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20世紀日本美術史の連続性と切断面 [日記]

2007年7月26日(木)

 藁科さんからのご指摘の続きである。
 
 彼が言うように、実は1970年代美術史の年表も、記述も、できていない。
 それは事実である。

 なぜなのか?
 それは1975年の切れ目で起こる、世界構造の変化を、理解するのが難しいからだ。

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 1975年を考える前に、まわりくどいことをする。
 この問題を考えるのには、その前に1945年について再度考える必要がある。

 20世紀日本美術史というものを考えようとすると、1945年の時点の切れ目を理解することが、一つのつまずきの石になる。

 代表的なのは椹木野枝史観であって、1945年で日本のすべての価値観が崩壊して、リセットされたと言うものである。

 しかしそれは事実に反するのである。

 戦前と戦後は、大日本帝国と日本国という国家形態的な分裂を抱えているようで、実はその80パーセントの中心部分で、連続しているのである。

 まず昭和天皇は退位もしなかっただけでなく、太平洋戦争を遂行した大日本帝国の官僚組織の80パーセント以上は無傷であった。
 国体は護持されたのである。

 解体されたのは大日本帝国の軍隊と、内務省だけであったのである。
 内務省というのは、特効警察と国家神道の役所であった(以上の指摘は野口悠紀雄著「1940年体制」参照)。

 美術にも言えて、戦中の美術家たちは、戦後にも展開して大きな連続性を示している。
 戦前・戦中・戦後の美術は連続している。

 代表的な作家としては吉原治良であり、斉藤義重、そして美術評論家で詩人の滝口修造である。戦前戦中の美術と戦後の美術は連続しているという連続史観を、新しく形成する必要があるのである。岡本太郎でさえも、戦前からの作家である。

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 さて、そこで1975年である。

 問題なのは、戦後現代美術史の記述が、ほぼ1970年代初頭で終わることである。
 
 私、彦坂尚嘉というのは、実は戦後美術の、最後の、前衛作家として記述されている。最近でもアメリカのゲッティで開催された戦後美術に関する展覧会でもそうであったし、また国立国際美術館館長の建畠哲氏が連載していた戦後美術史でも、そういう扱いであった。

 1975年、ベトナム戦争が集結したアメリカ敗戦を境に、世界構造が大きく変わった。
 そのために、美術史を連続として語るのが困難なのである。
 
 しかも日本では、この構造変化が、十分に理解できないままに来ている。
 
 現在のイラク戦争を開始し主導したネオコンの登場も、実はこの1975年のアメリカ敗戦時に、民主党から共和党に転向した政治家たちであった。
 
 今日やかましく言われる知的所有権の問題も、1975年のアメリカ敗戦を境に、アメリカの内部でこうした知的所有権の強化独占の世界戦略が発動したのである。

 つまり1975年にアメリカ敗北によって、アメリカの世界戦略が変わったのである。そのために世界全体が変わった。
 
 芸術史的にも、1975年を境に、前衛芸術の停滞が起きる。
 それは、実はアメリカこそが、近代の申し子であり、アメリカのモダンアートコレクションと、アメリカ美術こそが、モダンアートそのものであったからだ。この本体のアメリカが敗北し、アメリカが後ろを向くことで、モダンアートが停滞することになる。

 これを分かりやすく言えば、ベトナム戦争とその敗戦のダメージを背景に、アメリカのモダン・ホラー文学や、映画が成立して来る。
 そういう事態と同様の変化が、美術のなかにも現れる。シンディー・シャーマンの登場である。
 
 音楽で言えばロックが、1976年のパンクの登場によって、その直前までの芸術化したプログレッシブロックの《超1流》性が、突如として6流に下落し、さらにポップグループ、そしてモターヘッドの登場で、16流の崩壊領域にまで、崩壊するのである。
 
 現代音楽にも、こうした崩壊現象は起きていて、ミニマルミュージックの終焉、そして前衛音楽の停滞が起きる。
 
 こうした1975年のアメリカ敗戦による世界変動は、
 政治的には、アメリカが負けたにもかかわらず、世界的に右傾化が起きて、左翼の衰退という事態として事態が進行する。

 そして1980年代のレーガンによる冷戦激化、そして1991年のソヴィエト崩壊にまで至る。

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 つまりアメリカ敗戦が、ソヴィエト崩壊に展開する至る流れの問題なのである。

 私見を申し上げれば、こういう事態を連続性でとらえるためには、《近代》という歴史そのものの再検証が必要なのである。
 
 近代が何であったのかの議論は、難しい論理が様々な知識人によって展開されているが、美術家の私が、枝葉を落として幹を抽出するば、近代とは、産業革命を抜きにはあり得ない。

 蒸気機関の発明と、それによる蒸気船、さらに鉄道網の形成が、世界を変えたのである。それが近代である。

 同時に産業革命による労働者の登場と、その悲惨な労働環境が、社会主義を生み出す。

 つまり弱者の労働者の悲惨な状態を見過ごせない正義感が、空想的社会主義を生み出し、この空想性こそが社会主義の原点であったのだ。

 この空想性が共産主義革命を引き起こし、たくさんの政治的虐殺を繰り返し、社会主義の空想は、悲惨な破綻の中で、1991年に崩壊する。それはしかし情報化社会への移行を意味していた。
 
 1991年が同時にインタネットの登場した年であることは重要である。
 
 つまり《近代》とは、産業革命の時代であり、同時に空想的な《社会主義幻想の時代》であった。それが1991年に終わる。
 
 こういう歴史観で把握すると、1975年から1991年というのは、近代の解体期であったと言える。
 
 つまり1975年から1991年は、《モダンアートの解体と崩壊》、そしてデジタル的情報化社会の新しい芸術表現への移行期であったのだ。

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 長くなったので詳細は別の機会に譲る。

 が、私の史観で言えば、つまり1991年まで、20世紀日本美術史は連続して語るべきであり、そして《近代》と《現代》の根本的な断絶の境目は、1991年に置いて、語り直してみるべきであると思うのである。
 
 言い換えると、現在という1991年以降の時代こそが、《現代アートの時代》であり、それは比喩的に言えば、ギリシア美術と、ローマ美術の時代の関係にあたる。
 
 モダンアート=ギリシア美術
 現代アート=ローマ帝国の美術
 
 つまりギリシア美術の焼き直しであったローマ美術のように、
 モダンアートの歴史の焼き直しとして、現代アートがある。

 一種のローマ帝国美術としての現代アートが展開し、市場におけるあだ花を咲かせるのが現在ではないのだろうか?

 今日、真性の芸術は、市場の外にあるが、市場の上に咲く売り絵にこそ、アートであると錯覚しているのが今日である。しかしそれは《ライト・アート》である。
 《ライト・ノベル》に対応する《ライト・アート》時代であるといえる。
 
 しかし、《ヘヴィ・アート》《ヘヴィ・ノベル》《ヘヴィ・ミュージック》も存在しているのである。このもう一つの芸術を、忘れてはならないのである。
 


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