追悼・川内康範/月光仮面(加筆/最後に加筆2) [アート論]
《イメージ判定法》で、《6流》。
《言語判定法》で、《超1流》《1流》《3流》《6流》《7流》の重層表現。
《現実判定法》で、《6流》の現実。
しかも非実体的で、非合法的ですので、これは芸術です。
そして《言語判定法》では、これは《ハイアート》なのです。
つまりイメージや、現実では、安手のテレビ番組に過ぎませんが、
《象徴界》的には、芸術作品で、しかも《ハイアート》の名作だったのです。
たしかに当時見ていた私の心に、大きく残り続ける番組でした。
川内康範氏が2008年4月6日亡くなられた。
享年88歳。
《イメージ判定法》で《1流》。
《言語判定法》で、《1流》。
《現実判定法》で、《1流》。
川内康範の顔を《言語判定法》で見ると、
《ハイアート》の芸術家なのです。
え!
何故に、《ハイアート》の芸術家なのか?
《想像界》《象徴界》《現実界》の三界を持つ、
偉大な人格者です。
敗戦後に現れた救世の人であった。
海外抑留日本人の帰国運動や、
戦没者の遺骨引き上げ運動を早くから行った活動家であったのである。
以下、編集家・竹熊健太郎氏のブログを読んで概略を書きます。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b18d.
川内康範は「病気除隊」して自分だけが生き残り、
多くの戦友が死んだことに対する後ろめたさというか、贖罪意識があった。
その話をされたとき、川内康範は声をつまらせ、
ふりしぼるように「俺は卑怯者だ!」と慟哭した。
それから川内康範は戦後、作家・脚本家として活躍するかたわら、
私財を投じて沖縄や南方で遺骨収集をされた。
この活動に対し元陸軍大尉で戦後厚生大臣になった園田直が、
川内康範の自宅にまで来て「本来は国家の責任でやるべきなのですが…」と直接感謝され、
川内康範が政界との関係を深めるきっかけとなった。
この遺骨収集活動に参加して川内康範を助けたのが、
当時日本共産党員でルポライターの竹中労で、
彼はその後共産党を離れ、さらに過激なアナーキスト(無政府主義者)に転向したが、
こういう人間でも「漢(おとこ)」と認めれば、
右でも左でも分け隔てなくつきあうところが川内康範という人物の底知れないところであった。
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彦坂尚嘉の《現実判定法》で、
固体の人(前ー近代の人)。
古いのです。良い意味です。
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川内康範は、
私にとっては、まず月光仮面であった。
川内康範は、TVドラマ『月光仮面』を手掛け、
これは国産初の連続テレビ映画で原作・脚本も書いて、大ヒット。
最高視聴率67.8%(平均40%台)を記録。
これは何であったのか?
川内康範は、1920(大正9)年、日蓮宗の寺に生まれる。
この年の1月には国際連盟が成立する。
そしてアメリカ合衆国では、禁酒法が施行される。
ともあれ、そんな時代に日蓮宗の寺に生まれたことが、
月光仮面につながる。
再び、編集家・竹熊健太郎氏のブログによると、
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b18d.
そうこうするうちにテレビ放送が始まり、
アメリカ製ドラマ『スーパーマン』がヒットするのですが、
日本でもこういう番組を作ろうということで川内先生に原作・脚本の白羽の矢が立ち、
書いたのが昭和33年開始の『月光仮面』ということになります。
ここで先生は初めて主題歌を作詩し、ドラマとともに大ヒットしたことから、
以後続々と歌謡曲の作詩・プロデュースを手がけるようになりました。
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月光仮面は、日本版のスーパーマンであったのです。
そして月光とは、月光菩薩の月光であり、
そして『月光仮面』のキャッチフレーズが「憎むな、殺すな、赦しましょう」であって、
仏教的な性格を備えていた。
つまりスーパーマンと月光菩薩の間に生まれたハーフが、月光仮面でありました。
しかし,
「憎むな、殺すな、赦しましょう」という仏教的な性格を備えていた川内康範が、
最後まで、森進一を許さなかった。
なぜだろうか?
ウイキペディアによると、次の様な確執があった。
2002年、康範と親しい作曲家の曽根幸明(そねこうめい)が脳梗塞で倒れた際に、
康範が見舞いに訪れ「曲を書け」と激励。その後、曽根は左半身不随の身で渾身の1曲を書き上げ、
その曲に康範が作詩をし、
曽根とは30年来の知り合いである森のところへ直接向かい「(曽根の)傘になってやってくれないか」とこの曲を歌ってくれるように頼んだ。
しかし森は曲も見ることなく冷たくあしらい、
この曲は世に出ることが無かった。
このことがきっかけで、森と康範の仲は急速に悪化し、
生涯この溝が埋まることはなかった。
以上の事が、半分でも事実であるとすれば、
森が悪かったと思う。
曽根幸明を見殺しにした森進一に対して、
報復したのではないか。
命を縮めてまでも・・・・。
川内康範という人は、
固体人特有の激しい人であったのだろう。
その固体という前近代の古い精神を真にもった人が、
敗戦後の子供のテレビ番組を作ったのである。
固体という前近代の古い精神を真にもった人が、
近代戦争の廃墟の中で、
古い精神的根拠を持つ《救世》と《純愛》と《真実》を、娯楽番組の中で説いた。
その金字塔として戦後の子供のテレビ番組を作ったのである。
子供だましの《ローアート》であり、
そして電気紙芝居と言われたテレビの、大衆娯楽でしかない《気晴らしアート》の領域において、
川内康範は、《救世》と《純愛》と《真実》という真性の《シリアス・アート》《ハイアート》の主題を忍び込ませ、重ね合わせた。
低俗文化の領域で、
《気晴らしアート》と《シリアス・アート》を統合し、
そして《ローアート》と《ハイアート》を統合したのである。
川内康範は、狩野元信に比肩する、偉大な芸術家であったのです。
深く、ご冥福を祈ります。
■●主題歌:月光仮面は誰でしょう
(作詞:川内康範、作曲:小川寛興、歌:近藤よし子・キング子鳩会)
1 どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ 善い人よ
疾風のように 現われて
疾風のように 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう
2 どこかで不幸に 泣く人あれば
かならずともに やって来て
真心こもる 愛の歌
しっかりしろよと なぐさめる
誰でも好きに なれる人
夢を抱いた 月の人
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう
3 どこで生れて 育ってきたか
誰もが知らない なぞの人
電光石火の 早業で
今日も走らす オートバイ
この世の悪に かんぜんと
戦い挑んで 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう
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■月光仮面の歌
(作詞:川内康範、作曲:小川寛興、歌:三船浩)
1 月の光を 背にうけて
仮面にかくした この心
風が吹くなら 吹くがよい
雨が降るなら 降るがよい
愛と正義の 為ならば
何で惜しかろ この命
我が名は月光 月光仮面
2 辛いだろうが 今しばし
待てば幸福 やってくる
まずしい人よ 呼ぶがよい
悲しい人も 呼ぶがよい
心正しき ものの為
月よりの使者 ここにあり
我が名は月光 月光仮面
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『月光仮面』という日本最初のテレビ向けにフィルムで撮影された連続テレビ映画を、
私のように、芸術作品として高く評価することに、
どれほどの意味があると思っている訳ではない。
しかしこの表現の中核に、ハイアートの構造があり、
そして川内康範の精神の中に、
ハイアーティストの精神があることを発見した今回のブログ執筆は、
私には重要なものであった。
それは現実の社会の中で、芸術としての外形を持っていて、
《現実判定法》的には《1流》の立派な形式を持とうとも、
精神としては芸術としてのハイアートの精神を持たない、
低俗な芸術が、たくさんある日本の芸術界との、
対比の問題である。
つまり芸術というものは、
ラカンを敷衍すれば、
3つの様態をもって表れる。
一つには、社会的に立派な芸術としての外観を持つものとしての芸術である。
それは外観だけは大きくて立派なペインティングであり、
立派な美術館で個展をして、
十分に立派なのだが、
しかし内実は、模倣であり、ローアートに過ぎないものである。
二つには、イメージだけが芸術の姿をもち、
まるで高度で、難解な概念芸術であるフリをしながら、
実際には、
エンターテイメント的デザイン・ワークで
ローアートに過ぎないものである。
三つには、《象徴界》的には、すぐれたハイアートの芸術であり、
素晴らしいのだが、
しかし社会的にも、形式的にも、物質的にも不十分で、
イメージ的にも豊かさに欠けて、
ローアートでしかないものである。
『月光仮面』は、最後の3つめの実例なのだが、
しかし、そこには《象徴界》的芸術が、幻としてであれ、
あったのである。
当時、12歳の子供であった私は、そこに真実を見て、
今も、その感動を憶えているのである。
「本の予約」の件
彦坂様
本の予約の旨のメールを、hiko@ja2.so-net.ne.jpに送りましたが、返信がないためこちらに書き込ませて頂きました。
よろしくお願いします。
by 大橋範子 (2008-05-06 09:04)
ありがとうございます。
メール見つけました。
お返事します。
by ヒコ (2008-05-06 10:45)