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《現実界》の眼の優位性(加筆1) [アート論]

先日のブログで分析した様に、
村上隆の作品が、《現実界》の眼で見ると、
フロイト的な意味での《退化性》があり、
非合法性も、非実体性もあって、真性の芸術であると言えます。

同様なことは、ダミアンハーストにも言えます。

20年、彼らが優位性を保ってる事を含めて、
芸術が、《現実界》の眼で判断される時代に、
すでになっていることを認めなければならないと思うのです。

しかし《現実界》だけで、真性の芸術であって、
他の《想像界》《象徴界》はデザイン的エンターテイメントであって、
良いものなのでしょうか。

写楽と豊国の争いで、豊国が勝っているにしても、後から美術史的には写楽が圧倒的にすぐれていて、豊国はデザイン的なエンターテイメントでしかなく、つまらないという実例が示している様に、現実の社会の中での勝ち負けと、美術史の中での評価は、食い違う事があるのは、確かなのです。

ダミアンハーストや村上隆が、現実の社会の中で20年近く評価を保っている事は無視できない事ではありますが、そのことと美学的な作品内容の評価は、別の問題なのです。

個人的には、私は3界が真性の芸術である作品を評価はします。

ピカソや、マティスの作品をチェックしてみましたが、
3界で真性の芸術でありました。
ですからダミアンハーストや、村上隆は、マティスやピカソのクラスの芸術家ではなくて、1/3だけの芸術家なのです。

(つづきを加筆する予定です)

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