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日常・注文・使命 [アート論]

2008年2月18日(月)
今日は良い天気だ。青空が広がる。
昔は雨の日が好きだったが、
最近は普通に良い天気を喜ぶようになっている。

犬の散歩をして、
ゴミを出す。
こういう日常のルーティン作業が重要なのだ。

ルーティンワーク(ルーチンワーク)というのは、
派遣業界用語集によると、
急遽発生した突発的、一時的な業務ではなく、
日々の決まって行う業務のことを指す、とある。

ルーティンワークだけの人生というのも味気ないが、
しかしルーティンワークをおろそかにした人生というのも、
困ったものである。

しかし実際には、
私の人生というのは、
ルーティンワークをおろそかにしてきたといえる。

美術のことは覚えているが、
日常のことは、3ポ歩くと忘れるのである。
そういう意味で美術オタクであり、
オタク性は、しかし美術に限らなくて、
もう少し広い範囲に渡っている。

とは言っても、
最近お付き合いしている五十嵐太郎さんや、
暮沢剛巳さんも完全にオタクで、
それに比べると私の方は、卒業して、
ずいぶんとまともになってきている。
元・オタクと言うべきだと思う。

さて
書きたいのは、オタク論ではなくて、
仕事の分類についてである。

つまりゴミを捨てる、掃除をするといった
ルーティンワークと、

もう一つ外注を受けて、
注文で作るというそういう
外注ワークというものがある。

さらに、美術家の場合には、
注文無しで、見込み生産で、作品を作ると言うことがある。
この見込み制作の場合、
売ることを考えて作る制作と、

もう一つ、大きいとか、
あるいは内容的に過激で、売れはしないが、
探究的に作るという、そういう制作がある。

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むかし、神田にときわ画廊というのがあって、
そこでの発表を、最後に回顧する展覧蟹が開かれた。

ときわ画廊は典型的な1970年代型の貸し画廊だったが、
こういう中での作品制作と発表というのは、
売ると言った目的の為ではなくて、
ある種の自己表現と、
それを見てもらうための社交の場であったと言える。

分かりやすく言えば、
小さな《島》社会のための、
社交のための制作と言うことである。

こうした《島》社会のための制作という領域が、
今もあるにしても、
滅びたのが現在である。

………………………………………………………………………………
しかし売るためのだけの制作というのも、
実は想像以上にたいへんで難しいことなのだが、

それだけでは、先行きが見えなくなってしまうから、
どうしても、探究型の制作、
大げさに言えば、使命感をもってつくる作品が必要となる。

分かりやすい例では、最晩年のデュシャンの「遺作」とか、
セザンヌの最晩年の、フィラデルフィア美術館にある「大水浴図」

美術ではないが宮本武蔵の、最晩年の「五輪書」の執筆。
親鸞の生涯かけて書いた『教行信証』(正式には、『顯淨土眞實敎行證文類』)といった、
仕事の仕方を、
うらやましく思うのである。


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