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2つの敗戦と《モダンアート》の終焉 [歴史/状況論]

一度、書いたものの短縮版です。
今回の「アートスタディーズ第12回」での小冊子に掲載した文章と画像です。

「現代美術」という区分を、どこから考えるのか?という問題は、
今までもいろいろに、議論されてきたのです。
ポスト冷戦の状況の中での、社会変動を考えて、
再度試みる定義です。

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倒されたレーニン像(1991年).jpg
【上の写真】倒されたレーニン像(1991年)

ベトナム戦争戦没者慰霊碑 ワシントン.jpg

【上の写真】ベトナム戦争戦没者慰霊碑 ワシントンDC

モダンアートの歴史とは何であるのか?
モダンアートの歴史を体現できるだけの、一貫したモダンアートの作品をコレクションできている美術館は、ニューヨーク近代美術館だけである。
とは言っても、ニューヨーク近代美術館を見ていない読者も多いであろうから、その方々は納得しないかもしれない。
パリのポンピドー美術館は、随分と落ちるのである。パリのモダンアートのコレクションは、櫛の歯が抜けている。  
ロンドンのテイトモダーンは、モダンアートの歴史をコレクションで描き出すだけの充実した美術品を持っていない。
世界で唯一ニューヨーク近代美術館を中心とするアメリカの美術館群こそがモダンアートの牙城であった。
つまり近代を始めたのはヨーロッパであったが、その成果が流れ込んで自立し、花開いたのは、アメリカであった。
それゆえに一九七五年のアメリカのヴェトナム戦争の敗北は、大きなダメージであった。
敗戦後のアメリカ社会は変貌し、美術は、ローアートが台頭し、敗戦美術が花開いていく。
それはハイアートの歴史であったモダンアートの崩壊の姿であった。
ベトナム敗戦がモダンアートの歴史を終わらせたのである。
しかし正確には《近代》というものは、もう一つあったそれがソヴィエトであり、共産主義の運動であった。
ネグリ/ハートの『帝国』が指摘しているように、近代とは分裂の時代であり、近代自身もまた、アメリカ型の近代と、そしてソヴィエト型の近代の、二つが対決したのであった。つまり冷戦構造というのは、近代の構造そのものであったのである。
一九七五年アメリカがヴェトナムで敗戦し、続いて一九九一年ソヴィエトが冷戦に敗れ崩壊すると、近代は総体として終わったのである。
そしてこの二つの敗戦の間の時代が、モダンアートの崩壊期の姿であった。

そして一九九一年以降、新しいグローバルな世界が始まったのである。
それはもはや正確な意味でのモダンアートではなかった。
モダンアートを追憶し、なぞって展開はしているが、
しかしそれは別のシュミラクルなフェイク・アートであるのである。
                    
 

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コメント 2

コア

非常に納得ができます。このご意見はモダニズム美術理解のスタンダードになっていくのではないでしょうか。
by コア (2008-03-14 22:41) 

ギャルのフェラチオが気持ちよさそうです!

f@cy)DN8, www.galmovie.org, ギャルのフェラチオが気持ちよさそうです!, http://www.galmovie.org/177.html
by ギャルのフェラチオが気持ちよさそうです! (2011-04-16 17:29) 

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