌの絵」である。
1974年 インスタレーション ときわ画廊

ここには1970年代半ばの問題が良く現れている。

想像界の眼で《8流》
象徴界の眼で《8流》
現実界の眼で《8流》

典型的な《8流》美術で、
いわゆる前衛作品には、《8流》ものが多いのである。

想像界の眼で、実体的、合法的なので《デザイン的エンターテイメント》
象徴界の眼で、非実体的で、非合法的なので《芸術的芸術》
現実界の眼で、非実体的で、合法的なので《芸術的エンターテイメント》

液体美術(≒近代美術)
《現実界》の美術
《きばらしアート》
《ハイアート》
《創造的作品》


 清水誠一10.jpg

もうひとつ、同様の作品を翌年に作っている。
Installation-A River Flowing No.2 川の流れる風景 1975 

想像界の眼で《6流》
象徴界の眼で《6流》
現実界の眼で《6流》

典型的な《6流》美術で、
いわゆる現代美術には、《6流》ものも多かったのである。

想像界の眼で、非体的、非合法的なので《芸術的芸術》
象徴界の眼で、非実体的で、非合法的なので《芸術的芸術》
現実界の眼で、非実体的で、合法的なので《芸術的芸術》

液体美術(≒近代美術)
《現実界》の美術
《きばらしアート》
《ハイアート》
《創造的ではない》

モダニズムの到達点と言うのは、
表現を、《現実界》に還元して行く事であった。

何故に、そうなるかと言うのも難しい事であるが、
モダンアートの出現が、
産業革命と密接に結びついていたからである。
産業革命が作り出すのは物質文明であった。

物質文明の中で、美術もまた物質化していった。
物質化して《現実界》に還元されてしまうと、
それまでの表現を成立させていた《想像界》や《象徴界》は行き場を失った。

今の私が、三界同時表示にこだわるのは、
統合して行く事で、
この解体状況に抗して行こうとしているからである。

それは解体に身をゆだねる、
マイクロポップ化とは、路線が違うと言う事である。

1970年代の美術の出発が、
絵画が描き得なくなっている状況への反発で始まるのも、
芸術が《現実界》に還元されてしまったどん詰まりからの、
反転の模索であった。

それに、すべてが物質へと還元されていったの背後には、
ベトナム戦争があった。
20世紀の歴史の中で、
戦争は、大きな影響を与え、
戦争が世界を《現実界》に浸す大きな役割をした。

清水誠一の、この1970年代半ばの作品は、
作品そのものの物質化、インスタレーション化と、
同時に行き場を失った絵画を、
何とか《現実界》の中で蘇らそうとする試みの作品であった。

インスタレーションの作品は多くあったが、
これほど明確にセザンヌに象徴される絵画への回帰性を示す、
インスタレーション作品は、
清水誠一以外にはなかった。
その意味で独自性の高い作品と言える。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

蒸気機関による産業革命の進展と、
写真の感光材料の出現は、ほぼ同時であって、
産業革命は同時に写真革命であった。

写真革命は、
同時にそれまでのヨーロッパ絵画の生命線を断つ動きであった。
西洋画家の仕事の多くは、
肖像画であり、
それはカメラの前に客を座らせ、
後ろの箱形カメラの磨りガラスに映る客の像をトレースして、
キャンバスに移して絵を描くと言う、
手描き写真の絵画であった。
だから感光材料の出現は、
ルネッサンス以来の手描き写真としての絵画の基本を、
突き崩すものであった。

写真が出現して、
絵描きは失業したのである。
つまり感光材料が出現すると、
絵描きがいなくても、肖像画像は作れる様になったのからである。

この時、
美術家は、手描きで写真を描く事から決別する道を選ぶ。

だから今、手で写真の様に描く絵画が、反動的に見えるのは、
そのせいである。

会田誠さんのように、写真を見て、
漫画の様に描くのは、
可能なのであるが、
写真を見て、写真の様に描くのは、
美術の歴史性から言っても、
まずいのである。

CGをもとにして、
CGのように手描きで描く事は可能なので、
せめてそちらにシフトして欲しいと思う。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、モダンアートは、
絵画を別の理論で描き出すと言う、
ロゴスの戦いを展開する。

様々なイズムの出現は、
絵画を成立させる論理の確立の戦いあであって、
いくつもの理論が立ち上げられて行った。

その結果が、《現実界》の美術への還元であった。
ここにおいてモダンアートは終焉したのである。
これ以上のロゴスを成立させられなくなったのである。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

次は、情報革命が起きた。

時代も変わったのである。
情報文明の時代になった。

情報文明には、
美術は情報に還元されていると言う様相をとった。

情報への還元と言うのは、
表現がシニフィエ化する事であった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

おそらく、この2つの文明の端境期に、
清水誠一の作品展開は、あった。

そこでは作品の物質化への還元の動きと、
作品の情報化への還元の動きが、
同時に出現していたのである。

つまり美術作品を、
物質への還元であると同時に、
情報への還元であるような、
両義性を持つものとして、
作り出そうとする。

しかしこの路線を徹底的に進めるのは、
かならずしも、清水誠一ではなかったのだが、
少なくとも、誰よりも早い作家のだったのである。







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。