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横須賀美術館 [アート論]

2007年8月13日(日)

昨日、武田友孝さんご夫妻に車で大仏前まで迎えに来てもらって、
横須賀美術館にはじめて行ってきた。

建築は、山本理顕氏で6流で、開放的で、海の見えるおしゃれなプレハブ的な美術館。
6流というのは自然領域で、モダニズム建築の多くは6流である。
野蛮としての自然が6流で、同時に近代の人工的なモダニズムの建造物が6流であるというのも変なことだが、近代科学技術が作り出した人工物は、人工的な自然物であったのである。
たとえばミース・ファン・デル・ローエも、筆者の格付けでは6流だから、
山本理顕氏の横須賀美術館が6流であるというのは批判では無い。

念のために言えば、ル・コルビュジエや、フランク・ロイド・ライト、そしてヴァルター・グロピウスの建築は、《超1流》だから、モダニズムすべてが6流というのではない。しかしモダニズムの人工物の多くは、無印良品に代表される6流の美意識におおわれている。無印良品の愛好者は、何かすごく高い趣味のように信じているが、私見では《6流》の人工的自然にすぎない。

 山本理顕氏の建築の実物を見たのは、はじめてなのだが、ネットで検索して画像を見ても、広島西消防署(2007)、公立はこだて未来大学は、彦坂の格付けでは6流である。
 格付けで、一番有名なのはムーディーズの格付けだが、このサイトを読めば分かるが、あくまでもムーディーズの固有名詞の付く判断であって、それ以上ではないと断っている。同様に彦坂尚嘉の私的な判断として、《超1流》から《41流》までの42段階がされているのであって、この格付けというのは、あくまでの彦坂尚嘉の私見である。

妹島和世さん的な雰囲気の安い感じの建築だが、
海に向かって芝生が広がっていて、見晴らしは良いし、
人も多く来ていて、市民に愛されそう。
身の丈主義で、今的な低さのある気持ちよさは見事。
自分は、よっぽどのことがないかぎり、
2度と来ないだろうと思える建築なのだが・・・。

この中に谷内六郎の週間新潮の表紙の絵を常設展示しているコーナーがあった。
絵は想像界のイラストで、《6流》。
〈想像界〉の絵であるから、見ても、意味を見いだせない。
ただ万華鏡のように変化していくだけ。
面白いと思ったのは、普通の人も、見入っている人があまりいなくて、
ただ、流して、眺めて、歩いていくだけである人が多かった。

故・斉藤義重先生の晩年の黒い車輪のような作品があって、
これは16流。
16流というのは、崩壊の美ともいう領域。
美術史的には、分析的キュビズムの一番抽象に近づいたとき。

音楽だと、ポップグループのYというアルバム。
あと、モターヘッド。

16流というのは、前から気がついていたのだが、
今回、何となく気になって言語判定法で確認したら、
《想像界》の作品。

これには驚いた。
こういう作品は、〈現実界〉の作品である必要はあった。

先生の死後に、作品の悪さを批判する人が増えたのだが、
実際、古いカタログを見ると、あまりの悪さに驚かされていた。
合法的な作品が多い。つまりデザインワークでしかないものが多くて、
愕然としてきたのだったが、
今日、改めて、《想像界》のアーティストであることを知って、
まあ、なんというか、驚きと、失望と、納得の気分。

《想像界》のアーティストというのは、
簡単に言えば素人の絵描きのようなもの。
たくさんの悪いアーティストや、売り絵のアーティストは、
《想像界》のアーティストである。

優れているアーティストというのは、
すくなくとも《象徴界》のアーティストである。

現代美術家として振る舞うのなら、〈現実界〉のアーティストというのも、あり得る。

傑出している人は、
《想像界》、《現実界》、《象徴界》の3界を同時表示しているアーティストである。

そういう意味では、
斉藤先生は、普通のアーティストであったということになる。
普通のアーティストだから、
取り巻きの凡庸なアーティストの熱狂的な支持を集めたと言えるのだが。


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