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竹内結子の顔(追加加筆) [新・美人論]

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竹内 結子(たけうち ゆうこ 、1980年〜 )、日本の女優。

離婚協議中だった歌舞伎俳優中村獅童(35)と女優竹内結子(27)が29日、
正式に離婚したという。

想像界の視点で《1流》の美人。

象徴界の視点で《3流》《1流》《1流》

現実界の視点で《1流》の美人。

仲間由紀恵のような《1流》《1流》《1流》の様な
パーフェクトな美人ではないが、
《3流》というポップス性をもちながら、
《1流》性もあるという魅力である。

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さて、追加加筆である。

人格的には、《想像界》《現実界》の人。
つまり《象徴界》が無い人。

《象徴界》というのは、言葉の領域だが、
分かりやすく言えば、法律のような立法とかルール、
さらには人間関係のルールであるモラル・倫理・節操の領域である。
この《象徴界》が無い。

《象徴界》が無い人と言うのは、
ラカンの理論としては無いのだ。
人間は《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持っているのだから。
しかしそれはラカンの理論であって、
現実の人間を観察して出て来た結論ではない。
人間には眼の見えない人とか、
耳の聞こえない人がいる様に、
《象徴界》の無い人はいるのである。

たとえば最盛期のホリエモンは、
《想像界》しかない人格であった。
逮捕されて、保釈されて留置場から出て来たときの顔は変わって、
《現実界》が同時表示された顔になっていた。
事実、多くの人がホリエモンの顔が変わった事に気がついていた。
しかし《想像界》と《現実界》の精神はあっても、
《象徴界》はなかった。
だから彼は、自分が悪い事をしたということは、
理解できないのである。

そういうと何か欠けている事だけを強調している様にだけ見えるが、
逆には、《象徴界》の抑圧が無かったために、
ホリエモンは、表出力の高い表現者であった。

彦坂尚嘉の開発した言語判定法は、
測定技術なので、ラカン理論を下敷きにしながら、
独自の観察をしているのである。

さて、そういう訳で、
竹内結子の特徴は、
その精神が、《想像界》と《現実界》で出来ていて、
《象徴界》の領域が無い事である。
そのことが、彼女の表出力の高い存在を作っている。
普通の人ではない力がある。
《象徴界》というのは、抑圧であり、ブレーキだから、
それが無い事で、女優としての力が出ている。

このことと、今回の離婚が関係があるのかどうかは、
私には分からない。
もっとも今回の離婚は、夫の中村獅童の浮気との事。
そうすると中村獅童の側に、モラルが無いことになる。
中村獅童の顔も見ておこう。

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想像界の眼で、《1流》のイメージ

象徴界の眼で、《2流》《2流》《2流》

現実界の眼で、《2流》の現実。

《2流》というのは、彦坂の格付けでは、
技術領域と言う意味である。
役者の演技の技量が高い人なのである。

伝統芸の
歌舞伎役者なのに、
《象徴界》の無い顔である。
《想像界》しかない。
まだ子供といった感じの若い顔。
浮気が事実としても、子供っぽさ故のことなのか?
ホリエモンも《想像界》だけであったということは、
問題はあったにしろ、
しかし人々を引きつけ、人気が高まる人格であったのである。
中村獅童もまた、ホリエモンに匹敵する人気の集まる人なのかもしれない。







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