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デザインと芸術のあいだ(中編) [アート論]

 ベーター.jpg

(前編よりの続き。) 


そのことは、ビデオでのVHSと、ベーターの争いに似ている。
なぜにベーターは、市場競争において敗れたのか?
 
性能的にはベーターは、VHSより優れたものだった。
しかしVHSより部品点数が多く、調整箇所も高い精度を要求されたため、
量産や低価格化には不利であったのです。
 
つまり重要なのは、高い精度ではないのであって、
量産性や低価格性なのです。

 VHS.jpg

芸術的にもこれは言えて、
量産性の問題なのです。
草間.jpg
奈良美智.jpg
草間弥生にしても、
奈良美智においても、

河原温.jpg
李 禹煥.jpg


河原温においても、
禹煥においても、

共通することは、
簡単な制作で、量を作り出している事です。

村上隆.jpg

村上隆は、これを本格的な工房を作る事で、量産問題を解決したのです、
その一緒に飲んだ人が言うのには、
作品はどれが欲しいかと言えば、過去の作品を作るそうです。
カタログ制作ですね。
コンピューターに過去データは入っているのですから、
工房で、自動的に生産がされるのです。
 
この量産性のことは芸術の問題としても、重要な問題があります。
彦坂流に言うと、《6流》、あるいは《8流》の作品は、
絵画で言えば、《原始平面》において成立するので、《超1流》の絵画に比較して、
要素が少なくてすみ、調整箇所も高い精度を要求されなくてすむのです。
 
村上隆の作品の場合には、《13流》であって、
これは漫画やアニメの水準ですので、
工房制作には、向いているのです。
 
したがって量産や、低価格化、そして程度の低い観客の感性に対応しやすいのが《6流》や《13流》の作品です。
しかも鑑賞性においては、《6流》の作品は、直接性を持っていて、観客は教養や、思考、反省的な精神性をもたなくても、自然的な直接性で、十分に満足するのです。したがって社会的には勝利をおさめるのです。
同様にお笑い領域である《13流》は、観客的には、受けがいいのです。

 無印良品.jpg
《6流》というのは、ブランドで言うと、無印良品です。
 
ディズニー.jpg
すでに述べた様に《13流》は、漫画アニメで、ブランドでいうとディズニーです。

 
サイゼリア荒木.jpg
こういう性格をもっと持っている、もう一つの領域は、
21流》でして、
代表的な作家はアラーキーですが、
これは量産や低価格化に、極めて有利な領域なのです。

アラーキーの写真の量が多いのは、《21流》だからです。
これは、私も《21流》で制作を試してみましたが、
早くて、沢山出来ます。
何よりも作る事が楽しいのです。

レストランで言うと、大衆イタリアレストランのサイゼリアです。
驚くほどの低価格で、女子高生や、子供づれの家族客が多くいます。その料理は冷凍を電子レンジで解凍したのだろうと思えるしろものです。室内装飾もすべて《21流》であって、その一貫性は、賛嘆に値するものです。ここにおいて、人類の、文明化と量産化による低価格競争の世界の完成された頂点を見ることが出来ます。アラーキーの猥雑な写真世界とは、サイゼリアの世界と地続きなのです。
そしてもう一つの《21流》領域が、エロ写真の、わいせつ領域です。
サイゼリヤがエロ写真と同じ領域というのも、感慨深いところがあります。
 
ベーターに話を戻すと、
ソニーが性能重視で廉価機の開発が出遅れたこともあって、
シェアを伸ばせなかったのです。
 
妹島和世.jpg
この辺の事は、妹島和世+西沢立衛(SANAA)建築成功の秘密でもあります。
ガラスを多用した透明感や軽やかさにあふれる建築を得意とする妹島和世のデザインは、しかし。その軽やなデザイン性ゆえに、建築としての脆さが指摘され批判されることが多いのもまた事実であるけれども、そうした欠点を承知で突っ切って行く人気の秘密は、それは社会的に成功するものは、欠点は、問題にならないという事です。それがVHSの勝利の秘密であったのです。このことは伝統的には「悪貨は良貨を駆逐する」というテーゼで語られて来た事です。妹島和世は、建築界の悪貨であるが故に、VHSのように勝利するのです。
 
ベーターの敗北は、それ故に「技術的に優れているものが普及するとは限らない例」として、
重要な教訓を生みました。
 
芸術も同様なのです。
芸術的に優れているものが普及するとは、限らないのです。
ですから、版画や印刷物や、出力ものの様に、量産するものは、
実は《6流》や《13流》、《21流》で作るべきであると言えます。
 
普及品は《6流》でいい!
《13流》で良い。
21流》で良い、という訳です。
 
これこそが、モダニズムの世界の真理であったのです。
 蓄音機.jpg
質の低下を選ぶと言う選択は、初期のレコードの例にもあって、
蓄音機が初めて開発されたときは状の記録媒体が使われていて、
こちらの方が質的には優れていたのです。
 
しかし、量産が困難なために、
平面で円形のレコードになった。
しかし、こうすることにより内側と外側の走行速度の差によるテンポのずれが生じることになって、
レコードは、音質的には欠陥商品になってしまったのです。
しかし欠点があるからこそに、社会的な勝利を収めたのです。
 シャネル5.jpg
このブログでシャネルを取り上げましたが、
シャネルの成功の秘密は、偽物を作った事にあります。
シャネルの5番という香水は、本物の高級香水ではなくて、人造の香料を入れた模造品であったのです。またシャネルは、宝石も模造宝石を量産して、成功します。シャネルは、こうして社会の持っている秘密、つまり欠点を無視して量産の出来るものこそが、社会的な成功を収めえる事を、実証したのです。
 
しかしベーターは消えたのではありません。
その高性能故に、放送局の中ではベーターが使われているのです。
ベータ方式を元にした放送業務用フォーマットの機器ベータカム
ベータマックスの録画用ビデオテープは現在も生産を続けているのです。
 
つまり社会一般と、専門家の領域の2重性があるのです。
 
写楽豊国.jpg
美術史でこうしたVHSとベーター戦争の例をさがすと、
一つは写楽の敗北があります。
 
写楽のことは良く分かってはいませんが、
写楽のデビューは、寛政65月です。
作品は大判の大首絵です。
 
同じ時期にデビューする絵師が、歌川豊国です。
初作は寛政6年正月で、同年ですが、4ヶ月写楽よりも早いのです。
双方が同じ芝居の興行で、同じ役者の絵を描いて、
出版して争う事で、そのライバル性に明らかです。
 そして豊国が勝って、写楽は消えるのです。
いま、同じ役者の絵を探してスキャンする時間がないので、
ウエイブ部上の適当な画像だけで比較してみます。
 
 
 格付けをしてみます。
 写楽は、《言語判定法》で《超1流》から《41流》までの多層的重層的絵画。
 豊国は、《言語判定法》で《6流》の絵画。
 この《6流》の絵画が、市場では勝つのです。
何故なのか?
 《イメージ判定法》で見ると、
写楽は、《8流》のイメージ。
それに対して、豊国は、《1流》のイメージ。
 つまり江戸庶民は、芸術の判断ではなくて、
あくまでもイメージの世界に生きていて、
《イメージ判定法》で判断して、写楽を捨てて、豊国を評価し支持したのです。
 しかし、現在の私たちが見ると、
豊国は凡庸な絵師にすぎません。
それに対して写楽は、特に実物の刷の凄さを見ると、
傑出した大天才画家であって、
浮世絵史上、圧倒的な存在として屹立しています。
 
こうして写楽は、その高度な質の故に、敗れ、
ベーターと同じ道を歩んだのです。
(後編につづく)

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コメント 3

丈

真実とは、実に、単純で恐ろしいものですね。聞いては行けない事を聞いてしまったような…もっと話して下さい。
by 丈 (2008-05-26 22:12) 

gaalo

初めまして、
美術手帳の合田誠さんとの対談を読み、彦坂さんのブログを知りました。私の様な意味も解らず作品づくりをしている者にとって、大変興味深いお話がたくさん聞けてとてもおもしろいです。彦坂さんの話している事の何割を理解できているかも疑問ですが、読み続けたいと思います。
by gaalo (2008-05-26 23:39) 

ヒコ

gaalo様、
書き込みありがとうございます。美術手帖で見てくださって、うれしいです。まあ、しかし、こういうブログも、終わりは近いと思います。もうすぐ、時代は変わります。ですので、終わりがくるまで、頑張りたいと思います。
by ヒコ (2008-06-03 20:04) 

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