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ココ・シャネルの顔(加筆1) [新・美人論]

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上の画像の右がココ・シャネル。

ココ・シャネル(C1883年〜1971年)は、
フランス南西部オーベルニュ地方ソミュールの、
救済病院で生まれる。

■孤児院

12歳の誕生日を迎える前に母親が他界、
父に捨てられ、
孤児院や修道院で育つ。

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■ココ

ココ」は愛称で、歌手を志してキャバレーで歌っていた"Ko Ko Ri Ko"(コケコッコウ)と、"Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero"(トロカデロでココを見たのはだれ?)という歌の題名にちなんでつけられたもの。

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■開業

孤児院を出た後、
田舎町ムーランでお針子として働いていたという出自がすべてを決定している。
『はじめにすべてありき』なのである。
退屈しのぎで制作していた帽子のデザインが、
認められ、
1909年、マルゼルブ大通り160番地で、帽子のアトリエを開業する。

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■最愛の人の喪失

1910年、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で帽子専門店を開店。
一生涯愛す人物となる英国人青年実業家アーサー・カペルとの交際をはじめる。
カンボン通りの店はアーサーの助力によるもの。
1919年、アーサー・カペルは事故死してしまう。

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■新素材の開発

1914年、第一次世界大戦が開戦。その翌年、戦時中の
1915年、ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープン。
翌年コレクションを発表し大成功を収める。
ジャージー素材を取り入れたドレスが話題となる。

その後、シャネル・スーツとして発表されるスーツの原型がつくられ、
ロシアの詩人だったイリア・ズダネヴィッチが、工場長を務める間、
31-34年にツイード生地の開発に取り組んだ。

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■合成香料入りの、シャネルの香水「No.5」

1921年、前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、
シャネル初の香水「No.5」を発表。

ルネスト・ボーは、NO.1〜NO.5とNO.20〜NO.24までの,試作品2シリーズを調香。
ココ・シャネルが選んだのがNO.5。
発表の日も5月5日と「5」にこだわった。 

シャネルNO.5」は伝統的な、天然香料のみの香水と違い,
世界で一番最初に合成香料を使用した香水だった。


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■模造宝石

1924年、るウェストミンスター公爵と出会う。
彼から多くもらった宝石類から着想を得た、模造宝石を使ったジュエリーを発表。

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■引退

1939年、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、
労働者側がストライキを敢行。
ココはあっさりビジネスを閉鎖、引退、
以後15年間ファッション界では沈黙を守る。

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■ナチスの愛人

第二次世界大戦中の1940年にフランスがアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍に占領された際に、
シャネルはドイツ軍将校と愛人関係を結び、愛人の庇護の下自堕落な生活を送った。
現在でもシャネルを「ナチスに魂を売った売国奴」として嫌うフランス人がいる。

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■カンバック

1954年、沈黙を破り、ファッション界へカムバックを果たす。
ウーマンリブによって女性の社会進出がめざましいアメリカで熱狂的に受け入れられる。

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■死、そしてフランスからの追放

1971年、住居としていたパリのヴァンドーム広場を望む、ホテル・リッツにて、
コレクションの準備中に87歳で亡くなる。
亡骸は第二次世界大戦中のフランスへの裏切り行為によって高級墓地への埋葬を拒否され、
第二次世界大戦後に亡命生活を送っていたスイスのローザンヌの墓地に埋葬される。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ココ・シャネルの顔である。

《現実判定法》で、《超1流》。
《イメージ判定法》で、《1流》。
《言語判定法》で、《3流》。

《3流》というのは、ポップ、娯楽の領域。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《想像界》と《現実界》の人。
《象徴界》が無い人。

ナチスの愛人になったことが、《象徴界》の欠如の結果である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気体人間。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シャネルの凄さは、《現実界》が《超1流》で、
しかも近代の液体の時代に、
気体人間であった事だろう。

20世紀前半の近代は、
科学の時代であって、それは《現実界》の時代である事を意味するのだが、
それに彼女の人格の《現実界》の《超1流》性がフィットしたのである。
次々に人工香料や、ジャージなどの新素材、そして模造宝石を使った、
新しい商品を生み出す。
単なるデザインではないのだ。
伝統的な視点であれば偽物、まがい物、フェイクである商品を開発したのである。

そしてデザイン面では、
ジャージー素材で、コルセットを外し、
体を自由に動かす機能性を重視した服を始めて作ったのはココだった。

近代の女性差別制度であるジェンダリズムを超える女性解放の志向を強く持ったのは、
彼女の気体人間性であったからである。

気体人間というのは、
それは脱ー近代の人間タイプであったのである。

つまり近代の《現実界》性と、
脱ー近代の気体人間性という2重性が、
ココの過激で華麗なファッションの開発力を作動させて行った。

そして《象徴界》性の欠如が、
ある意味でブレーキを欠いた自動車のような動きを生んだと思う。
多くの男との出会いを、デザイン開発へと転化して行く力は、
単なる性的な放蕩ではなかった。

きまぐれ、あるいは粘着性の欠如とも言える15年間の沈黙も、ナチスの愛人も、
この《象徴界》性の欠如のなせるものであった。

それは同時に、
《象徴界》を排除して作動した20世紀という時代の、
構造であった。
それが2度にわたる世界大戦をひきおこす。

ココ・シャネルは、この2つの世界大戦を生きた人であった。


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コメント 4

なな

ホント助かります!!
by なな (2009-07-07 23:29) 

NO NAME

不屈の精神をもつココシャネル。ファションとしてではなく人間の生き方として魅力を感じる存在でもある。今の時代に生きていたら彼女は何で自由と愛を表現したであろうか。肉体の開放から心の開放へと人間は進む。自分の心で感じた事を表現してこそ生きていると言う実感もあるのだと思う。心は感じる器官でもある。

by NO NAME (2010-08-14 15:43) 

やま

ココ・シャネルの自伝なんか見ると20世紀の独裁者的な一生を送ってるように見受けられるでしょう。修道院に不本意ながら入れられた幼少期を過ごして、それをバネに絶対一人立ちするという強烈な意思をもって、ファッション界に君臨するまでに至ったといいます。スターリンも不遇な幼少期でしたし、両者とも貪欲な読書家でした。独裁者の共通点を挙げたらキリがないが。
しかし、ナチ親衛隊のスパッツを愛人にした事に関しては、象徴界の欠如の結果とあるが、何をもって象徴界の欠如の結果なのか?シャネルは、その事に関して、恋人を国籍でやパスポートで選ぶのか?と言ったニュアンスの事を言っています。
相手の仕事内容ではなく、相手そのものに惚れる事、当たり前の事をシャネルはしたに過ぎない。
この例えは正鵠を得ないかも知れないが、私は、共産主義が大嫌いでロシアも白眼視しているけど、ロシア人と付き合ったことあるし今でも仲良く、ロシアの芸術は大好きです(共産主義のプロパガンダ音楽でも美しいと思います)私も女性と出会い今の生活に転化していく力は性的放蕩でなく、気まぐれ、粘着性の欠如は象徴界の欠如した人間でしょうね。(シャネルは沈黙ではなく、引退してましたから。)
人は坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的な一種の偏見をするのでしょう。少なくとも、そう考える人は、理屈抜きにおめでたい人か、可哀想な人と考えるのが妥当でしょう
ではナチスが勝利していたら果たして、象徴性の欠如などと言えるのでしょうか?
by やま (2011-02-13 02:20) 

男なら

レスありがとう。詳細はこれです(´-ω-)★ http://www.l7i7.com/
by 男なら (2012-01-04 22:44) 

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