SSブログ

偶像崇拝性と抽象性の統合 [アート論]

正反対の統合と言うのが、
カント哲学の要諦であった。

同じ事は、狩野派の台頭の根本に、
正反対のものの統合をめざした
狩野元信の総合主義があった。

私の制作に於いても、

・ローアートと、ハイアート
・気晴らし芸術と、シリアス芸術
・偶像崇拝美術と、抽象美術

こうした対比主義の統合をめざすという、
総合主義が進んでいる。

抽象美術とは何か、
を詳細に論述する余裕は、
このブログには無いが、

抽象美術を否定してくる、
大きな動きに、村上隆や奈良美智に見られる、
キャラクアー・アートがあったことは、
事実関係的には言えるのである。

それだけでも、
実は抽象美術の否定が、これらキャラクター美術であり、
そしてキャラクター美術が、実は人間の偶像崇拝の欲望に依拠しているとは、
言えるのである。

キリスト教の歴史を見ると、
偶像崇拝の禁止の教えは古く、
一番分かりやすいのは、モーゼである。

モーゼは旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる
紀元前13世紀ごろ活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においては、偶像を崇拝することは、唯一絶対な存在である神ではなく、人間や自然が作った物を崇拝する行為であるとして罪として禁止されている(出エジプト記 20:4; ヨハネ第一 5:21)。
あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形(あるもの)も造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。
—出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」

仏教においても、釈迦は「私の姿を拝んでどうしようというのか?」と言い、偶像崇拝をはっきりと否定していた。上記のごとく釈迦は偶像崇拝を否定しており、釈迦の入滅後200~500年間は釈迦の本来の教えは守られ、仏像というものは存在しなかった。インドの初期仏教美術の仏伝図(釈迦の生涯を表現したレリーフ等)においても、釈迦の姿は表されず、菩提樹、台座、足跡などによって、釈迦の存在が暗示されるのみであった。
だが次第に人々の間に、釈迦の象徴としてストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)、法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの)や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹などを礼拝する傾向が生まれ、釈迦入滅後数百年経つと、釈迦の本来の意図とは異なり、仏像が出現することになった。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。