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想像界の視覚 [アート論]

Date: 2007年8月14日

普通に生活している時、
ラカン理論で言えば、想像界の精神状態にいることになる。

自覚していなければ、
自分の精神状態や、視覚の状態が何か分からないが、
「想像界、想像界、想像界」と口の中で唱えながらいると、
確かに想像界の状態にいるということを自覚する。

「想像界、想像界、想像界」と口の中で唱えているから、
想像界になっているともいえるが、
少なくとも視覚が、想像界になっているのを自覚できる。

女房と散歩で、材木座海岸まで歩いて、
砂浜に座っていると、
その視覚が、薄っぺらで、想像界的な視覚の普通さを改めて感じた。
このまま絵を描くと、いわゆるペンキ絵になる。

プロの画家の場合、目に見える書き割りのような薄っぺらな空間を、
理性で再解釈して、キャンバスの上にくみ立て直していかなければならない。
目に見えるように描くことを超えなければ、
深いイリュージョンの世界は描けない。

学生時代に戻って、こんな事を考えて、
薄っぺらな想像界の視覚を楽しんでいると、
改めて、普通の人の視覚というものが、
しみじみと実感ができた。

・・・・・・・・・・・・・・・
象徴界で世界を見るというのは、
理性的な観察と、再解釈による見方であって、
素朴な実感的な肉眼の世界ではないのである。

意識的に素朴な実感で生きていると、
それこそ、肉眼の素朴さのなかで、かなりフラットに世界も社会も見える。

社会の動きや、美術市場の動きを理解するためには、
ある意味で、想像界の素朴な肉眼で見ていないと、理解ができなくなる。

批評的に見たり、分析的に見たりしては駄目なのだ。

素朴な肉眼で見ることを意識的にするというのも、変な話だが、
自分自身を現実化するためには、そういう必要もあるのである。


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