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絵金/深川資料館通り商店街を考えるために(加筆2校正1) [アート論]

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「深川いっぷく」のシートペインティングのプランが、
フォーマリズムを追いかけて失敗したので、
再度考えるために、出典である絵金の祭り絵を考察します。

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深川の清澄白川の深川資料館通り商店街で、
これから引用する絵金のような《第41次元》の絵画を並べる事が、
向いているわけではありません。
「深川いっぷく」は、ゆるい系で、いやし系の美術に向っている
所だからです。

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それでもシート型ペインティングを私が、当初提案したのは、
第9回花みずき街角誰でもアーティスト〜アート観光まつり〜に、
土佐の絵金の絵金祭りを結びつけることを連想したからです。

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土佐の高知の絵金まつりは、
この絵金という異端の画家ひとりの執念で生まれているのです。

深川資料館通り商店街をどうするのか?
ということは、正確な意味では、私が考える責任の立場にはいないのです。

絵金のこれらの絵画は、お金のために描かれたという目的は、
大きくあったと考えられます。

商業性をもった売り絵での面があったのです。
これらの地域の住民が買って行って、
このお祭りが成立したのです。
つまり地域の人が絵金という画家のパトロンになったのです。

深川資料館通り商店街には、こうしたパトロン性はありません。

つまり絵金まつりの成立の根底には、
商業目的で自分の絵画を描く事を追求した美術家と、
それを各自が買って支える事で、絵金まつりを成立させた
土佐の高知の住民がいたのです。

深川資料館通り商店街に必要なのも、
こうした商業主義性をもった美術家と、
それのパトロンとなる地域の人々なのです。
そしてまた商業主義性をもったアートマネージャーの存在です。
その意味で白濱雅也さんと白濱万亀さんの存在と、
深川資料館通り商店街の人々の結びつきの自覚が、
重要なのです。

白濱雅也さんは、実は《第41次元》の美術を日本で始めた
早い作家だったのです。
そしてまた白濱万亀さんも、髑髏や死の美術を見つめる目をもった、
実はすぐれた鑑識眼のマネージャーであります。
このことが、何らかの形で表に出てこないと、
深川資料館通り商店街の美術の可能性は、
開花しないでしょう。

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アートフェア東京2009を見た五十嵐太郎さんは、
「こうして見ると美術は商品だということを改めて感じました」と、
発言していましたが、
美術は、この土佐の絵金祭りの根底でも、
商品であったのです。

アトフェア東京に、1991年前の勝利者であった辰野登恵子も、
中村一美も、堀浩哉も、岡崎乾二郎も、戸谷成雄もいないのは、
1991年以降の情報文明での美術の根底に、
商業主義化があるからです。
こうした商業主義性を、彼らは持ち得ない事において、
コンテンポラリーアーティストである資格を、失ったのです。

辰野登恵子は、絵画で成功したからこそに、
多くの中小品を描いて、日本の美術市場を豊かに活性化しなければ
いけなかったのではないでしょうか。
しかし彼女は大作主義で、ピカソのようには中小品を描き、
生涯の制作が10万点超えるような道を歩まなかったのです。

中村一美も、堀浩哉も、岡崎乾二郎も、
根本においては、アメリカ抽象表現主義/アンフォルメルの
模倣亜流作品であって、それを超える視点や契機を欠いているのです。
だから、アメリカ抽象表現主義を支えた自動車産業の没落とともに、
没落するのではないでしょうか?
なぜなら、多かれ少なかれアメリカ抽象表現主義/アンフォルメルの
模倣亜流作品の範囲に収斂した絵画であり、
岡崎の彫刻も同様なものに流れ込んでいるからです。

彼らの生涯作品展開を詳細に見れば、
他の展開もあり得たはずの契機を、
彼らは見逃して行ってしまっています。

ポロックのドリッピングとフォードのオートメーションは
深い関係があったのであり、その使用した絵の具も自動車塗料で
あったのです。
何よりも、この時代の美術作品そのもののありようが、
シニフィアン(記号表現)であって、物質に還元される美術作品で
あったのです。

そしてまた、あの李 禹煥が、アートフェア東京2009において、
1点もなかったということは、非常に大きな出来事であったのです。
李 禹煥が持っていた商業主義が、今回の金融危機の破綻で、
大きく傷ついたからです。

何故に大きく傷ついたのか?
李 禹煥の絵画が、点一つを描く事に向う様な、
単純系のモダニズムであったことは、無縁ではないでしょう。
それは古い産業社会の価値観であったからです。

李 禹煥の立体と絵画は、実はずいぶんと違うものなのですが、
しかし点一つの画面にするという、
遅れて来たミニマリズムに収斂させる事においてしか、
作品史を納め得なかった故に、
時代の敷居は、ここで限界に来たのではないでしょうか?

李 禹煥の市場での強さを見て来た人間からすると、
いろいろな事情があったにしろ、
アートフェア東京2009には、草間弥生はあっても李 禹煥が1点もなかった
ことの事実は、極めてシンボリックなものでありました。

そうした古い近代が、この世界金融危機において、
本格的に終わるのです。
だからこそ、古い近代の代表であった自動車産業が落ち込んで
行っているのです。
アメリカのビックスリーの自動車産業は、本格的に崩壊するのです。
断絶が起きるのです。
それはまた美術史の断絶でもあります。

今日のコンテンポラリーアートは、
根本的な変動に見舞われているのであって、
そのことを、旧現代美術界は、
把握する事が出来ない構造に転落しているのです。

その意味を込めても、
私自身は、作品としての気体分子ギャラリーに向わざるを得ないと言う、
所があります。
そこで追求されるのは、
物質としての美術というよりも、情報としての美術であり、
知価としての美術です。
知価としての美術は、一方で無償制を持ち、同時に貨幣性を
持っているのです。
芸術性が、値段として金銭に還元されて表示される。

美術を考える根底で、金銭を考えないでは、
絵金は成立しないように、
今日のコンテンポラリーアートもまた金銭を抜きには成立しない半面が
あるのです。
絵金が《第41次元》であるということと、
こうした金銭問題は、深く関わっているのです。

気体分子ギャラリーは、
《第41次元》《超次元》のものを扱いますから、
商業主義としてメジャーは形成はできません。

今日の商業主義の中心は《第1次元》です。
《第1次元》のロックや黒人音楽は、産業音楽として、
巨大マーケットを作るとともに、その表現の凡庸性と抑圧性を
生み出しています。

気体分子ギャラリーが目指すのは、
あくまでも少数の観客を結びつけるインディーズ・ギャラリーの
成立の追求です。

しかし、そこでは、芸術の適正価格の追求が、
あくまでも金銭として追求されるのです。

いいかえれば自己満足的な《自己愛》性人格障害的表現は、
排除されます。

ジラールや、ラカンによれば、
人間は、他者の欲望を生きる存在です。
芸術作品は、自己満足で完了するのではなくて、
他者の欲望を介して成立する社会的な関係なのです。

絵金を再度検証するのは、こうした他者の欲望を介して描かれた、
商業主義性を持った絵画だからです。

深川資料館通り商店街に必要なものも、
こうした血みどろの惨劇なのです。
東京都現代美術館の城下町として、
東京都現代美術館の美術品よりも、より今日的な芸術性を持った、
作品をストリートに展開する可能性を、
商業的に追求する時に、
深川資料館通り商店街を歩く事は、違う意味を人々に
与えるでしょう。

つまり過去のグラフィティ・アートの成果を、
深川資料館通り商店街のストリートのテント・ペインティングとして、
収奪する時に、
深川資料館通り商店街は、商業主義的に活性化するでしょう。
人間とは地獄であり、人々は惨劇を求めているのです。



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以下の画像および情報の出典は、
無為庵乃書窓です。
日本ではめずらしい本格的な美術サイトで感動しました。
《第41次元》の画家が、いくつもあります。
絵金は、下記です。

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絵金は、典型的な《第41次元》のアーティストです。
そしてこの絵画は、金銭を得る目的で描かれたのです。

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このグロテスクさが、
人間を活性化するのです。

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この血みどろの絵を知ったとのは、1968年で、
百科事典の平凡社の雑誌『太陽』の特集号でした。
この1960年代末は、ベトナム戦争を背景として、
スプラッタ映画が台頭する時代でもありました。
その代表は、サム・ペキンパーでありました。
こういう血なまぐささの中で、絵金は再発見されるのです。

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この上の絵の一部を使って、私は美術家共闘会議=BIKYOTOのポスターを
作っています。
制作は、独りでやっています。シルクの製版も刷も独りでやっています。
その意味で、絵金は、私と学生時代からの深い結びつきがあります。

【続きは下記をクリックして下さい】


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今日の地獄絵を、深川資料館通り商店街のテント・ペインティングとして
展開する。
田嶋奈保子の燃ゆる家とか、彦坂敏昭の燃える家とか、
伊東直昭の刺虫の暗い絵とか、
白濱雅也の《第41次元》の暗い絵。
不吉で、暗くて、人々の嫌がる絵で、街を埋め尽くす。
もともとお祭りの夜店には、
ろくろ首(轆轤首) とか、蛇女とか、おどろおどろしいものがたくさんあった
のです。こういう《第41次元》の暗いものが、人々を魅了し、
活性化したのです。
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絵金は画家として、すぐれているのか?
1970年前後に展覧会も東京で開かれて見に行っていますが、
非常に悪達者な絵描きで、絵画としては、落ちるものでありました。

何故に、落ちているのか?
それについて理解できるようになったのは、
最近のアートの格付けをする事によってです。
その意味で、《言語判定法》による芸術分析は、
多くの情報を言語化する有効性を発揮するのです。

というわけで、分析してみます。

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《想像界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《気晴らしアート》《ローアート》

シニフィアン(記号表現)の美術
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【B級美術】

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絵金の利点も欠点も、《気晴らしアート》であることです。
《気晴らしアート》を求めるのは、人間の本性です。
そのことの利点と、欠点があるのです。


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絵金とは、いつの時代の絵描きなのか?

死んだのは明九年(1876年)です。

つまり幕末から明治にかけての画家なのです。

そういう風に見ると、この画家は、孤立した画家ではなかった事が
分かります。

この幕末には、革命の時代であって、惨劇が繰り返され、
それもあって、血みどろの絵が描かれているからです。

たとえば月岡 芳年です。
この人は明治25年に死んでいます。

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月岡芳年の絵画もまた血みどろでありました。
(続きは、後で加筆します)




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