伊東直昭の現代アート(2) [アート論]
伊東直昭さんの続きである。
《41流》のドローイングである。
続けて、伊東直昭さんの作品の中から、
現代アートを選んでの後半である。
とにかく、伊東さんは、
バラツキがひどくて、
前近代美術の作品までをつくる。
その辺の見境の無さは、
ご本人の深い所にあるのだろう。
テンペラのような古い技法を使うところにもあるのかもしれない。
そういう回帰主義は根拠が無いとは思わないけれども、
その結果として、前近代主義絵画が生まれても、
それは、私は違うと思うのである。
今からでも遅くないから。
やはり現代アートというか、
今の世界をとらえ、今の芸術を作ってほしいものである。
さて、そういう訳で、
多様な作品から、
現代アートと私に見える作品だけを選んでみたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回に、
素朴リアリズムから、バーチャル・リアリズムに変わったと言ったが、
こういう変化は、いくつも起きているのである。
人間観も変貌した訳で、
人間はすばらしいという《ヒューマニズム》の人間観から、
奈良美智のナイフを持った凶悪な眼をした少年の様に、
人間は《無知無能の悪魔》であるという人間観に変わったのである。
近代国民国家から、グローバリザーションに変わった。
そして近代の芸術至上主義から、
現代アートの、無芸術主義に変わったのである。
別の言葉で言えばシュミラクル・アートの時代である。
つまり、ニセ芸術の時代である。
こういう変貌に対して、どういう対処が良いのかは、
極めて難しいが、
基本は各自で違うと言う事である。
各自、かくようにやっていくしか無いのである。
《41流》のドローイングである。
続けて、伊東直昭さんの作品の中から、
現代アートを選んでの後半である。
とにかく、伊東さんは、
バラツキがひどくて、
前近代美術の作品までをつくる。
その辺の見境の無さは、
ご本人の深い所にあるのだろう。
テンペラのような古い技法を使うところにもあるのかもしれない。
そういう回帰主義は根拠が無いとは思わないけれども、
その結果として、前近代主義絵画が生まれても、
それは、私は違うと思うのである。
今からでも遅くないから。
やはり現代アートというか、
今の世界をとらえ、今の芸術を作ってほしいものである。
さて、そういう訳で、
多様な作品から、
現代アートと私に見える作品だけを選んでみたのである。
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前回に、
素朴リアリズムから、バーチャル・リアリズムに変わったと言ったが、
こういう変化は、いくつも起きているのである。
人間観も変貌した訳で、
人間はすばらしいという《ヒューマニズム》の人間観から、
奈良美智のナイフを持った凶悪な眼をした少年の様に、
人間は《無知無能の悪魔》であるという人間観に変わったのである。
近代国民国家から、グローバリザーションに変わった。
そして近代の芸術至上主義から、
現代アートの、無芸術主義に変わったのである。
別の言葉で言えばシュミラクル・アートの時代である。
つまり、ニセ芸術の時代である。
こういう変貌に対して、どういう対処が良いのかは、
極めて難しいが、
基本は各自で違うと言う事である。
各自、かくようにやっていくしか無いのである。
基本、私にとって現在進行形で今を生きてこそできる芸術を作ることが、最大の関心事です。
テンペラを使うのは、油彩との重層構造で得られる効果が、今のところ、他に換え難いことによります。それが何か?説明は難しいのですけれど、少なくとも別に、回帰主義も怪奇主義も自覚的には無いのですが。
by 直itoh (2008-04-21 00:51)
お考えは、良く分かりました。
「今を生きてこそできる芸術を作ること」というのは、一つの考え方であると思います。その魅力は、伊東さんの作品の魅力になっている事を、私は認めます。
テンペラの問題は、「油彩との重層構造で得られる効果」というものは理解出来ますが、同時に作品を《固体》にする事も、事実です。《固体》性が、お好きなのかもしれませんが・・・。
by ヒコ (2008-04-26 02:45)