SSブログ

作品の複数性(3)芸術基盤の遷移 [歴史/状況論]

作品の複数性(3)芸術基盤の遷移

◆◆1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

映画の複数性というと、
同じフイルムがプリントされて、
いろいろな映画館で上映されると言う複数性の問題があります。
マスメディアなのです。

そしてもう一つ、
シリーズで、繰り返すという複数性の問題があります。

『2001年宇宙の旅』や『アイズ ワイド シャット』で有名な
スタンリー・キューブリック(1928〜1999年)は、
監督のみならず映画製作全般の掌握にこだわった「完全主義者」で、
作品を繰り返すシリーズ制作をしませんでした。

キューブリックの反対で、
映画をシリーズで作品を繰り返す監督というのは、
何人もいますが、
たとえば日本映画の代表的なものとなった山田洋次監督がいます。
『男はつらいよ』は、48本と特別編1本と言う、
ギネスブック国際版に認定されている
世界最長の映画シリーズとなっています。

今回はキューブリックについて考えるのではなくて、
山田洋次監督の様なシリーズ制作の複数性とは、何故に可能なのか?
そしてその意味することが何であるのか?
ということを考えてみたく思います。
そこに深い意味があるように思います。
結論を先に言えば、
そういう同じものをつくることが、
文明そのものの基本構造と、私は考えます。

◆◆2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

寅さんシリーズにしろ、
水戸黄門や、『大岡越前』のように、
定番の変化しないものを求める気持ちというのは、
実は文明の基本構造として潜在していると考えられます。

その基本はエジプト美術であって、
プロポーションを固定して、
エジプトの人物像というのは5000年間、
同じ様なものが制作され続けたのです。
これは、文明人は変化を嫌う心性を持っているということに
深く関わっています。

こういうエジプト美術の変化の無さというのが、
文明の基本構造であって、
そうした基本構造の性格が、
彦坂節で大げさに言えば、
寅さんシリーズなどに出現してくるのです。

エジプトと日本は関係がないよ、と言われるかもしれませんが、
エジプトは、実は日本と深い関係があります。
たとえば、茄子(なす)は、エジプトから来た野菜です。
その茄子の花は、エキゾチックで、大変に美しいものです。

それから尺八という縦笛は、エジプトから来たものです。

それから国技と言われる相撲は、エジプトから来たものです。

さらに日本で大工さんが使うスコヤという直角定規がありますが、
あれはエジプトから来たものです。

そもそも、直角というもの自体がエジプトから来たものです。

さらに日本の建築の基準比率はルート2ですが、
このルート2というのは、エジプトから来たものです。

そして日本の和歌というのは、57577ですが、
この5と7の関係は、1.4であり、
これはルート2の比率なのです。
つまり和歌のリズムは、ルート2であり、
そしてルート2自体が、エジプトからの伝播であったのです。

こうして、ですから日本文化の基底というのは、
エジプト文明と深く関わっているのです。
そもそも定着して農業をするという農業革命そのものが、
エジプトのナイル川河岸で始まって、
日本の稲作農業の始まりにまで、伝播して来ているのです。

もっと言えば、人間というものの発生が、
エジプトのあるアフリカ大陸であって、
日本人の祖先はアフリカから来た血の流れなのです。

ですから、寅さんシリーズや、
水戸黄門や大岡越前のシリーズの定番性に、
エジプト美術の定番性と同じ文明の力学を見るという事は、
あり得ないことではないのです。

繰り返せば、文明の基本は、
エジプト美術の5000年間の無変化のメカニズムを持っているのです。
そこでは、同じ美術作品が生産されていた様に、
私たちの美術作品の制作というものも、
実は、同じものを作り続けるということが、
基本なのであります。

◆◆3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この場合、では、文明の固定制と反対の変化するものとは、
何であるのかと言うと、それは自然であったのです。
自然というのは、変化し続けるのです。

農業が大変なのは、天候が、毎年変わるからです。
自然というのは変化し続けるものであり、
事実、自然の山などの植生は動いて行くのです。

そういう意味では、
矛盾する言い方ですが、
今日の技術革新は、実は自然性ではないのか?
という常識を転倒させた見方が出来ます。

植生というのは、陸地のある場所に生育している植物の集団のことです。
この植物集団は、自然に任せておくと非周期的に変化して行きます。
野原に草が伸び、そのうちに木が生えて、
いつの間にか森林になるというような変化が起きて行くのです。
こうして自然は変化し続けます。

私たちがここ約20年体験して来た時代変化も、
こうした植生の変化として見る事ができないでしょうか?

1991年からインターネットが登場し、
そしてソヴィエトが壊れて、
グローバルな世界が、突如として出現したのです。
これはまったく、新しい時代の始まりでした。
歴史の切断であり、
新しい溶岩の噴出による、溶岩流であって、
黒々とした岩盤の出現であったのです。
この1991年から、新しい時代が始まったと考えるべきではないでしょうか?

植物が、ある土地で生育することによって、その土地の環境が変化してしまいます。
その環境変化が主な原因となって、
時とともに場所の環境が変化して行く現象が進んで行きます。
これを植生遷移とい言います。

芸術の世界に起きている根本的な変化を、
この植生遷移のアナロジー(類推)で見て行く事を、試みてみたいと思います。

たとえば全く生物を含まない岩盤の土地が出来たとします。それは溶岩流や氷河の侵食によって作られた裸形の土地です。こういう岩盤のくぼみや裂け目に、雨や風で風化が起きて、岩石表面そのものが徐々に砕けていったり、風雨によって運ばれた砂埃や砂礫が堆積して、土壌を形成して行きます。この土壌がまず生まれないと、植物が定着できません。なぜなら土壌が、保水力を持っていて、この保水力のある土壌によって植物は生育して行くからです。したがって、この土壌の形成ということが、最初の大きな環境変化であるのです。「初めにすべてあり」という原則から言えば、この保水力、つまり水分を持っていられる土壌という柔らかで、細かい粒子の集積物が必要なのです。

この土壌の上に、コケ類や地衣類の胞子が風雨によって運ばれるて来るのです。コケ類は、岩のくぼみのようなところを中心に、生えて来て、繁盛して行きます。苔や地衣類の生育による有機物の蓄積によって、少しずつ土壌が成熟して行きます。そしてこうした土壌には、土壌微生物も出現してきます。

ある程度の量の土壌が蓄積してくると、草が侵入することができるようになるのです。最初は一年性の草本が中心になるのですが、しだいに年を追って多年性の草本が量を増やしていきます。そして次第に背の高い草原となるのです。草の根は苔より深くまで岩に侵入し、砂礫と土壌の層は厚くなっていきます。土壌中には、ミミズなどの土壌動物も姿を見せるようになり、陸上には昆虫や鳥も侵入してくるようになるのです。

こうしたコケ類や草本が生えて来ている状態が、
松井みどりさんがマイクロ・ポップと呼んだ状態なのだという見方ができないでしょうか?

つまり彦坂尚嘉の歴史観でいうと、1975年と、1991年の2回で、
近代というのが終わったのです。
これについてはすでに別の所で書いているので、
ここでは繰り返さないでおきます。

分かりやすく言えば、1991年のソヴィエの崩壊と、
インターネットの登場(WWW)で、
まったく新しい時代になった。
ちょうど明治維新のようなもので、
農業社会から、産業社会に変わった。
汽車が走るようになって、根本的な秩序が変わったのです。

こういう大変化があると、
岩盤がむき出しの土地が現れたようなもので、
保水力のある土壌の形成から始めなければならない。
村上隆や、特に奈良美智の登場というのは、
こうした新しい時代における美術ではなかったのか?

そして彦坂尚嘉や清水誠一のような古い時代のアーティストというのは、
明治維新で侍の時代が終わって、髷(まげ)を切られ、刀を取り上げられて、
しかも 扶持(ふち)も禄米も取り上げられて、
居場所を失った不平士族のようなものであります。
不平士族が、自由民権運動を展開して行くわけですが、
このブログも、そういう不平芸術家による自由芸術運動であるのです。
そういう可能性としては、富岡鉄斎の登場というのが、
明治以降の一つの不平芸術家の台頭と言えます。

さて新しい土壌の上に、やがて、木の侵入が始まります。あらゆる種類の木本植物が進入してきますが、最初に低木林が形成されるのです。このとき生えてくる木は陽樹と言われるものです。陽樹の代表は、クロマツ、アカマツ、ハンノキ、ダケカンバ、コナラなどです。これら陽樹は、樹木におけるパイオニア植物の役割を果たして、低木林をつくるのです。陽樹というのは、光合成量が多いものが多くて、成長も早いために優勢となり、しだいに背の高い陽樹林が形成されるのです。その代表的な背の高い陽樹にはシラカンバやマツなどがあります。

シラカンバやマツなどの陽樹が成長してくると、その下は次第に日陰になるので、草原の植物は勢いを失っていきます。こうした植生の変化が、自然の活動では重要なのです。その代わりに日陰であっても成長可能な植物が侵入する。こうして陽樹林ができる。樹木は草本よりも深く根を下ろし、土壌層はさらに厚くなる。土壌にも陸上にも、動物相はさらに豊富になる。

そういう意味で、時代が変わって行くと、少なくとも奈良美智のような作品は、実は草本ですから、近い将来、日陰になって、草原の植物、つまりマイクロポップは、勢いを失って行くのではないか?
村上隆の作品を、奈良美智と同じ様に草本であるとは言いにくいですが、しかしかといって大木に育って行くという様な成長性は示していません。もしかすると、クロマツ、アカマツ、ハンノキ、ダケカンバ、コナラなどの低木林ではないのか?

そうこうすると、陽樹の森林ができると、葉が茂って日光を遮断し、その内部は照度は低くなり、湿度が高くなります。こうなると、陽樹の苗木が生育しにくくなるのです。その代わり、暗い林の床の土地でも成長できる種類の樹木が出てくるようになります。これを陰樹と言います。陰樹が成長していって、成長した森林を構成する樹木になると、しばらくは陽樹と陰樹が交じった森林になるのです。

しかし陽樹は、苗木が追加されにくいために、次第に陰樹林となっていきます。陰樹林内でも、陰樹は生育できるので、見かけ上はこの形の森林はこれ以上は変わることがなくなります。この状態を極相(クライマックス)と言います。この極相(クライマックス)に於いて、エジプト文明的な変化しない世界が立ち現れるのではないでしょうか。

明治維新以降、さまざまな植生遷移を経て、日本の近代社会というのは陰樹林となって、極相(クライマックス)を迎えていたのです。そこでは安定したエジプト文明的な同一性の世界があった。それが1991年以降になると、突如として崩壊を始めて、飛行機が墜落する様にして、没落をして来ている。つまり近代日本社会という極相(クライマックス)は終焉し崩壊して、新しい歴史噴火があり、新しい溶岩流による岩盤がむき出しの土地が出現したのです。その新しい岩盤の上に生えて来た苔や草が、若い現代アーティストの作品であったと考えるのです。歴史は断絶したのです。新しい時代が始まった。古いチョンマゲは切られ、刀は捨てられたのです。

さて、こういう新しい時代になると、実は作品制作のレベルも変わって来ている様に思います。作品そのものの制作量も変わってくる。それは観客というか、作品を買う購買者層そのものの人数の変化も大きくあるからなのです。作品の複数性そのものの変化を考えなければならないのです。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 1

丈

「不平芸術家による自由芸術運動」という所で大笑いしました。
さしずめ私らは「困民党」ですね。
by (2008-09-14 11:58) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。