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吉永小百合の顔(前半) [新・美人論]



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吉永小百合の顔である。言うまでもなく、私の世代はこの女優に魅了されて来ている。
ブロマイドが爆発的に売れたのである。1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、
1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に輝いている。

しかし吉永小百合は美人なのだろうか?

《想像界》の眼で、《3流》美人。
《象徴界》の眼で、《2流》美人。
《現実界》の眼で、《1流》美人。

なかなか難しい美人であって、《現実界》で《1流》というのは,美人という事なのだ
が、ふくみのある少女といえるのだろうか。

《想像界》で《3流》というところでは、《3流》というのがポップスであり、
コミュニケーションの領域なので、そういう力があると言える。

《象徴界》が《2流》というのは、《2流》は技術領域だから、
役者としての才能を現している。

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純粋無垢の少女と言ったものではなくて、《想像界》の《3流》性と言うポップス的な
部分は、かなりの媚びの力を示している。上の写真の瞳にある、強い媚びの力は、
気になる。瞳の奥の奥に、分からない何かを感じる。

ただの《1流》美人少女ではなくて、《象徴界》の《2流》という技術領域の高い女優
なのである。巧いのだ。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ女優。
絶対零度/固体/液体/気体の4様態を持つ女優。
もう一度、3界での女優性を《言語判定法》で分析してみる。

想像界》の眼
実体的で、合法だから、デザイン的エンターテイメント女優であって、
芸術的女優ではない。

《象徴界》の眼
非実体性があって、非合法性もある、
さらに《退化性》もあるので、
真性の芸術的女優

《現実界》の眼
非合法性があって、非実体性もあり、
《退化性》もある、
真性の芸術的女優

なかなかすごい芸術的女優であって、単なるアイドルではなかったのである。

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吉永小百合は、本名:岡田小百合(おかだ さゆり)で、
1945年3月13日-に、東京都渋谷区代々木西原町に生まれている。
私は1946年生まれなので、一歳年下である。
吉永小百合は、年齢的に一歳上なのである。

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1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の
連続ラジオドラマ赤胴鈴之助』でデビューする。このラジオドラマは、私は聞いてい
た。冒頭の赤胴鈴之助だぁああ」という叫び声を、今も覚えている。

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この写真が、一番若い子供の時である。
左が吉永小百合である。
その連続ラジオドラマ赤胴鈴之助』の収録写真である。

1959年(昭和34年) - 『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
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1959年、映画デビューの『朝を呼ぶ口笛』の、14歳の吉永小百合の写真である

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ん中の少女が吉永小百合。この「まぼろし探偵」も1959年である。
「まぼろし探偵」は桑田次郎の原作で、少年画報に連載された。
これも読んでいた。私はこの桑田次郎が好きであった。
桑田 二郎1935年〜、旧:桑田次郎)の代表作は、
まぼろし探偵』、『月光仮面』、『8マン』 などであった。
描線の美しさは手塚治虫と双璧と言われて、どれも心に残る漫画であった。

1960年(昭和35年)、吉永小百合は 東京都立駒場高等学校入学。
実は、この都立駒場高校は、私の母校でもある。が入学するのは、1963年である。
吉永小百合の妹が、同じ高校に来ていたのである。
吉永小百合は1961年(昭和36年) - 精華学園女子高等学校(現 東海大学付属望洋高等学校)転入学。

1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演。
もちろんこの映画は当時、劇場で見ている。

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「キューポラのある町」は、単に吉永小百合の映画と言うものだけではなくて、
浦山桐郎監督のデビュー作である。浦山桐郎は、吉永小百合や大竹しのぶを育て上げ、
「女優育ての名手」と言われた。吉永小百合主演では、夢千代日記(1985年)も撮影して
いる監督なのである。
この「キューポラのある町」で第3回日本映画監督協会新人賞を受賞した。さらにブルー
リボン賞作品賞受賞している。吉永小百合もブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。

同じ1962年、吉永小百合は寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒットを飛ば
す。作詞:佐伯孝夫、作・編曲:吉田正、歌:吉永小百合/和田弘とマヒナスターズ
吉永小百合は、作曲家の吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを出している。

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「寒い朝」は良い歌であったが、このジャケットの顔写真の眼の強
さは、並の者ではない。眼が強過ぎる。この強い表出力が、どこから生まれて来た
のか? それは謎ではないのか?
さらに橋幸夫とデュエットし30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で
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以下、画像は順不同です。
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いる。同博覧会開催の数年前に、この歌が初めてマスコミに発表された時も
三波春夫ではなく吉永がその場で歌っているというのである。三波春夫の曲と思われがち
だが、実は吉永小百合のオリジナルソングであったのである。

さて、次の写真を見て欲しい。一番美しかったと言われる時期のものである。
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彦坂尚嘉の格付けでは、
《想像界》の眼で、《超1流》
《象徴界》の眼で、《超1流》
《現実界》の眼で、《1流》

吉永小百合は、《超1流》の美人女優へと、
成長していたのである。

吉永小百合は、向学心のある努力の人であった。
俳優業多忙の為、精華学園女子は中退していたために、
1965年(昭和40年) 大学入学資格検定を取得して、
早稲田大学第二文学部(夜間部)史学科西洋史専修に入学する。
しかも1969年(昭和44年) 早稲田大学第二文学部(夜間部)を正規の4年間、
しかも次席で卒業したのである。
早稲田大学での卒業論文のテーマは、
アテネ(アテナイ)の民主制について」であった。

こうした知的努力が、
彼女の美しさを《超1流》の美人へと変貌させたと言えるのである。

この『戦争の人間』の時期が、《超1流》の美人であったのである。

戦争と人間』(せんそうとにんげん)は、
1970年1973年に公開された三部作の日本映画
五味川純平の同名大河小説『戦争と人間』の映画化作品で、
日本映画史上最大の9時間23分にわたる
日活配給による戦争大河超大作であったのだが、
私は、不勉強で見ていない。
今回勉強して、これは見たいと思う。

  • 第一部「運命の序曲」 1970年
  • 第二部「愛と悲しみの山河」 1971年
  • 第三部「完結編」 1973年

とあって、吉永小百合が出ているのは、第二部・第三部である。
この一番美しい《超1流》の美人の時期である1973年からが、
同時に吉永小百合のスランプの時期になるのである。

1973年(昭和48年) - フジテレビ岡田太郎ディレクター
と結婚するのだが、それが15歳差だった。

吉永小百合の出自や、家庭環境については分からない。
小学生6年生で、
ラジオドラマでデビューしているということの理由も分からないが、
もしかすると、家庭が貧しくてお金を稼ぐ必要があったのかもしれない。

そしてまた15歳年上の岡田太郎と結婚するということの中に、
何か、家族関係の中に影があったのかもしれない。

さらにこの結婚に、両親が反対したという事にも、
何か不審なものを感じるのは、私だけであろうか?

吉永小百合の背後の家庭環境には、
闇や、不幸があったのではないのか?

結婚相手が15歳も年上で、役柄のイメージに合わず、
結婚に反対する両親との仲違いも報道され、
吉永小百合の女優としての活躍の場が激減するのである。

吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は、
結婚によって壊れてしまう。

しかしそれは『戦争と人間』で、
《超1流》の美人女優と言う高みに達したが故の、
ニーチェ的意味での、没落であった言うべきではないのか。

真性の吉永小百合の頂点は、
凡夫のサユリストたちを超えて、
ここにあったのである。

(つづく)

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謎の村石太&だぼはぜ

画像で 吉永小百合を 拝見して ランダムにプログになっていると コメント中です。小百合ちゃん 可愛いですね。動画で愛と死をみつめて、映画予告 キューポラのある街 他を 見ています。
私の時代は 飛び出せ青春 俺たちシリーズ の時代かナァ
世界的 歴史的 美女を探す会(名前検討中 アイドル研究会(名前検討中
by 謎の村石太&だぼはぜ (2012-05-16 14:24) 

とんちゃん

ある程度の事情は、吉永小百合さんの自伝からわかります。 経済的に家族が彼女の収入に頼っていたときもあったそうです。 また、食べる米がなくなったといったことも書いてあります。

彼女が弱い人達に同情的な行動をされることも、こうした背景があるからだとおもいます。
by とんちゃん (2012-06-25 10:09) 

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