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ピカソの作品の悪化 [アート論]

前回のアートスタディーズで、
2次会で問題になったのは、
ピカソの件でした。

シンポジウム中に、
パネリストの藤原えりみさんから、
ピカソの作品が、
後半になると悪くなると言う、
指摘があったのです。

これは私も同感でした。

以前にニューヨーク在住の美術史家の富井玲子さんも同様の指摘をされていました。

ピカソの死後、
ピカソの作品を再検討する流れはあって、
一つは、ニューヨーク近代美術館で、
ピカソの大がかりな回顧展が開かれ、
2冊本の、しっかりしたカタログが出版されました。

もう一つは、MOMAと、ポンピドーと、テートモダンの3館巡回で、
ピカソとマティスの比較展が開催されたのです。

これらの展覧会とそのカタログを通して、
ピカソを再検討する流れは、生まれてきていると言えます。

ですから、まず、ピカソの生涯の作品を、2冊のカタログで、繰り替えし見る作業が必要ではあります。

そういう作業をしていると、
藤原えりみさんのご指摘のような、
ピカソの晩年の作品の悪さが見えてきます。

まず、死ぬ時期の作品が悪い。
さらにさかのぼると1945年以降は、
8流作家になってしまっている。

こういう風にさかのぼって見ていくと、
キュビズムの時期、
いわゆる分析的キュビズムで、
ほとんど抽象になった時期に、
作品は16流になります。
16流というのは、壊れた状態です。
ものが壊れた状態というのは、人を引きつける力があるのですが、
この領域が16流です。

その分析的キュビズム直前までは、
ピカソの作品は《超1流》で、すばらしいのですが、
壊れきると16流になる。

それを過ぎると6流作品になります。
いわゆる総合的キュビズムの時期というのは6流であって、
その後、ピカソの作品はスタイルを新古典主義に変えても、
6流のまま行きます。

それとマティスと比較すると、
ピカソの絵画は、落ちるという傾向です。

マティスの作品にも出来不出来はありますが、
マティスはシリアス・アートを継続していきますが、
ピカソは6硫化した時期から商業主義になって、
気晴らしアートに堕落してしまうのです。

一方で、今日の美術市場の中では、
悪いピカソ作品も、たいへんに値上がりしているので、
社会的な欲望としては、ピカソを高く評価する流れは止むことなく盛り上がっているので、
ですから、ピカソの晩年の作品を悪くなっていると
指摘する意見は、理解されないと思います。

多くの人間の意見は、社会の欲望のコピーという面が強いので、
ピカソの作品の悪化については、
作品を上げながら、レクチャーの機会がないと、
難しいとは、思います。


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