伊東直昭の現代アート(追加加筆) [アート論]
伊東直昭さんも、変な絵を描く人で、
これも、いろいろ入り混じっているが、
ここに上げるのは、現代アートの作品だけである。
何が、現代アートで、
何が現代美術なのか?
そして何が前・近代美術なのか?
それを詳細に観察し、観測して行くと、
かなり難しい。
反対に、表面だけで、印象で決めることは、
正しいかどうかはともかくとして、
普通に私たちがやっている事である。
伊東直昭さんの作品が、
バラツクと言うのは、
多様性を抱えているものとして評価は出来る事だが、
しかし作品を作る事に無自覚で、
方法化していないことも事実である。
自分の作品を外在化し、
外から見る事をしていないのである。
鉛筆で、普通に風景やモデルさんを写生しても、
伝統的な写実的描写では、
古い絵であることは、
誰にでも分かる事である。
その先を描かなければならない。
古い写実絵画を、内側から壊していかなければならない。
つまり素朴なリアリズムの時代ではないのである。
素朴リアリズムを壊さなければならない。
この基本を清水誠一さんは、
とれない。
なぜなら「入れ歯花」という、
「生け花」と「入れ歯」をかけた駄洒落をやっているからである。
だから素朴リアリズムの形式を取らざるを得ない。
この辺の選択は、会田誠さんと似ている。
そうした清水誠一さんの場合に、
どの様にしたら、素朴リアリズム絵画を、
現代アートに転換出来るのであろうか?
重要なのは、こういう風にして考え悩む事が重要である。
素朴リアリズムで描いて、喜んでいてはまずいのである。
会田さんは、少なくとも、
そういう恥は知っている人で、
その辺は芸大出の矜持がある。
写真を起こした絵画を、駄目と知っているのである。
つまりこの写真を起こした糞リアリズムが駄目であると言う事を、
使った作品にすると言う、手がある。
繰りかえすが、
素朴リアリズムの絵画と言うのは、
糞リアリズムなのである。
その糞性を、まず、自覚しなければならない。
そして糞を糞として構造化出来れば、
それは現代アート足りうるのである。
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さて、伊東直昭さんに戻る。
今日の現代アートの基本とは何か?
これも厳密に語るのは長文を必要とするので、
表面だけを浅く、キャチーに言えば、
バーチャル・リアリズムの時代である。
こういう変化がある。
素朴リアリズム→→バーチャル・リアリズム
写生をしても、
この写生という作業を、
その内側から解体して、
バーチャルな世界に脱構築していく事。
素朴リアリズムの内側に、
不安と地獄が広がっていると言う、
そういう絵画を描き出していく事。
たいへん参考になります。有難うございます。
by 直itoh (2008-04-20 02:35)
美術教育の問題?
素朴リアリズムを克服するのにキュビズムは好適な先例だと思うのですが、日本の美術教育にこうしたモダニズムの基本カリキュラムが欠けているのでしょうか。
フランケンサーラーの証言を読むと、アメリカでは学校教育の段階でキュビスムの方法論を指導されたようです。
80年代の終わりにエドワード・フライが来日した時に「日本ではプレモダンにポストモダンを接ぎ木したような作家が多い印象を受ける」
といったことを語っていました。
by コア (2008-04-20 13:28)
たしかに近代の方法そのものを、学習していない人が多いという印象があります。具体的には、デカルトの方法論序説を読んでいない美術家が、たくさんいます。
バイブルを読まないで、モダニズムを体得する事は出来ないのです。
by ヒコ (2008-04-26 02:48)