世界を浅く見る方法 [アート論]
「ひらがなアート チバトリ」という美術展が11月15日から開かれています。
これを見たのではないのですが、
awというメーリングリストで、その告知がきたのです。
その趣旨の文章に、私は興味を持ちました。
以下のようです。
【趣旨】
華やかな国際展が日本でも海外でも開催されています。
しかしそれらで展示されている作品は私たちのアートだと感じられるでしょうか?
国際的な普遍的美術のステージがあって、そこで「世界同時性」という意識を共有す
ることによって成立する「アート」「美術」は、それを信じる人たちには伝わるかも
しれませんが、そうではない人たちにとっては全く手がかりのない、そっけない作品
にしか見えていないのではないでしょうか。
今回の「ひらがなアート チバトリ」は、私たちの等身大の感覚によって理解でき、
その内容に共感できたり、反論できたりする作品を紹介することを目指し、千葉市美
術館(さや堂ホール・1階かつどう室」、千葉市立郷土博物館(千葉城)、WiCAN
アートセンター(千葉市中央区栄町)の3カ所を会場として、展開されています。
□参加作家はつぎの通りです。
会田誠、岡田裕子、木村崇人、大成哲雄、横湯久美、遠藤一郎、松蔭浩之、倉重迅、
開発好明、Chim↑Pom、木谷愛
小左誠一郎、樫田壮一郎、片桐佐知子、松田直樹、右田浩之、桃木彩、渡辺篤、長谷
川銀
詳細はhttp://www.wican.org/2008/をご覧くださ
華やかな国際展が日本でも海外でも開催されています。
しかしそれらで展示されている作品は私たちのアートだと感じられるでしょうか?
国際的な普遍的美術のステージがあって、そこで「世界同時性」という意識を共有す
ることによって成立する「アート」「美術」は、それを信じる人たちには伝わるかも
しれませんが、そうではない人たちにとっては全く手がかりのない、そっけない作品
にしか見えていないのではないでしょうか。
今回の「ひらがなアート チバトリ」は、私たちの等身大の感覚によって理解でき、
その内容に共感できたり、反論できたりする作品を紹介することを目指し、千葉市美
術館(さや堂ホール・1階かつどう室」、千葉市立郷土博物館(千葉城)、WiCAN
アートセンター(千葉市中央区栄町)の3カ所を会場として、展開されています。
□参加作家はつぎの通りです。
会田誠、岡田裕子、木村崇人、大成哲雄、横湯久美、遠藤一郎、松蔭浩之、倉重迅、
開発好明、Chim↑Pom、木谷愛
小左誠一郎、樫田壮一郎、片桐佐知子、松田直樹、右田浩之、桃木彩、渡辺篤、長谷
川銀
詳細はhttp://www.wican.org/2008/をご覧くださ
酒井抱一や鈴木其一のところで問題にした《6流》の美術というのは、
基本的には、世界を浅く見ることに於いて成立しています。
会田誠さんと美術手帖で座談会をした時に、
その準備で、会田さんの画集を読んでお勉強をしましたが、
会田さんは、明快に、美術は浅く、表面的に世界を見る事で成立できると言う、
そういう主張をしておられました。
世界を浅く見ると、絵画的には《6流》の原始平面なのですが、今、このことには触れずに、
世界を浅く見る事自体を方法として、取り出してみたいと思います。
2
昔、私はミュージックマガジンで音楽批評を書いていた時には、
その批評するアルバムを20回は聞く事を義務づけていました。
それと参考レコードを20枚、編集部から借りたのです。
次第になれてきて、ある時プロの音楽評論家の相倉 久人さんとお会いする機会があって、
何回聞いて批評を書くのか? と聞きましたら1回ですと言う答えでした。
東京大学文学部美学美術史学科中退。
ジャズ評論の傍ら、新宿「ピットイン?」で司会をつとめる。
70年代以降は、ポップスやロック評論の分野でも活躍した音楽評論家なのです。
この相倉さんの、1回だけレコードを聴いて批評を書くというのは、
実は、こうした文化の批評の基本的な方法なのです。
そのことを知ったのは、『ニューズウイーク』の日本版の映画批評を書いているデービッド・アンセン記者が同じ事を書いていたからです。それはスティーヴン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・リポート」という映画に関する批評を、ほめて書いた後に、もう一度見たらば,ひどい映画で、すっかり落ち込んだと言う話だったのです。そして映画批評という仕事は、映画を2度見ては行けないと言う結論になっていたのです。
3
昔は、良い映画を、繰り返し見たものでした。私が高校生の時に入れこんだ映画に吉田喜重監督・成島東一郎撮影の『秋津温泉』という映画が、ありました。7回も見たのです。これは戦後の思想の風化を描いた傑作映画だと、私は思っていました。最後には、主演の岡田茉莉子が、満開の桜の下の川の中で、手首を切って自殺するシーンで、これには感動して、映画館の中でカメラで撮影したくらいに、のめり込んだ映画でした。ところが20年経って、レンタルビデオ屋で、これを見つけて再度見たのですが、これが駄目でした。あれほど感動した映画が、駄作にしか見えなかったのです。
もう一つ同じ様な経験をしたのは『エイリアン2』でした。
1986年に製作されたアメリカ映画。エイリアンシリーズの第2作。監督はジェームズ・キャメロン。シガニー・ウィーバー主演。これも面白くて、2度目は女房と一緒に見たのですが、2度見ると、話のご都合主義的な破綻があけすけに見えて、すっかりと嫌になりました。娯楽映画というのは、結局、杜撰な作りで、2度見られて耐えられる様には、作っていないのです。
4
美術作品で、繰り返し見ると、価値が変わるというのは、実は鑑賞の基本なのです。
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